芸能界には“おしどり夫婦”と呼ばれるカップルが数多く存在していますが、その先駆けだったのが伊丹十三&宮本信子夫妻。『お葬式』『タンポポ』『マルサの女』など、伊丹さんが監督を務めた多くの作品に、宮本さんが女優として出演したことでも知られていますが、二人が初めて出会ったのは、1965年に放送されたNHKのテレビドラマ『あしたの家族』でした。
当時、宮本さんは女優を志して名古屋から上京したばかり。かたや伊丹さんは、海外映画に出演し、それと同時にエッセイ『ヨーロッパ退屈日記』を上梓した頃で、時代の最先端を歩んでいました。実際のところ、伊丹さんの第一印象はどのようなものだったのでしょうか。『ケトルVOL.47』で、宮本さんはこのように語っています。
「最初に感じたのは、今まで逢ったことがない別世界のすごい人。一つ言葉を選ぶなら『異質』。私も幼かったからそれ以外の言葉が見つからないくらい、周りとは明らかに違いましたね。だって、キャメルのオーバーコートに革の手袋をして、愛車のロータス・エランでテレビ局に来ていました。当時、そんなお洒落な方を知りませんし、カルチャーショックを受けました。素敵でカッコいいんです。
しかも外国生活の習慣なのでしょうね。普通に昼食ではビールやワインを飲んで……。もうびっくりでした。当時は、仕事中に飲むなんて不謹慎者でしたもの。みなさん眉をひそめていらしたと思います。今ならお昼からビールを飲む方見かけますからね。時代が変わりましたね」
しかもこの時、伊丹さんはNHKのディレクターと、どちらが先に宮本さんをお茶に誘えるかの賭けをしていたそう。しかし、宮本さんは伊丹さんの誘いに簡単には乗りませんでした。
「直感で絶対にこの人は危険だと思ったんですよ(笑)。『お茶だけだよ?』って向こうは言うんですけど、その度に『お茶はちょっと……』とか『門限がありますから』と断って。でも、私もどうやら人が良いところがあるというか、あんまり断るのも失礼なんじゃないかと思うようになって」
そうして宮本さんは、しぶしぶ伊丹さんの誘いに乗って、NHKの仕事の合間、ロータスに乗せられ、昼食とお茶を。
「今夜はどこに連れて行かれるのかと思ったら銀座のクラブなんです。綺麗な女性がたくさんいらして、華やかな世界で。伊丹さん、シャンパンを空けてくれました。私はおさげ姿(笑)。どうして連れてこられたのかと思いながらずっと俯いていました」
そして「この時は結婚するなんて思っていなかった」と笑いを交えながら語ってくださった宮本さん。伊丹さんは1997年に亡くなってしまいましたが、2007年にオープンした「伊丹十三記念館」について尋ねられた宮本さんは、
「伊丹十三がどういう人間だったのかを知ってもらいたいんです。こんな面白いおじさんがいたんだよ、こんな面白い映画があったんだよって。そして、ここに訪れていただいたことをきっかけに、あらためて本を読んでみたいとか、再び映画を観てみたいかと思っていただければなって。そういう場所にしたかったんです。おかげさまで近頃は若い方たちもいらしてくださって、それが何よりも嬉しいです」
と、語っており(宮本さんは同館の館長も務めている)、夫の伊丹さんへの愛情は今も変わっていないようです。
◆ケトルVOL.47(2019年2月15日発売)
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・ケトルVOL.47-太田出版
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