1994年『漫画ゴラク』にて連載を開始し、最新57巻が6月18日発売予定! 累計発行部数800万部を記録するラズウェル細木の長寿グルメマンガ『酒のほそ道』。主人公のとある企業の営業担当サラリーマン・岩間宗達が何よりも楽しみにしている仕事帰りのひとり酒や仕事仲間との一杯。連載30周年を記念し、『酒のほそ道』全巻から名言・名場面を、若手飲酒シーンのツートップ、パリッコとスズキナオが選んで解説する。静寂な酒場で酒を飲むこと。納得いく酒を飲むことと酔っぱらうことの矛盾。
「氷のはじける音に耳をそばだてる なんとゆったりした時間」

酒場で飲んでいて、一緒にいた友人がふと「この店、無音なのがいいですね」と言って驚いた。私は店内にBGMやテレビの音が流れていないということを、言われるまでまったく意識していなかったのだ。そして、言われてみると、その店には、調理の音、客や店員の話し声、店の外から聞こえてくる街の音などが響き渡るだけで、とても静かなのだった。
このエピソードで宗達が尋ねるのはまさにそんな“無音”の店。しかも少し早い時間の大衆酒場とあって、お客さんの姿もまばらである。そんな店内では、自分がモロキューを嚙む音すら響くほどだ。
自然と一つひとつの音に集中し、それをじっくりと味わうような姿勢になる。レモンサワーの炭酸が氷に当たってはじける「ピキピキ」という音も、耳を近づけてよく聴いてみればなんと愛らしい響きだろうか。
そんな静寂の時間は、グループ客が入ってくる時間帯になった途端に消えてしまうのだが、「つかの間のいい時間だった…」と宗達は噛みしめながら帰路につく。酒場の音に鈍感な私も宗達を真似して、たまには静寂の酒を味わってみたいと思う。
「でもオレはほとんど酒の写真は撮らない 何を飲んだかなんてどんどん忘れていいと思ってる」

『酒のほそ道』を貫く大きなテーマとして、“酒をいかに美味しく飲むか”ということをあくなき探求心で追い求めようとしながら、結局酒の酔いによってそれがうやむやになっていく、ということがあると思う。
これは酒というものが併せ持つ矛盾というか、飲めば飲むほどシラフの状態から離れていくわけで、というか、そもそもそこから離れたくて飲んだりするわけだから、当然といえば当然なのだが、よく考えてみればすごいことである。
宗達が何かに対して執拗にこだわり、納得のいく酒を飲もうとするものの、最後は酔ってどうでもよくなる……という流れが、『酒のほそ道』のなかでも(というか私たち酒飲みの日常のなかでも)幾度となく繰り返されてきた。
このエピソードはちょっと変則的なパターンで、厳選された地酒が揃う店で宗達が日本酒を飲んでいると、周囲の客がボトルのラベルを写真に撮っている。美味しいお酒があれば後日またそれを飲むため、メモがわりに写真を撮っているのだろう。よく私もする。しかし宗達は「何を飲んだかなんてどんどん忘れていいと思ってる」とつぶやく。「ホントにうまくて忘れられない酒なら写真なんか撮らなくたっておぼえているハズだから」と。
ここまではすごくかっこいいのだが、翌朝、「ゆうべのすっげーうまい酒 何つったっけ?」と写真を撮らなかったことを早速後悔。しかしきっと宗達はまた同じことを繰り返すのだろう。
* * *
次回「小さなシアワセの見つけかた『酒のほそ道』の名言」(漫画:ラズウェル細木/選・文:パリッコ)は6月13日みんな大好き金曜日17時公開予定。
筆者について
1956年、山形県米沢市生まれ。酒と肴と旅とジャズを愛する飲兵衛な漫画家。代表作『酒のほそ道』(日本文芸社)は30年続く長寿作となっている。その他の著書に『パパのココロ』(婦人生活社)、『美味い話にゃ肴あり』(ぶんか社)、『魚心あれば食べ心』(辰巳出版)、『う』(講談社)など多数。パリッコ、スズキナオとの共著に『ラズウェル細木の酔いどれ自伝 夕暮れて酒とマンガと人生と』(平凡社)がある。2012年、『酒のほそ道』などにより第16回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。米沢市観光大使。
(撮影=栗原 論)
1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』を中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』、『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』、『「それから」の大阪』など。パリッコとの共著に『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ”お酒』、『酒の穴』などがある。