今や世界が嘘に麻痺 フェイクをネタとして笑い、消費する危うさ

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「嘘をついてはいけない」ということは、世界中の子どもが大人から教えられたはずだが、現実には立派な立場にある大人が嘘をつき続け、社会全体が嘘に対して麻痺している。政治家にとって言葉は唯一にして最大の武器だが、なぜ政治家の言葉は軽くなり、ワイドショーにネタを提供する道具に堕ちてしまったのか? 7月13日に『フェイクの時代に隠されていること』を上梓した立憲民主党幹事長・福山哲郎と精神科医の斎藤環は、同書でこのように語っている。

 * * *
斎藤:トランプは出鱈目ばっかり言って、それが多すぎていちいち咎められないという状況になっていますよね。あれは「木を森に隠す」ようなもので。「嘘の林」ができてしまっているので(笑)。一個一個の嘘はもう区別がつかないし、目くじら立てられない。量で質を凌駕しちゃった感じがしますよね。まあそれが戦略だとは思いませんけど。

福山:だんだん麻痺してくるんですよね。国会議員のとんでもない発言だって、「ああ、またか」という感じになってしまって……。

斎藤:麻痺ですね。なんだか多すぎて(笑)。

福山:どんどんハードルが下がる。さすがに東北の地震を「首都圏じゃなくて良かった」と言った大臣は辞めさせられましたけどね。

斎藤:あれはそれこそ「情緒的な反発」が起こったと思うんですよ。「それはないだろう」と。大臣は人情に対する配慮ができなかった。

福山:そうですね。そう思うと、何が反発を受けて炎上するか、かなり事前に想定できるのかもしれませんね、斎藤さんから見ると。

斎藤:ええ。今でも「被災・原発ネタはけっこう炎上しやすい」と思います。同じ失言でも。リアルにまだ被災者が苦しんでいる状況下では、炎上案件になりやすいのは当然ですよね。被災地がまだ被災のトラウマから十分に回復していないのに、その痛みを否認するかのような政治家の発言は叩かれて当然です。

片や「政治的な正しさ」一般の水準で見ると、ちょっと前なら大騒ぎになったような発言にしても、今は反応がずいぶん鈍っている印象があります。中曽根康弘さんが「不沈空母」って言ったときは、まだ戦争体験者がいっぱいいたわけじゃないですか。だから、彼らが反発の声を上げられた。

今は戦争体験者の多くが亡くなられて、リアルな戦争体験の記憶が受け継がれにくくなっている。だから三原じゅん子議員が「八紘一宇」なんて言っても、さほど情緒的な反発が起こらなかった。そもそも言葉の意味がわからない。どのぐらいやばいかもわからない。「戦争証言者が減ると次の戦争の準備が始まる」とよく言われますけれども、ああこういうことか、と思いましたね。

福山:そういうサイクルってあるんでしょうね。憲法改正についても、現在のような薄っぺらい議論がなぜ横行するのか、にも通じることです。戦後世代の無責任な発言を、存在するだけで黙らせるような戦争体験者がいよいよ少なくなってきたことが大きな原因のひとつではないでしょうか。

斎藤:本当に、失言が許されてしまう時代はやばいですよね。最近はそこに意図的な「嘘」が入り込んできている。

福山:ですよね。フェイクが許される時代は、本当にまずいと思います。

斎藤:フェイクをネタとして笑ったり消費したりしていれば安全、という勘違いは、「オウム」のときで懲りているはずなんですが、あの記憶も風化しつつある。

福山:久しぶりにワイドショーを見たら、2時間の番組で1時間半ぐらい今井絵理子議員の不倫と松居一代さんの揉めごとと、豊田真由子議員の「ハゲ~!」と、三本立てでずっと流れていて、びっくりしたことがありました。

今は国民全体で喜びも悲しみも共有できるものが少なくなってきているのではないでしょうか。一昔前は、ピンク・レディーの「サウスポー」、「およげ!たいやきくん」、巨人のO・N(私は阪神ファンですが)、とにかく誰もが知っていて、国民がみんなで共有するものがあった。今、オリンピックの羽生結弦さんやワールドカップサッカー、最近では大谷翔平さんなどが数少ない共有できるものになっています。

そんななかで、政治は数少ない共有され得るものになっていますが、同時に残念ながら、ネット上でもメディアでも消費される対象にもなってしまっている。面白さや馬鹿らしさも含めて、すっかり政治は消費のネタになっています。

