あなたの感想って最高ですよね! 遊びながらやる映画批評
第4回

お約束をひっくり返す、パロディゾンビ映画 『バタリアン』を初めて見た

あなたの感想って最高ですよね! 遊びながらやる映画批評
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フェミニスト批評家の北村紗衣さんが、初めて見た映画の感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載「あなたの感想って最高ですよね! 遊びながらやる映画批評」。聞き手を務めるのは、北村さんの元指導学生である飯島弘規さん(と担当編集)です。

連載の中で紹介されていくポイントを押さえていけば、いままでとは違った視点から映画を楽しんだり、面白い感想を話せたりするようになるかもしれません。なお、北村さんは「思ったことをわりとランダムに、まとまっていない形で発してもよいもの」が感想で、「ある程度まとまった形で作品を見て考えたことを発するもの」が批評だとお考えとのこと。本連載はそのうちの感想を述べていく、というものです。

本連載はテキストだけでなく、収録の様子を一部、YouTubeの太田出版チャンネルに公開する予定です。記事におさめられていない話も含まれていますので、本記事とあわせてどうぞ。

第四回でご覧いただいたのは、ホラー映画『バタリアン』です。ちなみにその後シリーズ化している本作ですが、今回は一作目のみをご覧いただいています。

※あらすじ紹介および聞き手は飯島さん(と担当編集)、その他は北村さんの発言になります。

あらすじ

ユーニーダ医療品商会の新人社員であるフレディは、先輩のフランクから映画『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』は実話であったと聞かされ、本物のゾンビが保管されているという会社の地下へと案内される。

だが、フランクの不注意でゾンビの入った容器が破損し、中から噴き出したトライオキシン245なるガスによって、会社にあった実験用の死体がゾンビとなって蘇ってしまう。さらに不幸が重なり、近隣の墓地に埋葬されていた遺体までもがゾンビ化。その場に居合わせたフレディの友人たちであるパンクスも巻き込み、血まみれの大騒動へと発展していく……。

歴史的名作映画のパロディ映画

――『バタリアン』(1986年)の原題は『リターン・オブ・ザ・リビングデッド』です。北村先生はWikipediaに「『オブ・ザ・デッド』で終わる作品の一覧」というページを作られているくらいなので、ご覧になったことがないと知って驚きました。

北村 「オブ・ザ・デッド」がついている原題よりも『バタリアン』のほうがよく知られているじゃないですか。だから見たことがなかったのかもしれません。

映画はふつうにとても面白かったです! なんでいままで見たことなかったんだろうと思いました。『最終絶叫計画』(2000年)みたいなパロディホラーを見て育ったんで……笑えるし、パンクとかニューウェーブ系の音楽を使っているところもカッコいいし、非常に私好みです。

冒頭から舐めていましたよね! 「この映画は真実だけを描いている。したがって人物や団体もすべて実名である」ってテロップが出ていました。

――実話ではないのに実話だってテロップを出している映画だと『ファーゴ』(1996年)がありますよね。

北村 そうですね。最初のシーンで何が映されているかは、注目するといいかもしれません。『ファーゴ』だと信じる人もいたと思うんですけど、『バタリアン』はさすがに誰も本当にあった話だって思わないですよね?

この映画は、ジョージ・A・ロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968年)は現実に起きたことだった、という設定でパロディをしているので、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を見ていないと戸惑うかもしれません。

――実は『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』の原作者であるジョン・A・ルッソが『バタリアン』の原案者のひとりなんですよ。

北村 じゃあ関係者によるパロディなんですね。なんというか正典とつながった世界観の中でメチャクチャなパロディをやっているということになる気がするので、なかなか高度なやり方で笑いをとりにいくスタンスですね。

『バタリアン』は、ホラー映画の伝統を踏まえた上で、ホラーのお約束から少し外していたり大袈裟にしたりする、メタな作りが特に面白かったので、映画をたくさん見ている人向けの映画のような気がします。監督のダン・オバノンが脚本を務めている『エイリアン』(1979年)も、ホラーのお約束を理解して書かれた作品でしたし、ダン・オバノンの作風なのかなあと思いました。

「お約束」のひっくり返し

――見慣れていないジャンルの映画だと、お約束がわからないことも多いですよね。ホラーのお約束ってどういうものがあると思いますか?

