雑誌『ケトル』は、6月号として「みんなの大好き」特集を制作中。みんなの大好きをつくる方々と、各々が好きなものに焦点を当てた内容になります。そして現在、note公式アカウントでは、特集「みんなの大好き」にちなんで「#わたしの大好き」をテーマに1000〜1500字のコラム・エッセイを募集中。新型コロナウイルスによって、人と人だけではなく様々なものと距離を取らざるを得ない日々が続きますが、「いまは触れらないが、収束後は……」「外では難しいが、今は家の中で楽しんでいる」「あらためて自分にとって大切なものだと気づいた」など、大好きなものや、愛が深まったものへの想いを寄稿いただいてます。今回はその中からえりんこさんの原稿を紹介させてください。
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2月下旬、新型コロナウィルスの流行を受け、日本国民全体が段々と外出を自粛し始めた。
休日にじっとしていることが苦手な私がまずしたことは、強力粉を買いに行くことだった。
映画を見たり、ラジオを聴いたりすることが好き。それでも何故か、それだけの休日には罪悪感を抱いてしまう。ゴロゴロしながらではなく、パンを捏ねながら映画を見れば、何となく満たされる気がしたのだ。
2月下旬。少しずつ、春の匂いを感じながらも、ヒートテックは手放せない。オーブンに発酵機能がついていることを知らない私は、冷たい部屋の真ん中で、うまくいかない発酵に頭を抱える。ええと、実家のオーブンには発酵機能が付いていたんだよなぁ。使いこなせないほどのボタンがついたオーブンレンジ。クルクルとダイヤルを回してると、設定温度が「40℃」に。そうそう!これが使いたかったのよ!
40分間の発酵。ボールいっぱいに膨らんだ生地がなんとも愛おしい。プシュンとガスが抜ける。それをクルクルと丸めて休憩。形成をして、オーブンに再投入。不格好な膨らみ方ではあるものの、何とかパンは焼き上がった。
捏ねればまとまり、適切な温度で温めれば発酵する。最後には大きく膨らんで、とてもいい匂い。丁寧に向き合って、手をかけた分だけ形になるのが楽しくて、しばらく休日はパン作りに勤しんだ。
パンを捏ねれば捏ねるほど、私のなかで膨らむ思いがあった。パン作りが大好きな、母への思い。
じっとしていることが苦手な母。昔から、少しでも時間があるとパンやお菓子を作り、年末はおせちを作る片手間で餅を捏ねる。とにかくいつも、せわしなく動いていた。忙しい人だな、と当時は思っていたが、親子は似るものだ。
そんな母が頻繁にパンを作っていたのは、私が中学生の頃だったと思う。私のお弁当代わりに、弟のおやつに、そう思って焼いてくれていたのだろうけど、自分でパンを捏ねることで、あの頃の母に謝りたい気持ちが膨らんでいった。
中高一貫の学校に通わせてもらっていたため、毎日お弁当を持参しなければならなかった。母はいつだって自慢したくなるほど美味しくて綺麗なお弁当を持たせてくれた。朝起きると、ピシッとアイロンのかかったハンカチを用意してくれていた。部活動や習い事で帰りが遅くなれば、駅まで迎えにきてくれた。そこには愛しかない。そんな愛情深い母に対して、例外なく反抗期を迎えた私は、何かと反発してばかりだった。そういえば、買い物中に喧嘩をして、100円だけ持って家出したことだってあったな。途中、お腹が空いて30円のチョコバットを買ってしまった。70円でどうやって夜を過ごせばいいのだろうか。いや、そもそも100円でも過ごせなかったんだけれども。バス停のベンチだったら寝れるかな?マジか。今日私はバス停で寝るのか。急に不安が押し寄せてきたタイミングで、私の前に母が現れた。見つかってしまった私はぶすっと頬を膨らませながらも、心のなかでは安堵していた。
捏ねればまとまり、適切な温度で温めれば発酵する。最後には大きく膨らんで、とてもいい匂い。丁寧に向き合って、手をかけた分だけ形になるパン。きっと母は、手をかけても頬を膨らますだけの私への思いを、パンに込めていたのだと思う。ごめんね、お母さん。もっと可愛い娘でいたかった。
反抗期もいつしか落ち着き、大学進学を機に親元を離れて十数年。実家に帰る度、いまだに子ども扱いをしてくる母に対して苛立つことは恒例行事。気が強い、似たもの同士の私たちは、こうやって今でもよくぶつかっている。
また実家に帰れるその日がきたら、一緒にパンを捏ねて、私の成長を見せつけてやろうと思う。私にはパンとは比べ物にならないほど、愛情をかけてくれたんだもの。不器用にパンを捏ねる私を、子ども扱いしながら捏ねくり回してほしい。今度は私も、ちゃんと美味しく焼き上がるように、感謝と愛情を返すから。
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いただいた言葉の一つ一つが、また誰かの文化との出会いになれば幸いです。お好きなものについてぜひご寄稿ください。宜しくお願い申し上げます。