先日、独立メディアとなった音楽ウェブサイト『bmr』編集長にして、幅広い領域において評論活動を行う「ネクスト荒俣宏(c.水道橋博士)」こと丸屋九兵衛が、さる3月10日にトークライブ「Q-B-CONTINUED」 vol.27を開催した。今回行われた同イベントの内容は、丸屋が出身地・京都について語るという内容。今回はその模様をかいつまんでお届けする。
■海はないが川はある魚と酒が美味い京都
丸屋は、地元である京都を「古き良き長安のような街」と語る。ご存知の通り、放射線状、環状に道路が走っている東京に対して、京都の道は碁盤の目状になっている。これは平安京が中国の古都「長安」を参考に設計されたからなのだが、どういうわけか京都は古くから、同じく中国の古都である「洛陽」と異名されている。
その理由を丸屋は「もとは平安京の西側(右京)を『長安」』、東側(左京)が『洛陽』と呼んでいた。しかし『長安』サイドに湿地帯が多かったために街が廃れたため、結果として『洛陽』の名前だけが残ったのでは」と推測する。
話題は都市計画から地形へと移っていく。実は京都には、いわゆる鮮魚店とは別に淡水魚専門の川魚屋が存在する。これは京都の街が北、東、西の三方を山に囲まれており、大阪まで南下しないと海にたどり着けなかったから。かつての日本人にとってタンパク源といえば魚だったが、京都は立地上、淡水魚しか選べなかったというわけだ。
そんな京都の川魚を愛したのが、京都贔屓として知られていた、かのデヴィッド・ボウイ。東山にある某鰻専門店には、今も「八幡巻き(牛蒡に鰻を巻いたもの)」を堪能するボウイの写真が飾られているという。ちなみにボウイは、宝酒造が誇る甲類焼酎「純」のCMのために来日しているが、同社のルーツは丸屋と同じく京都市の最南端に位置する伏見区。名水の産地として知られ、そのため酒処でもある。「伏見も含めて京都の水は良い。だからくずきりなんかも美味しい」と丸屋は話す
■サンプリングやフリースタイル文化が根付いていた(?)京都
794年の平安遷都から1668年まで、少なくとも名目上は日本の首都であり続けた京都。武士たちが鎌倉や江戸に幕府を置き、政治の実験を握っていた時代も、京都を含む関西エリアは、常に日本における文化の中心だった。
「文化や工業は京都、経済や食糧生産は大阪が中心でした。その証拠に江戸の呉服屋は全員関西弁だったんです。なぜかというと丁稚は大阪の本店で鍛えられていたからなんです。関西弁を使っていると、関西で修行してきた人間として一目置かれるなんてこともあったようです」と丸屋は語る。
長い歴史の中で、多種多様な文化を生み出した京都だが、中にはヒップホップと共通する部分も。その一つが、過去の作品の一部を引用し、再構築して新たな作品を制作する「サンプリング」と呼ばれる表現技法。ヒップホップ誕生から遡ること約800年前に、この手法を和歌の世界で確立したのが、『小倉百人一首』の撰者でとして知られる藤原定家。過去の名歌を引用して新たな和歌を詠む「本歌取り」と呼ばれる手法の再定義を行い、ルールとして確立させたというから、ヒップホップを定義したと言われているアフリカ・バンバータと通じるところがある。
一方、江戸期の大阪には、『フリースタイルダンジョン』の“ラスボス“般若に勝るとも劣らない、フリースタイルの王者が存在した。文人・井原西鶴である。と言っても彼が得意としていたのは、もちろんラップではなく、俳句の原形となった「俳諧」。
西鶴は一昼夜でつくる句数を競う「矢数俳諧」の王者として知られ、自らの記録を破ったライバルを激しくディスった後に、記録を塗り替えるというバトルMC的な動きを続けた結果、最終的に一昼夜2万3500句を詠むという前人未到の快挙を達成した。そんなバトル俳諧師・西鶴だが、体力の限界を感じたのか、40歳の時に小説家へとジョブチェンジ。この辺りも、ややラッパーをイメージさせる。
■ラッパー(俳諧師)から小説家に転身した井原西鶴
そんな西鶴の小説処女作にして大ヒット作品が、男女構わずヤリまくる架空のモテ男・世之介の人生を描いた『好色一代男』。「江戸期の庶民を鮮やかに描いた」という評価もあるが、早い話が庶民向けのエロ小説である。その後、しばらくヒットに恵まれなかった西鶴は、丸屋が「だいぶ早いBL作品」と語る『男色大鑑(なんしょくおおかがみ)』を発表。見事再ブレイクを果たす。丸屋は西鶴がBL小説に参入した理由を次のように語る。
「BLシティだった江戸でブレイクするためです。“犬公方”と呼ばれていた時の将軍である徳川綱吉からして、犬だけじゃなく少年も大好きで、美少年雅楽隊を抱えていたほど。井原西鶴はバリバリのノンケでしたが、売れるために魂を売ったわけです(笑)」(丸屋)
西鶴を例に上げるまでもなく、古来から大衆娯楽とエロは密接な関わりがある。現在は格調高い伝統芸能として愛されている歌舞伎も、四条河原町で誕生した当時は、現在とはずいぶん異なる形のエンターテイメントだったようだ。
「初期の歌舞伎は女性が男装して演じていたんですが、この女優は売春を兼業していたんです。のちに風紀の乱れを理由に “女歌舞伎”は禁止されるんですが、今度は前髪がある若者による“若衆歌舞伎”が始まった。で、この若衆も売春を兼業していたため、さらに禁止されます。その結果、今に続く“野郎歌舞伎”になったんですが、これも俳優が売春を兼業してたんです(笑)」(丸屋)
今回3時間に渡って京都について語ってくれた丸屋だが、その出身地である京都市伏見区は、他の京都人から「あそこは京都じゃない」と差別されがちな地域でもあるのだとか。丸屋はこんな宣言でこの日のトークを締めくくった。
「文化的な多様性は交流によって生まれます。それを阻害するのが、選民思想とゼノフォビア(外国人嫌悪)だと思っています。現状、京都にとっての伏見は、韓国にとっての済州島であり、日本にとっての沖縄と言えるかもしれません。しかし慰めは要らない。私はゼノフォビアがなくなるその日まで、活動を続けます」(丸屋九兵衛)
余談だが、今回の「Q-B-CONTINUED」では、トークのテーマに合わせた和食系の本格派ケータリングが大量に振る舞われ、豪華ディナーショーさながらの展開となった。宣伝っぽくなって恐縮だが、3275円という参加費で採算がとれるのか心配になる、お値段以上のトークショーであったことを付記しておこう。
【関連リンク】
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