北村 いろいろあるんですけど、例えば「やっちゃいけないことをやろうとすると大変なことになる」があると思います。『バタリアン』では、ゾンビが入っているタンクをフランクが叩いたせいで、町中にゾンビが溢れることになっていました。他には「危険なことをしようとする若者たちはかならずひどい目に合う」とか、「ヒロインのお色気シーンがある」なんかもお約束だと思います。

――それでいうと、『バタリアン』に出てくるパンクスの子たちって、派手な髪形をしていたり、体にチェーンをつけていたりしているけど、みんないい子ですよね。

北村 そうでした。騒ぐのは好きだけど、別に悪いことはしていなかったと思います。まあ墓地で騒いだりするのは良くないのかな。

――「墓地ではしたないことするんじゃないよ」って仲間を諌めている人もいました。

北村 あの人は妙に良識がありましたよね。あれもたぶんお約束をひっくり返しているんだと思います。「若者たちは悪いことをそんなにしなくても結局は死ぬんですよ! 若者だから!」みたいにギャグになっているのかな、きっと。

80年代の代表的なスクリームクイーン(ホラー映画などで、叫び声をあげる女優のこと)であるリネア・クイグリー演じるヒロインのトラッシュが、墓場で股を大きく開きながら、最悪の死に方について「年老いた男たちの一団にぐるりと囲まれて、生きながら彼らに食べられるの。まず着ているものを引き裂かれるわ」と話しているうちに興奮し始め、自ら服を引き裂いて全裸の状態で踊りだす……ってシーンがありましたよね。

その後、ゾンビを焼却したせいで死体をゾンビにする成分が空中に飛散してしまって、それを含んだ雨が降ってくるっていうところがありましたよね。その雨を浴びたトラッシュが、服を着てないもんで素肌に有害物質を食らってしまって痛い痛いってものすごく騒ぎだすし、最終的には言っていた通りの死に方をしていました。あまりにもバカバカしくて大爆笑してしまったんですけど。

全裸になるとしたら誰?

――僕はこのシーンを見ながら、北村先生が「性差別的だ」と怒り出すんじゃないかって心配になりましたよ。

北村 これは明らかに意図的にパロディにしているんだと思いますし、それは当時のホラーのお約束のパロディなんだと思います。つまりこの場面の背景には「ホラー映画ってやたらと女性のお色気がムダに使われて、よく考えるとちょっとアホみたいだよね!」っていう共通認識があるので、まあみんなこういうのはバカバカしいということを理解した上で出てきている場面だと思うんですよ。

ただ、いまこういうことをやろうとすると、たぶん全裸になるのは男性になる気がしますね。この頃は「ホラー映画でムダに出てくる女性のお色気シーンってバカみたいだよね!」で感覚が止まっていたんだと思うんですけど、いまだと「ホラー映画でムダに出てくる女性のお色気シーンは男性を喜ばせるためにアホなことをやっていたので、さらにそれをひっくり返したほうが面白いよね!」になるんだと思うんですよ。

『ミッドサマー』(2019年)では、ジャック・レイナー演じるクリスチャンが全裸になって村を彷徨っていましたが、いまの感覚だとああなると思います。

――『バタリアン』はリブートが作られるという噂があります。北村先生だったらどの男性がトラッシュ役にぴったりだと思いますか? チャニング・テイタムとか……?

北村 うーん、スクリームキングっぽい俳優に頼まないと面白くないと思うんですけど、誰ですかね。『ゲット・アウト』(2017年)に出ているダニエル・カルーヤなんかはスクリームキングだと思うんですけど、ダニエル・カルーヤが全裸で走り回って面白いかというと……。

――絵になってしまって笑えないんじゃないですかね。

北村 ですよね。ちゃんとした濃い話になりそうな気がします。ダニエル・カルーヤが全裸で走り回ってたらなんかもう世の終わりレベルの深刻な大ごとですよね。お客さんが心底怖がってしまうと思います。

――脱構築したホラーが主流になっている現在だと、お約束がなかなか共有されなくて、そういったギャグを成り立たせにくいかもしれないですね。

北村 うん、そんな気がします。いまだったら過去のホラーをイジるより、最近のホラーをイジる方が面白くなるんですかね。

過剰な表現に要注目!

――ということは、参照されている作品やそのジャンルのお約束を知らないと、こうしたパロディ映画は笑いにくい可能性がありませんか? それらを知らない人が、これはパロディなのかもしれないとか、笑いのシーンなのかもしれないって気づくにはどうすればいいと思いますか?