斎藤:そうですね。その部分でしか批評されないというか、ただの面白さとか発言のおかしさとか、そういう三面記事的な関心が中心になりがちですよね。それはまずいと思いつつも、関心をつなぎ止めるにはそういったネタが定期的に投入されないと維持できない。

福山:それはやっぱり、あまり健全なことではありません。なぜならそれだけ政治上の意思決定が国民からも軽く見られるし、政治の信頼性がなくなる。ましてや政治家自身の言葉の重みみたいなものがなくなっていきますから。

斎藤:アメリカで言えば、トランプが政治への大衆の関心を歪な形で喚起してしまった懸念もちょっとあります。やっぱり、彼がどうとんでもないのかということを、皆知りたがる。それを検証していくと、PC(ポリティカル・コレクトネス)がどうだとかヘイト・スピーチとか多様性がどうとかという話がだんだんわかりやすくなってくるという副作用があったと思う。

面白いキャラの効果というのは、やっぱり政治の機能のひとつとして大事なんですね。しかし政治家までがキャラで選ばれるというのは日本独特の現象かと思っていたんですが、すっかりトランプにお株を持っていかれた感があります。

福山:アメリカって、そうは言ってもなかなか民主主義が分厚いなと思うのは、大統領令でテロ国家指定した国からの入国者を入れないなんて言うと、法廷で違憲だと言って、すぐに州政府の知事らが反論し、共和党の議員までが反対の声を上げ、そしてデモが起こる。

斎藤:そうなんです。そこは民主主義の伝統の厚みですよね。

福山:ですよね。徹底的にトランプに叩かれても、メディアは反トランプで戦うわけですよね。この民主主義の分厚さというのは。アメリカっていろいろ問題ある国だと思うけれども、しかし日本にはない民主主義の強さを持っていることは認めざるを得ません。

斎藤:トランプがとんでもないことを言うと、共和党の党員もけっこう離反するじゃないですか。あの辺はさすがだなと思います。

福山:抗議をしてすぐに役職を自分から辞める人がいますよね。経済界でもすぐに辞めるし。

斎藤:自民党でそれをやれる人がいればすごいなと、ちょっとは見直すんですが。

福山:自民党はこの6年間、ほとんど誰も声を上げなかったわけじゃないですか。私はあちこちで申し上げているんですけど、自民党の議員が300人いようが400人いようが、誰も、何も声を上げないなら、安倍総理の官邸の言いなりなら、民主主義が機能していることにはならない。

斎藤:ただ野党もね、今の政権には突っ込みどころが山ほどあるというのに、いまひとつ突っ込みが弱いと思うんです。敵失に乗ずるチャンスがこんなにあるのに、内紛ばかりしている印象が。

福山:突っ込んでも、二の矢を継ぐためにはやっぱりメディアを含めての反響装置が要るんですね。反響装置がない状況だと、バーンとやっても一過性で消えてしまうんです。私は「民主主義は時間と納得の関数」だと思っていて、お互いの納得性を高めるには、どうしても時間が必要だと考えています。

実は国会の審議って、あんまり国民に関心を持っていただけないんですけれど、相当いろいろな課題について濃密な議論をしているんです。何十時間も議論することによって、反対する側も「ここで担保がとれた」とか「ここで一定の歯止めがかかった」みたいになって、徐々に納得性が積み上がってきて、この辺でもうしようがないなというふうになるんですね。

ところが今は、「早く決めなきゃいけない」とか「効率性だ」とか「時間がかかることは悪だ」みたいな議論が横行しています。テレビ番組のなかでも「難しいことを言っちゃダメだ」とか「短くまとめなければいけない」とか言って、あらゆる問題提起に対する反響装置がなくなっているんですね。それで、どんな問題も一瞬だけで消えて、次の話題に持っていかれちゃう。だから国民に浸透して理解が深まる前に、全部が途中で消えちゃっている感じがします。

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時間を掛けることはすなわち“悪”とされ、すべてがインスタント時代になった現代社会。政治家に求められるものは、時間を掛けた丁寧な議論よりも、「ワンフレーズポリティクス」に代表されるような、その場を凌ぐ瞬発力だけということなのだろうか。

同書ではこのほか、忖度がなぜ暴走したのか、真実よりもフェイクが氾濫する理由、最悪の法改正案、高齢化するひきこもりなど、「政治の現場」と「精神科医療の現場」の視点から、この時代の裏で起こっていた事を解説している。

【関連リンク】
フェイクの時代に隠されていること-太田出版

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

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