赤塚不二夫の不朽の名作『おそ松くん』の6つ子が成長した姿を描いたアニメ『おそ松さん』(テレビ東京ほか)が、ブームと呼んで良いほどの人気となっている。赤塚の生誕80周年の年にスタートした『おそ松さん』は、どのように生まれたのだろう? 現在発売中の『クイック・ジャパン』vol.124で、同作のプロデューサーである富永禎彦は、こう語っている。
「うち(studioぴえろ)は、フジオプロさんと30年ぐらい前にやったTVアニメ『おそ松くん』や『平成天才バカボン』でご一緒させていただいていて、その後も『バカボン』のパチンコ台に使われるアニメ制作などをしていくなかで、社内で『赤塚マンガをもう1度世に出したい』という話が出てきたんです。
しばらく地上波でアニメになる機会はなかったけれど、観てもらえれば今でもおもしろいものになるという確信が社内にはありました。『じゃあ、今やるならどれだろう』『おそ松くんだ』といった流れで、アニメ『銀魂』などをやられている藤田(陽一)さんならぴったりなんじゃないかと」
富永と藤田はもともとサンライズ(制作会社)で同期という間柄。そのような経緯で始まった『おそ松さん』だが、今のようなスタイルになるまでには、かなりの試行錯誤があったようだ。
「どれだけ捨ててきたかわからないくらいたくさんのネタをボツにしてきました。たとえばシナリオに関して言うと、松原(秀)さんはお笑いの構成作家をやられている方ですが、彼は話を作る時にはとにかくいっぱいネタを持ってきて、次々に自主ボツにしていき、それでも残った本当におもしろいものだけを使うんです」
「『おそ松さん』は1週ぶんのなかで2本のストーリーをやっています。(中略)普通のTVアニメではひとつのお話しかやりませんから、同じ尺であっても、それだけで作っている側は大変だと思います。しかも毎回毎回やるお話によって6つ子やイヤミ、チビ太たちの服装から設定から変えていますからね」
制作序盤では、監督がイメージしている映像のリズムをスタッフが共有できず、苦労したこともあったのだそう。“神回”を連発している『おそ松さん』だが、富永は、
「人を笑わせるのって大変なんだな、まだ泣かせるストーリーもののほうが、他人とリズムを共有しやすいんだなと改めて思い知りました」
と、語っている。
◆『クイック・ジャパン』vol.124(2016年2月23日発売/太田出版)
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