北村 うーん、表現の過剰さですかね。

『エイリアン』の最後で、シガニー・ウィーバー演じるヒロインのエレン・リプリーが下着になったところでエイリアンが現れるシーンがあります。

別に服を脱がなくてもいいシーンだと思うんで性差別的だと批判されることもある場面だと思うし、ホラー映画のムダお色気描写の延長ともとれるんですが、一方であれって家に帰ってトイレに入ったら急に人が尋ねてくるみたいな、「安心して無防備になったところでいきなり何か起こると面白い」みたいな発想を、かなり過剰な形でパロディにしている気がするんですよね。いや、あのシーンはもしかしたら笑いを意図していなくて、私だけが笑っているのかもしれませんが……。

――そのシーン、僕は笑いませんでしたね。

北村 まあ、ここで笑うのは私みたいに笑いのセンスがヘンな人だけかもしれませんね! 私は見るたびに笑っちゃいます。あと一般的には、目を剥いている表情にカメラが妙に寄っていたり、非常にわざとらしい演技なんかをしていたら「ここは笑っていいですよ」ってことなんだろうとは思います。

『バタリアン』だと、切断されたゾンビの片腕がアグレッシブに動き回るシーンなんかは「どうぞ、笑ってください!」ってところですよね。『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』(1975年)には、急に手が切断されるすごい残虐な場面がありますけど、あれは残虐すぎておかしいみたいな撮り方をされていました。

――『悪魔のいけにえ』(1974年)も『死霊のはらわた』(1981年)も、2作目になると極端なことをし始めて、コメディになっていました。『バタリアン』が『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』の続編だと考えたら、2作目で極端になる続編映画の系譜に置けるのかもしれないですね。

北村 あーなるほど、そう考えることもできるのかもしれないです。

私が研究している近世イングランドの演劇ってわりとトーンの一貫性を重視しない作品が多いんですが、スコットランド王のジェームズ6世をイングランドが王として迎え入れた頃の時代になると、いわゆるジャコビアン悲劇といわれる、残酷すぎて可笑しいみたいな話が増えてくるんですよ。

それまでのエリザベス朝の芝居はトーンにばらつきがあっても一応残虐な場面は残虐に悲しくやる……という程度の統一感は比較的あったと思うんですが(もちろん例外もありますけど)、ジャコビアン悲劇の時代になると残酷な殺し方がインフレを起こしていたり、ひとりの人間をオーバーキルしていたり、表現がめちゃくちゃ大袈裟になっていたりするんですよ。残酷なことをやりすぎると可笑しくなるっていうのは他の時代のコンテンツでもあるのかもしれません。表現が過剰になると笑えるようになっちゃうんですね。

『バタリアン』は過剰にすることの面白さを理解して作っていると思います。知識なしに初めて見る映画で、「なんか過剰だな」と思ったら、何かのパロディだったり、笑いのシーンだったりするのかも、と考えてみるといいのかもしれないです。

「怖い」が変わるとゾンビも変わる?

――『バタリアン』のゾンビ描写はどうでした?

北村 人間の脳みそを食べたがるところが面白かったです。しかも理屈の説明があったじゃないですか。死んだ後は全身が苦しくて、脳を食べると痛みが消えるってゾンビが話している。この映画はゾンビが話すんですよね。

『ウォーム・ボディーズ』(2013年)は、脳みそを食べるとその人の記憶を取り込むことができて、人間らしい感情を少しだけ取り戻せるゾンビという設定でした。もしかして「脳を食べる系」ゾンビは『バタリアン』から来ているのかなあ、と思いました。調べてみないとわからないですが。

私は今回、それ以降のいろんなホラー映画を見た後に初めて『バタリアン』を見たということになるんですが、後世に影響を与えている映画なんじゃないかなと思うんですよ。脳みその描写とかもそうですし、比較的ゾンビが頭を使って行動できるのも、後の映画でより頻繁に見かけるようになるものじゃないかと思います。

その後のホラーで見かけるような構図とかもたくさんありますよね。これは私が考えたことじゃないんですけど、序盤のシーンの構図とかが、あとにでたホラーゲームに似ているという指摘があるんですね。たぶん構図や設定を参考にしている人は結構いるんだろうと思います。

