日本の中高の教室には身分制が存在 「3割は被差別階級」の実態

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「最大多数の最大幸福」とは、政治(家)が目指す1つの考え方ではあるが、それによって社会の分断が進めば、世の安寧は失われ、幸福の総量はどこかで一気に目減りする。日本では長らく、格差の拡大を助長するような政策が取られ、“平等神話”は完全に過去のものとなったが、このまま格差拡大が進むことを、我々は指をくわえて見ているしかないのだろうか。7月13日に『フェイクの時代に隠されていること』を上梓した立憲民主党幹事長・福山哲郎と精神科医の斎藤環は、同書でこのように語っている。

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斎藤:私の個人的印象ですが、日本のシステム自体が6、7割の人々にとっての利益や幸福度を最大化する仕組みになっていて。残り3割が非常に苦しい思いをするような構造に、ずっとなっていると思うんですよね。

そう考えた根拠のひとつは、スクールカーストの存在です。中学や高校の教室のなかに身分制があるんです。生徒の上位1割がカーストの頂点で、彼らがクラスを牛耳っている。実はこれが成績上位者とかじゃなくて、いわゆるヤンキー層なんです、今はね。

そして6割がその取り巻きなど、あまり睨まれないで平和に暮らしている層です。残り3割がカースト下位者で、被差別階級なんですよ。オタクとかひきこもりはそこにいるわけです。クラスのいやなこと、掃除当番とか教材の準備とかは全部、この層に押しつけられる。というよりも、恐ろしいのは、彼らが自発的にやるんです、それを。自発的にやらないと睨まれるからという理屈で。

福山:変な意味の忖度をするわけですね。

斎藤:まさに忖度なんですよ。上位層の意向を忖度して、自分たちがいやなことを全部進んで引き受ける。やらないといじめられるという恐怖もありますが、そういうクラス内の「空気」があるんです。思春期以降、ずーっとこういう抑圧が続いていると、社会に出てからもけっこう深刻な影響が残ります。

福山:生活保護の家庭に生まれた子が生活保護になるのと同じような構造ですね。

斎藤:確かに同じようなところがあると思います。7割の利益最大化社会は、社会の平均的な幸福度は上げるかもしれないんですけど、3割の非常に大きな不幸をつくり出してしまうということです。事実、内閣府の調査でも、20代の若者の生活満足度は74%と非常に高い。でも私は、政治家の仕事は、排除された3割の不幸をどうするかということがテーマなんじゃないかと思うんです。

福山:その不幸を幸せに転換するためのサポートが政治の役割です。

斎藤:単純に再分配と言ってしまうのもあれなんですけど、どう3割の不利益を緩和できるかということですね。その3割のなかに、貧困層の他にも精神障害者とかひきこもりとか、そういった人たちの問題が含まれてくる。

福山:そのなかに、これから増えてくる低所得の高齢者とかも入ってきます。

斎藤:入ってくると思います。その層は本当に報われない状態で、放置すればその状態がますます固定化されていく。

福山:ますます社会の分断が激しくなるということですか。

斎藤:実質的には分断統治みたいなものなので、諍いはそのなかで起こるんですよ。

福山:わかります。要は3割のなかで諍いが起こるんですよね。

斎藤:階級闘争が起こらないんですよ。すごく巧妙な、それこそ江戸時代の士農工商みたいなシステムになっている。下の階層を見下し、排除することで成り立っている。「日本人って放っておいてもこういうのをつくっちゃうんだな」と、ついつい感心してしまいますけれどもね。

で、悪いことに、この構造で社会はかなり安定するんですよ。安定性というか、恒常性が高い。とんでもないことはなかなか起こらない。個人の自由や権利よりも、社会の治安や維持可能性を優先するということなら、かなりよくできたシステムでもあるんです。

福山:ですね。

斎藤:6割が支持していますから。その分厚い層を論駁するのはなかなか難しい。これにどう楔を打つか。この空気をどう変えていくかということだと思うんですよね。

福山:今、そこが構造的に崩れ出しているんじゃないかなと思うんです。

今、世帯収入が300万以下の人が34%です。斎藤さんの言われた数とちょうど一緒ですね。これ、1997年からずっと増えてきたんです。つまり中間にあった層からこちらへずぅ~っと落ちてきているわけですね。それでどんどん貯蓄もなくなっているんですよ。この層が増えてきている。斎藤さんが3割と言われた層が、実はもう4割近くにまで増えてきているんです。

