Case#02 一世一代、一得一失 『ぼくたち、親になる』第1章「悩める父親 子供ができて『困ってしまった』男たち」

ぼくたち、親になる

2025年10月9日に発売された『ぼくたち、親になる』(稲田豊史・著)から内容を一部公開。
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砂井修吾(年齢非公表)
砂井修吾さん(仮名)は自宅に事務所を構える個人事業主。勤めていた会社を十数年前に退職して起業し、現在に至る。業務の詳細は書けないが、本人の説明によれば「パソコ ン1台あればできる仕事ですが、ライターではありません」。
非常に弁の立つ人だ。あまりにも名調子なので、ラジオパーソナリティでもやっているかと、思わす勘ぐってしまった (やっていないそうだ)。 ただ、語彙は豊富だが無用に難しい言葉は使わない。やや抽象的な思考の軌跡も、平易な言葉の組み合わせと巧みなたとえ話によって、こちらの頭にスッと入ってくる。こういう人を「賢い」と言うのだろう。
砂井さんには1歳 (取材時点) のお子さんがいる。年齢は本人の希望で明かせないが、「人よりずっと遅く子供を授かった」というのが彼の認識だ。
妻、愛子さん (仮名) とは2年半ほど前に結婚。結婚後すぐに妊活して子供を授かったが、砂井さん自身は人生のある時期、彼曰く「まあまあの中年期」まで、子供が欲しいと思ったことはなかった。
なぜ、歳を重ねてから急に子供が欲しくなったのか。


ある夜の恐怖

ずっと、子供なんて一切欲しいと思っていませんでした。仕事は順調だったし、大いに飲み、大いに語れる友達も多かったので。

30代後半のとき、同棲中の彼女がいました。お互い子作り願望がなかったこともあって結婚の話は特に出ず。ふたりとも「自分たちには子供がいない生活が合っている」のは明らかでしたし、特に彼女のほうは、「私が母親になるなんて絶対無理、あり得ない」などとよく口にしていました。

ところが、同棲を始めて2年くらい経ったある週末の夜に、ものすごく怖くなったんです。自分の、これからの人生が。

年齢的に、男性更年期障害かと思いました。うつ病を発症するケースもあると聞いていましたし、その少し前から肉体の衰えも自覚し始めていたので。とにかく、思い詰めました。

そこで考えました。自分はいったい何がそんなに怖いのかと。思いついたことを夜中じゅうスマホのメモに書きつけた結果、たどり着いたんです。

自分が恐れているのは、「同一局面が永遠に続く地獄」であると。

同一局面が永遠に続く地獄

誤解してほしくないんですが、彼女のことは大好きでした。共同生活は楽しかったし、お互い経済的にも精神的にも自立していて、喧嘩もなく穏やかな関係だったと思います。夜の営みはほとんどなくなっていましたが、険悪だったわけじゃない。

でも、「この生活が、この状態のまま、死ぬまで続く」のが、ちょっと、つらいって思ったんですよ。

いや、ちょっとどころじゃない。相当厳しいなって。

たとえばですよ、高級ホテルで出される朝ごはんの献立を想像してください。ふかふかのパン、カリカリのベーコン、半熟の目玉焼き、新鮮なサラダ、れたてのコーヒー。すごくいいですよね。だけど、これを毎日3食、この先40年間ずっと食べ続けることが今から決まっていて、変えることができないとしたら、どうでしょう。気が重くなりませんか。

一時的に神経が参っていたのかもしれません。だけど、一度その恐怖が頭をもたげると、もう忘れることはできなくなりました。

このまま、この間取りの、このマンションで、この彼女と、あと30年だか40年だか、ずっと同じ生活が続いていくことには耐えられない。文字どおり気が狂いそうになりました。

「同じ生活」というのは、説明が必要ですよね。新しい趣味を持つとか、旅行に行くとか、引っ越すとか、思い切ってまったく別の仕事を始めるとか、なんならパートナーを変えれば「同じ生活」から脱却できるのでは、という反論があるかもしれません。

でも、そういう次元の話じゃなかったんです。

ヒトとしてのピークはもう過ぎている

あの晩、気づいたんです。僕はもう、人生の折り返し点を過ぎていると。

あと何年生きられるかという話ではなくて。人間として発揮できるパフォーマンスというか、何か新しいことを思いつく発想力というか、全能感や多幸感を謳歌できる生命力というか、そういうものが明らかに下り坂にある。いわゆる「人生におけるピーク」が明らかに過ぎていると悟りました。認めたくない事実でしたが。