――ゾンビ描写って、それこそお約束的なものがあって、時代や作品によって変わっていくところがありますよね。

北村 私は、どっちかというとプレコードから40年代くらいの、ブードゥーの呪術で生まれたゾンビが襲ってくる祟りの映画みたいな雰囲気があるものが好きなんですよね。土着の信仰とか、人間同士の恨みみたいなホラーの話なので、いまのゾンビ映画との繋がりがあんまりない気もするんですが……。

ポスト・アポカリプスっぽいゾンビ映画が流行るようになったのは、それこそ『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』からだろうと思うんですけど、いまのゾンビに比べるとかなり動きが遅いんですよね。『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』はアンデッドの概念にまだあまり馴染みのない人のために、すごく単純化したゾンビを出しているのかなと思いました。だってほとんどのお客さんはああいうゾンビ映画を初めて見たわけでしょう。わかりやすくしないと混乱しますよね。それが少しずつ複雑化していって、『バタリアン』みたいに「脳を食べる系」とか、細かい設定がついていったのかなと思ったんですよ。

あと『バタリアン』のゾンビって、人間の道具を使うんですよね。救急車の無線を使って、人間たちを誘き寄せたりします。

――お喋りもするし、頭がいいですよね。

北村 低くなってはいるけど思考機能がついているんだと思うんですよ。思考機能がついてるゾンビってやっぱりちょっと怖いですよね。

――あと『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』の動きが鈍いゾンビと違って、『バタリアン』のゾンビは走っていましたね。

北村 ただ最近のゾンビに比べるとやっぱり遅いですよね。ダッシュというよりはランニングくらいの早さでした。私が走る時とあんまり変わらない程度に不器用な走り方だったと思います。

私の連れ合いやゲーマーの人たちによると、ゲームの『バイオハザード』シリーズで動きの早いゾンビが出てきたことは非常に画期的だったそうです。その後に映画でも、動きが早いゾンビが多く出てくるようになったらしいんですね。

――『28日後…』(2003年)とか、リメイク版『ドーン・オブ・ザ・デッド』(2004年) は、走るゾンビでしたね。

北村 そうでしたよね。そういうところで何が考えられるのかというと、何をしたら怖いのかって時代によって変わっていて、それに応じてゾンビ表象も変化しているんじゃないかな、ということです。ゾンビの設定から、いろんな感想を考えることができる気がしますね。

ゾンビと医療の発展

――設定上ゾンビではないとされていますが、『ウォーキング・デッド』(2010~2022年)や『ラスト・オブ・アス』(テレビドラマ版は2023年~)みたいに、ワクチンを使ってゾンビを人間に戻そうとするものもありますよね。人間とゾンビの境界をどのように考えているのかも重要な気がしました。

北村 えっと、まったく根拠がないことを言うんですけど……それって我々がよく知っている重い病気に関する医療の発展と関係しているんじゃないですかね? エイズとかガンとかが顕著だと思うんですが。

私が小さい頃は、HIV陽性になると死期が近づくと恐れられていました。でも、いまは医療が進んだおかげで、ちゃんと投薬して健康的な生活を心がければ生きていけるようになっていますよね。ガン治療も同じように昔に比べるとすごく発展していると思います。そういう医療の発展って頻繁に報道されるようになっていますよね。

ゾンビになっても治せるんだ、みたいな描写が出てきたのって、われわれが不治の病だと思って怖がっていたものが、革新的に医療が発展してすぐは死なない病気になって、それが大きく報道されるようになったことと関係している気がします。根拠がまったくなくてカンなんですけど……。我々の病気に対する考え方が変わるのとゾンビ描写の変化って関係しているんじゃないでしょうか?

――『猿の惑星』(1968年)の感想では「動物の権利」の話が出てきましたが、「ゾンビの権利」みたいな話もできそうです。『ランド・オブ・ザ・デッド』(2005年)や、『ゾンビのジョンおじさん』(2017年)、『アーミー・オブ・ザ・デッド』(2021年)などでは自我を持つゾンビが描かれていました。あとこれはゾンビではなく吸血鬼ですが、リチャード・マシスンの小説『地球最後の男』(1954年)では、だんだんウィルスに順応して短時間なら日光に浴びられるようになった一部の吸血鬼こそが新人類であるという描写がありました。吸血鬼やゾンビが社会性を得て、権利を主張するというのは昔からある手法なのかもしれません。

