来年1月の生誕100年を前に、三島由紀夫が愛した店や旅行先、執筆場所や作品の舞台などを紹介するガイドブック『三島由紀夫 街歩き手帖』が、8月20日(火)に刊行されました。全三部構成で、現在も営業中の飲食店やホテル、観光地、風景を手がかりに、三島とその作品に迫る本書(一部、休業・閉店中のものを含みます)。第三部では遺作となった大作『豊饒の海』四部作の謎解きも試みられています。
わたしは作品論や作家論を、このガイドブックに託そうとしているわけではない。三島由紀夫の作家論や評伝は膨大である。それらに感銘をうけ、新たな発見に愕かされることも少なくなかった。これほど評者たちに愛された作家は珍しい。だがその多くは、評者たちの思想や哲学のなかで加工され、あるいは観念化・独自化されたものだ。その理由も、三島の仕掛けた「謎」の大きさによるのだ。そこで本書は、ひたすら作品の解説につとめることで、「謎解き」のための「事実」のみを明らかにしよう。言うまでもなくそれは、三島が語った「事実」である。
刊行を記念して、OHTABOOKSTANDにて、本文の一部を全6回にわたって公開します。ゆかりの地に行き、思いをはせる三島作品の新しい読書ガイドブックをお楽しみください。
タイトルの『豊饒の海』は月面の海(Mare Fecunditatis) の邦訳である。三島はこう書いてい
る。
「人類が月の荒涼たる実状に目ざめる時は、この小説の荒涼たる結末に接する時よりも早いにちがひない」「月のカラカラな嘘の海を暗示した題で、強ひていへば、宇宙的虚無感と豊かな海のイメーヂとをダブらせたやうなもの」(宣伝用の文)。
アメリカのアポロ計画が、人類の月面への足跡を現実のものにした時期である。宇宙的虚無感と豊かな海であるという、アンビバレンツな世界観すらうかがえる。作品は第一巻の巻末にあるとおり、モチーフは『浜中納言物語』に典拠した、仏教的な輪廻転生の物語である。背景にあるのは大乗仏教の法相宗の教義、唯識説の世界観といえよう。
村松剛(『三島由紀夫の世界』)が指摘するところ、三島は二十歳のときの詩『夜告げ鳥――憧憬との訣別と輪廻への愛について』、二十一歳のときの『創作ノオト「盗賊」』において、滅びゆくものの永遠性を輪廻が保証する発想を得ていたという。この時期構想していた詩集のタイトルが、ほかならぬ『豊饒の海』だったのだ(『三島由紀夫と檀一雄』小島千加子)。
これら若いころの着想が『浜中』をくり返し読むことで熟成されたのである。『浜中』の作者は藤原定家によれば、菅原孝標の女(むすめ)である。人日に膾炙している『更級日記』の作者で、仏教的な世界観が共通している。それは生死を表裏とする人間存在への、諦観と希望のないまぜな世界観といえる。
三島が語るところをまとめてみよう。夢と転生が四巻の筋をはこぶ構成に、王朝風の恋愛小説の第一巻は「たをやめぶり」あるいは「和魂」を、行動小説の第二巻は「ますらをぶり」あるいは「荒魂」を。そして、エキゾチックで色彩的な心理小説の第三巻は「奇魂」を、第四巻は「幸魂」へと導かれてゆくもの、と三島は説明している(『決定版全集』35巻「豊饒の海について」)。モチーフについては、こう書いている。
「私はやたらに時間を追つてつづく年代記的な長編には食傷してゐた。どこかで時間がジャンプし、個別の時間が個別の物語を形づくり、しかも全体が大きな円環をなすものがほしかつた。私は小説家になつて以来考へつづけてゐた『世界解釈の小説』を書きたかつたのである。幸ひにして私は日本人であり、幸ひにして輪廻の思想は身近にあつた。」(前掲書)。
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文学には「住所」がある。
三島作品の舞台や執筆場となった、数々の店や場所、風景。
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