斎藤:そうなっていますね、確かに。中間層が剥落しているんですね。

福山・そのなかで、「あいつは自分よりも貧しいんだからオレはこれでいいんだ」と思っている。斎藤さんのさっきの「1割・6割・3割」の話はすごくわかりやすかったんですが、私らが高校無償化をやるときに所得制限を入れなかったのは、その分断を避けたかったからなんです。

たとえば高校無償化をやって、所得制限を入れると、3割の子が無償化対象で、7割の子が無償化対象じゃないとすると、クラスのなかに親の年収とか地位とか、親の状況によって分断の亀裂を入れることになるわけです。なぜならクラスのなかで、「あの子は無償化対象だ」「あの子は授業料払っている子だ」というのが明確に色分けされるわけじゃないですか。そのことを私らは避けたかったんですね。

つまり子どもの可能性は、どんな親に生まれようが変わらないんだと示したかった。また、お金持ちで今は授業料を払っている子どもたちでも、親が突然亡くなったり、失業したり、離婚して片親になったりして、無償の3割の方に移動するようなことは、高校時代にいくらでもあり得るわけじゃないですか。人生ってそういうものじゃないですか。

でも、そのとき、無償の方に移ってきた子は、(2016年に発生した)「やまゆり園事件」の犯人が「措置入院させられた」と感じたのと同じように、傷つくことも含めていろんな葛藤が生じると思うんですよ。

そういう状態を回避するためには、所得制限なしに全員を無償化の対象にして、それぞれに自分の可能性を求められるようにしたいと思っていました。子どもはどんな家庭に生まれようが、チャンスが広がっている。それが当たり前の社会にしたかった。社会として子どもの可能性を等しく応援したいという考え方で、私らは所得制限を入れなかったんです。

だから6対3の分断線を薄く弱くして、社会の皆が普遍的なサービスの供給を受けられたり、教育の機会を提供するというのが、次の時代の社会のあり方じゃないかなと私は思っているんです。日本語では「ユニバーサリズム」のことを「普遍主義」と訳しますが、これがなかなかイメージしにくいんです。

斎藤:まったく同感です。オープン・ダイアローグはフィンランドで発祥したんですけど、フィンランドでは現在、ベーシック・インカムの実験がなされています。ベーシック・インカムの目的は、就労意欲の亢進なんですよね。普通は逆に考えるじゃないですか。定期的に一定額のお金を支給したら、皆働かなくなっちゃうだろうと。でも、そうじゃなくて、貧困という不安に曝されずに就労モチベーションを高める方が有効であるという考え方なんですね。

いつ貧困になっちゃうかわからないと余裕がなくて、非常にストレスフルな仕事を選んでしまってバーン・アウトしたりしやすい。とりあえずすぐには食うに困らないという状況の方が、ゆとりを持って自分にとってベストな選択ができるだろうということでやっているらしいです。

まだ結論は出ていませんけど、今のところいい結果になっていると聞きます。残念ながら日本ではベーシック・インカムは難しいとは思いますが、この社会実験が成功すれば、自助努力ばかりが強調されがちな福祉への見方も多少は変わるかもしれません。

ただ、今おっしゃったようにせめて教育の機会を均等にするとか、生活の最低条件を政府の力で揃えていくということが、非常に重要です。人間にとって一番ベーシックな安心感とか自尊感情とか、安全保障を政府が担保してくれることが重要だと思うんですよ。

苅谷剛彦さんが早くから指摘しているように、教育機会がバラバラだと、そうした格差がたまたま下層にいる子どもたちから自尊心や自発性を奪ってしまって、向上心が持ちにくくなってしまう。進学しようとか就労しようとかね。それで自暴自棄になって非常にキツい仕事についちゃったり、ニートになっちゃったりする。

いかに若い世代の自己肯定感にダメージを与えずに社会参加に導くかということを考えると、教育の問題は本当に重要です。経済的には無償化が究極の答えですよね。

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こんな時代に、否、こんな時代だからこそ教育が大切だという意見は誰もが納得できるはず。親の経済格差が子どもの教育格差に直結する状況を変えなければ、分断はますます進むばかりだが、果たして“上位層”が状況の変化を望むのかどうか……。

なお同書ではこのほか、忖度がなぜ暴走したのか、真実よりもフェイクが氾濫する理由、最悪の法改正案、高齢化するひきこもりなど、「政治の現場」と「精神科医療の現場」の視点から、この時代の裏で起こっていた事を解説している。

【関連リンク】
フェイクの時代に隠されていること-太田出版

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

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