北村 吸血鬼ってアンデッド(undead)でもだいぶゾンビと違う扱いなんで、そのへん難しいですよね。吸血鬼は貴族でゾンビは平民とかいうたとえもあるくらいで、吸血鬼はかなり以前から名前があり、個人の特徴が確立したキャラクターとして出てきてなんらかの物語を背負っていることも多いと思うんですけど、ゾンビって名前のない有象無象が出てくることが多くて、ゾンビで個人の特徴があるキャラクターが出てくるようになるのってわりと後だと思うんですよ。

『バタリアン』は、ひとりひとりのゾンビに若干クセがあるのですが物語を背負ったキャラクターではないので、群れとしてのゾンビと個人としてのゾンビの中間にある作品と言えるのかなーと思います。

アメリカ独立記念日映画『バタリアン』

――政治的な風刺はどうでしたか?

北村 軍の手違いで、ゾンビが入った容器が会社の倉庫に保管されているとか、こうした事態を軍は想定していたのだけど、市民の被害も考えず、核を安易に使って解決しようとしているところとかはかなり風刺的だと思いました。というか、全体的にアメリカ映画のお約束を馬鹿にしている感じもありますよね。

――将軍が出てくるシーンで、やけにちゃんとした音楽が流れるんだけど、やっていることは適当っていうのが面白かったです。あと、アメリカ独立記念日映画なんですよね、『バタリアン』って。

北村 あっ、そうですね。テロップでタイムラインが流れますもんね。

――7月3日が舞台で、4日に爆弾が落とされていますね。

北村 ああ、じゃあ『インデペンデンス・デイ』(1996年)だ。独立記念に花火をあげる代わりに、核を使っているってことですか! なかなか辛辣ですね。

政治的な風刺でいうと、環境問題を特定の地域に押し付けることを辛辣に描いた映画としてみることもできるんじゃないかなって思いました。ゾンビを焼却炉で燃やしたことで有害物質が飛散しちゃって、それが含まれた雨によって、墓地に埋められていた死体がゾンビになるじゃないですか。汚染された廃棄物を田舎の村に持っていって埋め立てたりしたら、土壌が汚染されてしまった、といった環境汚染を描いていると言えるかもしれません。

ただちょっと思ったのが、場所によっては火葬をしているところもあったものの、やっぱり多くの場合は、土葬ですよね?

――そうだと思いますし、土葬じゃないと成り立たない映画ですよね。

北村 セリフの中で「クレマトリウム」って言っていた気がするんですよ。だからみんなが立てこもっていた場所って、届け出上は火葬場になると思うんですけど……つまり、ええっと、火葬してゾンビの灰を撒き散らすのもダメだけど、土葬でも対策できないみたいな話になるんですかね? うーん、出口なしですね。

――火葬場でいうと、ゾンビになりかけているフランクが自ら焼却炉に入るシーンは泣けました。

北村 お祈りしてから炉に入っていたので、彼はたぶん自殺を罪だと考えていますよね。天国に行けなくなってしまうと考える、敬虔なクリスチャンなのかなと思いました。

背景には公害問題が?

――トライオキシン245には元ネタがあるんじゃないかなと思いました。どうでしょう?

北村 ありそうですよね。当時アメリカで、軍とか企業とかの廃棄物が不適切に処理されている問題があったのかな。アメリカの企業が化学薬品を川に投棄したせいで土壌汚染が発生したラブキャナル事件は77年から78年頃でしたよね。

――いま調べてみたら、「2,4,5-トリクロロフェノキシ酢酸」という、ベトナム戦戦争で使用された枯葉剤があるみたいですし、『バタリアン』が公開される2年前の1984年には、ベトナム帰還兵が枯葉剤製造会社に対して集団訴訟を起こしているようです。

北村 なるほど。じゃあ毒物によって引き起こされた公害の訴訟が継続的に起きていた時期なんですね。この連載で度々お話していますが、当時の社会状況を調べてみるのも感想を話すときにおススメです。

――ダン・オバノンは、自らが書いた『ブルーサンダー』(1983年)の脚本を制作会社と監督によって何度も書き直されているそうです。映画ではテロリストと戦う話になっているんですが、もともとはベトナム帰還兵である主人公がテロリストになる話だったみたいで、政治的なメッセージがもっと色濃かったんだと思います。

北村 思った以上に世相をヒントにした映画なのかもしれないですね。そういう意味でもやっぱりかなりメタな作品……というか、いろいろな背景知識があったほうが楽しめそうな映画ですね。

パロディだから逃げ切れる?

