『おもろい以外いらんねん』、『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』で知られる大前粟生による世界初のピン芸人小説『ピン芸人、高崎犬彦』が3月22日に太田出版より刊行されました。
OHTABOOKSTANDでは、全六回にわたって本文の一部を試し読み公開します。第一回は、主人公・高崎犬彦が、はじめてテレビに出演した場面からはじまります。
「じゃあ次はえっとー、安西煮転がし。二年目やのにえらい達者らしいねえ」
「どうも安西煮転がしです。北千住からきました」
「えーっと、へえー、慶応卒、ええ大学出てんねんなあー。顔もイケメンやのに、それでまたなんで煮転がしは芸人なろうと思ったわけ?」
「あの謝らないといけないんですけど北千住からきたっていうのは真っ赤な嘘で、ほんとは、さいたま新都心から」
「全っ然いらん嘘」
「自分、親がワカメの妖精で海底にいるんですけど、僕がある日海に潜ったら、親が、こう、ワカ友らといっしょにぐねぐね絡まって、『芸人になり』って、ダイイングメッセージみたいに」
「それこそ一万パーセントの嘘やん! 清々しいな。あはは。一応真面目なバージョンもくれる?」
「いやだって、チャンスじゃないですか。コロナが起きていろんな芸人さんの仕事減ったでしょ? だから成り上がるいい機会かなって」
「芸人になりたいっていうより、成り上がりたいが先にあるんや?」
「それはどっちとも区別つけにくいですけど。芸人として成功するってことは日本のトップに立つっていうのとほとんど変わらへんじゃないですか。だからまあ、テッペンからの景色見てみたいなって」
「ええねえ、若者って感じするわ」
「いや僕、二〇二歳」
「煮転がし煮転がし、プロデューサーの顔見てみ? 真面目なバージョンの方がほしいって」
「ちぇ」
「いくで。真面目なバージョンいくで。それで、きみらくらいの若い子が思う芸人としての成功ってなんなん。賞レースで優勝するとかレギュラー何本持ちたいとか、あるやんかそういうの。死ぬまで芸人でいたいとか。煮転がしはどうなりたいん」
「それはもう、自分のギャグがタトゥーになって日本中のヤクザに彫られることですよ」
「あかんで。ヤクザの話はあかんって。ギャガーなんや?」
「漫談がメインなんすけど。目標、リアルなん言うていいですか?」
「なになに?」
「そこらへんの小学生が学校からの帰り道に、僕のネタやったり言ったことを真似するんすよ、その景色がまずは見たいなって」
「いやー。ええねえ。青春やねえ。聞いてばっかりやけど、煮転がしはなんでピンなん? しかも、漫談がメインって」
「それは、自分ひとりでぜんぶの笑いを掻っ攫えるから。小道具なんか僕にはいらんのです。この体だけで、この口だけで笑わせてやりたい」
「え──、ではそんな安西煮転がしによる漫談です。どうぞー」
「うわ、え?」
「安西煮転がしによる抱腹絶倒奇奇怪怪奇妙奇天烈傑作漫談です。どうぞー」
「マジか。えー、ごほん、ごほん、
安西煮転がしです。僕、歳の離れた小さい弟がいるんですよ。僕が二五で弟が八歳。三年前に僕の母親が再婚した時の、夫の側の連れ子がその子で。まあ言うたら義理の兄弟ですね。僕が思春期とかやったら気にしてたかなと思うんですけど、もうええ歳ですからね。兄弟ができたんもはじめてやし、弟のことがかわいいてかわいいてしゃあないんです。それで弟の話なんですけど、この前、僕が帰省した時、弟がリビングでドーナツの穴をじっと見つめてたんですよ。セブンイレブンで買ってきた、二百円のを。それで僕が『なにしてんの?』って聞いたら、猫がいる、って。ドーナツの穴の中に猫がいる、言うんですよね。子どもってわりに不思議なこと言うじゃないですか。かわいらしいなあ、なんて思いながら『どれどれえ?』