『ファミコン風雲児』作者が唱える「児童漫画40歳過ぎ定年説」とは?

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1980年代のファミコン黄金期、漫画雑誌にはファミコンを題材とした漫画「ファミ漫」が溢れていた。1985年、少年少女に絶大な人気を誇った『コロコロコミック』で『ファミコンロッキー』(あさいもとゆき・著)がスタートすれば、『コミックボンボン』では『ファミコン風雲児』(池原しげと・著)がスタート。この後、名作・迷作・怪作が生まれるが、『ファミコン風雲児』はどのような経緯で生まれたのか? 今年4月に発売された『超ファミ漫』(内田名人・著/太田出版)で、池原氏はこう語っている。

「初めはパソコンを題材にした漫画を持ち込んだんですよ。そしたら編集部から『これをファミコンでできない?』と話がありまして。で、『それはもう簡単だ』と」

小さい頃から真空管や半導体などに興味があり、「中学生の頃はよく機械をバラしては組み立てた」という池原氏。『ファミコン風雲児』は、ゲーム画面の背景もきっちりとリアルに描かれていることも評判だったが、その陰には池原氏ならではの努力があったそうだ。

「あ、それは全部クリアしてから描いてますから。『ハイドライド』みたいなRPGだと時間もかかりますよ。でもクリアしないと描けないから(キッパリ)。だから裏技も自分で見つけましたよ」

作中では主人公にロム改造をさせ、自身でも「連射機能を付けた改造コントローラーを使っていた」と語るなど、オタク気質の強い池原氏。1990年代には、『コミックボンボン』の看板作となる『ロックマン』を手がけたが、最後は“限界”を感じていたというから驚きだ。

「(最終作となった『7』の時期から)正直、子供の気持ちがわからなくなっていたんですよ。『風雲児』や『ロックマン』の頃はウチの息子が子供の世界をのぞく“窓”だったんだけど、高校生くらいになると、もう小中学生の気持ちや欲望がわからなくなるんですよ。だから、ちょうどいい頃かなと。

自分の中で“児童漫画40歳過ぎ定年説”というのがあったんです。20代の頃はまだ小さい頃の感覚や記憶があるから勢いで描けるし、30代だと自分の子供を通したり、培ったテクニックで描き切れる。ところがそれがなくなってくるとね……」

ただ、こういったセリフも、児童誌で多くのアニメ・特撮作品のコミカライズを手掛け、ゴルフ漫画誌でも多くの人気作を発表するなど、子供のホビーから大人のホビーまで幅広く描き続ける池原氏だからこそ言えるもの。『コミックボンボン』については、

「『風雲児』や『ロックマン』という代表作を発表できた場所なので感謝しています。僕らの世代には児童誌で叩き上げられてきた漫画家や編集が揃っていて、いい時期だったのかもしれないなあ」

と語っており、感謝の念は尽きないようだ。

懐かしの「ファミ慢」約150本をレビューした『超ファミ慢』(内田名人・著、2019年4月26日発売)は、全国書店・電子書店で好評発売中。

【関連リンク】
超ファミ漫-太田出版

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

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