――改めて最初の話に戻りたいんですが、『バタリアン』にはムダなお色気シーンみたいに、いま見ると「これはどうなんだろう?」って感じるような描写があると思います。背景を知っている人と、そういう映画だと思わずに見る人では、見え方も変わると思います。背景を知っていようがいまいが自分なりの感想を話していいし、同じ映画を見ているのに違う感想が出てくるのが面白いところだと思うんですけど。

北村 そうですね。

この映画が逃げ切れているのは、核や有害廃棄物などの政治的な問題は取り上げていますが、複雑な風刺はやっていないところだと思うんですよ。ずっと「ホラー映画ってこういう感じだよね」というジャンルのお約束に則っていますし、過剰な表現が多く含まれているので、まあ本当の話だと思う人はまずいないでしょうし、だいたい笑って見る映画だということはわかると思うんです。

一方で、複雑な社会風刺だと、ふざけてやっているつもりなのに真に受ける人は出てくると思うんです。『スターシップ・トゥルーパーズ』(1997年)とか、『プッシーキャッツ』(2001年)とか、場合によっては『ファイト・クラブ』(1999年)がそうなのかもしれないんです。

『スターシップ・トゥルーパーズ』は軍国主義、『プッシーキャッツ』は商業主義を過剰に描くことで諷刺しているんですが、どっちも軍国主義描写とか商業主義描写に気合いが入りすぎていて、そういうものを称賛する映画だと勘違いされかねないところがあると思います。『ファイト・クラブ』も右翼映画みたいに受容されたりしていますよね。全然そんな映画じゃないと思いますが……。

こういう手の込んだやり方で政治諷刺をしている映画じゃなくて、『バタリアン』みたいに、ホラーというジャンル映画の内部で「お約束を笑います」みたいに作られている映画の中で風刺が行われるほうが、実はわかりやすくなっているんじゃないかと思うんですよ。いや、これを「本当に、こういうゾンビの事件が起こっていたんだ」と信じる人がいたら困るんですけど。

まとめ

――最後に、今回出てきたポイントと、北村先生が『バタリアン』を批評するとしたら、どういったものをお書きになるかを教えてください。

北村 そうですね。なんかこういうのが一番書きにくいんですよね。突っ込んだり、引っかかったりするとこが少なかったんですよ。

面白い映画でも、あんまり面白くないと思う映画でも、突っ込めるところがあればそこから分析を広げて書けるんですけど、これはそういうのがなかったんです。笑えて面白くて、あんまり文句もないし深く突っ込みたいところもなかったという……こういう映画は本当に批評を書きにくいですね……それこそ「面白かったです」みたいな感想になってしまいます。

うーん、やっぱりいろんなホラーのお約束みたいなものを大げさにパロディにしていて、そこが笑えるっていう話にしますかね。ただ、いくつか若干ジョークが古くなってるかもしれないところがあって、そこは指摘すると思います。さらに意外と社会風刺も入っているようだ……みたいな感じでまとめますかね。

あと全体的に音楽はカッコ良かったと思うので、全然書くことが見つからない場合は音楽を褒めます! 80年代アメリカのパンクやニューウェーブ系の映画というと『タイムズ・スクエア』(1980年)とか『マドンナのスーザンを探して』(1985年)とかがあって、『バタリアン』のパンクスの描かれ方にもちょっとそういう時代の雰囲気がある気がしました。

***

この連載では私が初めて見た映画について、苦労しながら感想を話しつつ、取り上げる作品だけでなく他の作品でも使えるポイントを紹介していきたいと思います。なお、私が見ていなさそうな映画でこれを取り上げてほしいというものがありましたら、#感想最高 をつけてX(旧・Twitter)などでリクエストしてください。

※YouTube版は後日公開予定です。

筆者について

きたむら・さえ 武蔵大学人文学部英語英米文化学科教授。専門はシェイクスピア、フェミニスト批評。著書に『批評の教室――チョウのように読み、ハチのように書く』(筑摩書房、2021)など。2024年度はアイルランドのトリニティ・カレッジ・ダブリンにてサバティカル中。

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