って僕も覗き込んだら、ほんとに猫がいて。想像してほしいんですけど、ドーナツの穴の中に、まるまると太った三毛猫がいて、顔がなんか妙に人間っぽいというか、こう、七福神のひとりみたいな、満面の笑みやけど常にどっか人殺しっぽいっていう。『うわ怖っ』って思わず僕叫んだんです。そしたらね、ドーナツの穴見つめたままやったんですけど、その猫がこっち見てきて、『はんぺん大御殿』って言ったんです。わけわからんじゃないですか。でも弟には大ウケで、『はんぺん大御殿♪ はんぺん大御殿♪』って歌いながら僕の周りを踊りはじめて、そしたらですよ、いきなりリビングの窓ぶち破ってびしょ濡れの相撲取りが───
えっ。なんの音?」
「おいおいおいおい。煮転がしの話がおもろすぎてコケてもうてるやん」
「ぐ。ぐえ……すいません」
「えっとー、きみはー」
「高崎、犬彦です。
終わった……。
俺のチャンス……。
俺の芸人人生……。
最悪だ……。
くそ、俺は、俺は……。がんばろうとしただけ。
はじめてのテレビ収録。はじめてのテレビ局。はじめてのひな壇。
しかも『◯◯の人たち』。目の前にいるのは、町田さかなさん。
意気込んで意気込んで、膝の上で握り締めていた手に力が入って、それで気づいたら前のめりになってたんです。ヤバいと思った時にはもう、体が前に倒れてました。ばあちゃん、ごめんなあ」
「いや、倒れたままめっちゃ喋るやん! どえらい空気やんけ。いやごめんなー煮転がしも、無茶振りしてもうて」
「……いえ」
「煮転がしならぬ本転びマンは大丈夫か?」
「本転びマン……? あ、俺のこと。はい。すいません……力入りすぎちゃって転んじゃいました……」
「あーそうなんやあ。緊張してもうたんかな? あるよな? そういうことも。な?」
「ほんとすいません。ごめんなさい……申し訳ないです」
「まあまあそう萎縮せんと。ごめんさっき聞いたけど、えっとー、きみはー」
「た、たっ、高崎犬彦です! 二六歳! カプセルトイ関連の会社に勤めていたのですが、二年前に退職、それと同時に芸能事務所ピリオドの芸人養成コースの門を叩きまして……」
「就職の面接か! ちょお待って自分この間なにしてたん。収録はじまってもう何時間も経つやんか。その堅苦しさは最初の一、二時間でやり尽くしたって」
「あの……俺……さかなさんに釣り上げてもらえたらなと思って……。でも、カットですよね。転んだところから含めて、ぜんぶ、俺の存在……」
「卑屈卑屈! 卑屈やわ! てかへえー、ピリオドって養成所あるんや」
「あ、はい。あの、自分の代からはじまったみたいで」
「へえー。こんなご時世になあ」
「ほ、ほん、ほんころびぃー! 本転びマンで──っす!」
「なんやそれ。座れ座れ、落ち着き。高崎犬彦っていうのは芸名?」
「本名です……」
「へえめずらしいなあー。え、由来はなんなん。おとうさんおかあさんはどう思ってその名前つけはったん」
「両親とも犬が好きで」
「素朴か。ちょっと、だれー今舌打ちしたん。めっちゃマイク拾ってんで。え、舌打ちしたん煮転がし? 自分らバッチバチやなあ」
「だってこいつ、僕の漫談の邪魔しやがって」
「わはっ。わはは。わははは」
「きみはけったいな愛想笑いすなー」
* * *
はじめてのテレビ出演で、うまいことを言えず転んでしまった犬彦。この収録は吉と出るか、凶と出るか――。
これまで描かれることの少なかった“ピン芸人”にフォーカスをあてた大前粟生の最新作『ピン芸人、高崎犬彦』。からっぽの芸人・高崎犬彦とネタ至上主義の芸人・安西煮転がしの10年間を追いかけることで、芸人にまとわりつく「売れること」と「消費のされやすさ」の葛藤を描く。
『ピン芸人、高崎犬彦』(著:大前粟生)は現在全国の書店、書籍通販サイト、電子書籍配信サイトで発売中です。