年明けの新日本プロレス東京ドーム大会で、王者ケニー・オメガを破り、IWGP王座に返り咲いた棚橋弘至。この1、2年はケガが続き、トップ戦線から離脱した彼の完全復活は、新日本のファンを大いに喜ばせましたが、かつては「新日本のプロレスラーらしくない」と批判され、激しいブーイングを受けた時期がありました。
茶髪、ロン毛といったチャラい見た目に加え、試合後には観客に向けて「愛してま〜す!」と叫ぶ──ストロングスタイルを標榜し、鬼気迫る勝負に新日本らしさを感じていた往年のファンにとって、棚橋は「古き良き新日本の破壊者」に見えていたわけですが、棚橋はそういった過去の批判について、『ケトルVOL.46』でこのように振り返っています。
「僕はよく『新日本を変えた』と言われますけど、実は本質的なところは変えていないんですよ。あのブーイングは、単に『人間として気に入らない』っていう(苦笑)。新日本が設立されたときの理念、道場の練習量、試合における技術や勝負論っていうのはずっと大切にしています。今だから言いますけど、僕は新日本の中身はそのままで、それを包むパッケージを誰でも手に取りやすいようにちょっと派手にしただけなんです」
新日本の本質は受け継いでいるつもりだっただけに、観客からそっぽを向かれたことはショックだったという棚橋。特に当時言われたのが、「棚橋はストロングスタイルがわかっていない」という言葉でしたが、その提唱者であるアントニオ猪木でさえも、ストロングスタイルという単語には戸惑いを覚えていたようです。
「あの頃の新日本は、ストロングスタイルという幻想にガチガチに囚われていました。でも、『じゃあストロングスタイルって何なの?』と聞いても人によって答えがバラバラだったりする。そんなものを選手に強要されても、どうしようもないですよね。だから、『週刊プレイボーイ』でアントニオ猪木さんと対談したとき(2012 年12月)、その原点と言われる猪木さんに直接聞いてみたんです」
すると、肝心の猪木は「ストロングスタイルっていうのは誰かが言い出したことでね。オレにはわからねえな」と答えたのです。
「びっくりしましたよ。オレたちは猪木さんもわからないものに、こんなに苦しめられてきたのかって(笑)。でも、そう言ってもらったことで、むちゃくちゃ気持ちが楽になりました」
猪木の発言が“素”だったのか、はたまた“見えない亡霊”と闘う棚橋を思いやった言葉だったのかは、猪木のみぞ知るところですが、エースの迷い吹っ切ったという意味では大正解。2006年に初戴冠したベルトを再び巻き、棚橋の快進撃はまだまだ続きそうです。
◆ケトルVOL.46(2018年12月15日発売)
【関連リンク】
・ケトルVOL.46
【関連記事】
・永田裕志が解説 猪木が提唱した「ストロングスタイル」の意味
・棚橋弘至 武藤敬司に言われた「プロレスを壊すなよ」の意味
・「プロレス王」鈴木みのる その名に込められた高山善廣への思い
・プロレス大賞MVPの棚橋弘至 「自分が愛おしくなった」意識改革