これから先は、今まで蓄積してきたもの、重ねてきた経験の、いわば「投資の回収作業」が、人生における活動の中心になるんだろうなと。

生き物が、種としてのヒトが、本来持っている能力値の飛躍的な伸びはもう頭打ちで、その衰えは、もはや過去の経験でカバーするしかない。仕事にたとえるなら、もう最前線部隊ではなく、「予想の範囲内」で事を進める管理ポジションに就いたようなもの。発想力や行動力ではなく、人脈や経験値で仕事をするフェイズに片足を突っ込んだ、ということです。

仕事のことだけじゃない。仲のいい友人と飲みながら話していても、20代の頃みたいに、腹を抱えて心の底から笑うことがなくなりました。我を忘れるほど愉快な気分になることも、数年来、なくなっていました。どこかに冷静な自分がいて、心が激しく揺さぶられないよう常に制御している感じ。

舌鋒ぜっぽう鋭い論客系の友人たちと話していても、「今、俺たち、世界の真実を言語化できたんじゃないか?」みたいな感覚は久しく味わえなくなっていました。きっと彼らも同じように感じていたはずです。

比較的盛り上がるのは、基本的に過去の話です。自分の過去の業績についての自慢話や苦労話、自虐話から笑いに落とすのは定番。世の事件やトレンドについても、過去との比較でしか話さなくなりました。酒が回ってちょっと気を抜けば、すぐに世代論で価値観をひとくくりにしてしまう。お手軽でテンプレで予定調和。未来については、皮肉や厭世えんせいでお茶を濁すのみ。

年を取ったということです。自分も、友人たちも。

僕の気が狂わないための、唯一の方法

彼女との関係性についても同様です。彼女は僕の少し年下でしたが、僕よりも精神的には大人で、成熟していて、安定していて、自律的でした。でも、友人だった時期から数えると、当時からして10年近くの付き合いになっていましたから、いい加減、パーソナリティの新たな一側面を発見したとか、新しい魅力や資質を掘り起こした、あるいは僕が掘り起こされた、みたいなこともなくなっていました。

いや、不満はなかったんです。すべてが平穏な生活ではありました。

でも、「自分の人生が自分で制御できすぎていること」「この先、予想外の変化が起こる気がしないこと」を予感した途端、心がものすごくつらくなってしまったんです。根本的なところでは変化しようがない「この平穏さ」が、あと30年、40年続くのは耐えられないと、あの晩に突然思ってしまった。

「ほかの人はどうしてるんだろう」と心に問うた瞬間、答えが出ました。

子供を作ればいいんだと。

子供というのは文字どおり、日々成長という名の変化をします。しかも、どう育つかなんて親は前もって予想が立てられない。毎日の生活はものすごく振り回される。仕事も趣味も、すべてが思い通りにいかない。

それが苦痛だ、大変だ、という声は周囲の家庭持ちからたくさん聞いていましたが、それによって親側の人生にものすごい「うねり」が生まれる。翻弄される。予測不可能な変化が生じる。同一局面が永遠に続く人生の地獄から脱することができる。

それが僕の望みなんだと悟りました。子供を育てる人生にシフトする。それが僕の気を狂わせない唯一の方法であると。

自分が死んだら“途切れる”

もし、このまま子供のいない人生を送ったらどうなるか? 突き詰めてシミュレーションしてみると、新たに別の恐怖が襲ってきました。自分が死んだら〝途切れる〟ってことです。このまま、自分が「次の時代につながる人」をこしらえないまま消え去ることの寂しさ、といいますか。

「砂井家」を途切れさせたくないとか、ご先祖に申し訳ないとか、そういう気持ちは微塵もありません。もっと根源的な、自分という存在が死によって消滅したらそこで〝終わる〟という当たり前の事実が、とてつもなく怖くなったんです。

同世代の友人にその悩みを話してみたことがありますが、あまりピンときていませんでした。第一声は「血族を絶やしたくないってこと?」でしたが、まったくそうじゃない。その後「帰属意識みたいなこと?」と解釈されたんですが、それも違う。

色々と言葉を尽くしましたが、いまいちうまく伝わらない。それでもっと卑近な体験談で説明しました。僕が10歳くらいの頃、同居していた祖父が亡くなったときのことです。僕は生まれて初めて、「間もなく命が絶える人」の病室に同席しました。

