「ガンダム」は6畳のアパートから生まれた 誕生を担った真夏の企画会議

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『機動戦士ガンダム』(以下「ガンダム」)と言えば、アニメ作品という枠を超え、1つのジャンルにまで昇華したアニメ界の金字塔的な作品。来年には誕生40周年を迎えるが、そもそも「ガンダム」はどのようにして生まれたのか? 「ガンダム」のアニメーションディレクターとキャラクターデザインを担当した安彦良和によれば、それは何の取っ掛かりもなくスタートしたものだったようだ。2018年9月22日発売の『CONTINUE Vol.55』で、安彦はこう振り返っている。

「日本サンライズのスタッフとして、フリーという立場だけどよく出入りしている奴だからってことで、『何か企画はないのか?』って集められたのが最初で。確か、8月頃の夏場ですごく暑い時期だったと記憶している。

当時サンライズが借りていた6畳くらいのアパートの1室に集まって、みんなで車座になって『何かないかなー』って言っているという、本当にそういう感じ。当時は、『宇宙海賊キャプテンハーロック』なんかで松本零士さんも元気にやっていた頃で、“男のロマン”もやられちゃったし、SFもひと昔前みたいには売れないし。

毎日放送にも、『サンダーバード』で当たったジェリー・アンダーソンの名前使って企画を出したんだけど足もと見られて。SFはあまり売れないってことも言われていた。そういうのって、一朝一夕で変わるから、ちょっと前には『SFないか』なんて言ってたのが少し時期が変わると『SFはいらない』とか言い出したりして。だから、すごく低調な会議だったのは間違いないね」

とにかくグダーっとしており、「アレもダメ、コレもダメ」という状況だったと語る安彦。しかし、そこで話しを一気に進めたのが富野由悠季だったという。

「(会議で)何か言って恥をかくの嫌だから、適当な思いつきなんか言わないよね。そんな中で、次の会議に富野(由悠季)氏が意見を出してきて。俺は『よくこんなものを書いたな』って感心したけど、よく見ると日付が書かれていて、2~3か月かけて書かれていてね、『そうか、前から書いていたのか』って。かなり後になってから気付いた。その富野案が出てからは、あとは早かった。対抗馬もないし、わけがわからないところがいいんじゃないかと。そういう感じで、そこから細かいところを詰めていった感じだったね」

安彦は、富野の企画を読んだ時、「何が面白かったのかと聞かれるとわからないんだけど、とにかく何だかよくわからないから面白い」と思ったのだそう。結果的に「ガンダム」は大ヒットし、未来へと語り継がれる作品となったが、その船出は決して順風満帆ではなかったようだ。

◆CONTINUE Vol.55(2018年9月22日発売)

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

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