長らく入院生活を送っていた祖父が、もうそろそろという状況になったので、両親と姉、叔父一家とともに最後のお別れを覚悟して病室に入りました。記憶がおぼろげですが、弱りきった祖父は体中に管みたいなものを這わされていたと思います。家族も叔父夫婦もさめざめと泣いていて、祖父もまた、別の種類の涙を浮かべていました。もう、く覚悟ができていたんでしょう。

大人たちはひとりずつ順番に祖父の手を握り、「ウン、ウン」なんてボロ泣きしながら、祖父が絞り出す言葉にならない言葉にうなずいていました。意識が朦朧もうろうとしかけていた祖父は、もはやまともにコミュニケーションが取れる状態ではありません。でも笑顔とは言わないまでも、すごく安らかな表情を浮かべていたように見えました。

病室を出ると、叔父に言われました。「修吾君、ありがとうな」。そのときはお礼の意味がわからなかったけど、今ならなんとなくわかります。

自分がいなくなった世界に、自分の子が参加し続ける

これ、単純に「血縁者たちに囲まれて看取られるのはいいもんだ」みたいな話で雑に処理してほしくないんですよ。親と折り合いの悪い子だってたくさんいるので。そうじゃないんです。

自分が死んでもこの世界は続いていくのは当たり前ですが、それってすごく酷なことだと思うんですよ。自分がもう「参加」できない世界が、自分が死んだところでなんの不都合も過不足もなく、この先も当たり前に続いていく。その事実を受け入れるのって、けっこう大変じゃないですか。

でも、自分の命がもうすぐ消えると悟ったとき、自分がいなくても続いていく世界に、自分の血を分けた存在が「参加」していることが確認できたら、わりと安らかに死ねるんじゃないかと思ったんです。祖父の安らかな表情の理由は、それだったんじゃないかって。直近の未来を生きる子供たちはもちろん、さらにその先の未来を生きる孫までいるんですから。

子供や孫が病室で実際に看取ってなくてもいいし、究極、折り合いが悪くて疎遠であってもいい。そういう次元の話じゃない。自分という存在の一部、それをDNAとか遺伝子とか、なんと呼んだっていいけど、自分が消滅したあとも別の生命体の一部として存在し続けるという事実が、そう信じられること自体が、衰えて消え去る自分をものすごく「救う」んだろうなと直感したんです。

「自分がいなくなった世界に参加を続ける別の生命体」が、パートナーではだめなんです。パートナーというのは自分と同じ世代の他人であって、どれだけ心が通っていたとしても、次の時代に自分の存在の一部を持ち越す存在にはなり得ない。仮にうんと年下のパートナーだったとしても、です。年齢の問題というよりは役割が違う。機能が違う。

たぶん、これが正解

こういう考え方って結局、大昔から俗に言われている「家族は大事」とか血縁のなんたるかみたいな話にすべて回収されるのかもしれませんが、僕にはわかりません。ただ、僕は誰からも教わらず、何かの教義に頼るでもなく、自力でこの結論に達しました。ああ、たぶん、これが僕にとっての正解だって。

でも、同棲中の彼女には言えませんでした。何をどう説明すれば理解してもらえるかわからなかったし、説明の仕方を間違えれば、ものすごい不信感を抱かれるでしょう。そもそも彼女には子作り願望がない。だから、飲み込みました。

彼女とはその少しあとに別の理由で同棲を解消して別れ、僕は子作り願望のある女性と結婚しましたが、子供ができないまま離婚しました。離婚の理由は……ここでは勘弁してください。

だから、今いる子供は、再婚したふたり目の妻との間にできた子なんです。待望でした。

「早く子供を作って、子育てしたい」

前の妻と離婚してすぐ、再婚のために動きました。目的は明確で、前の結婚では叶わなかった子供が欲しかったから。結婚相談所やマッチングアプリには頼りたくなかったので、友人が開催する会食やホームパーティー、バーベキューなどに、積極的に参加しました。

ただ、結婚相談所やマッチングアプリは結婚に際しての希望や条件──僕の場合は「子供が欲しい」──を前もって明示・確認できますが、友人の紹介や会食でそうはいきません。今のご時世、初対面で独身かどうかを聞くのすらマナー違反ですし、恋人の有無や結婚願望、ましてや子供が欲しいかどうかなんて、とても切り出せない。もどかしい日々が続きました。

今の妻、愛子と出会ったのは、ある会食の席です。彼女は今まで僕が交際してきた「僕と同じ匂いのするサブカル系」とはまったく違うタイプの女性でした。

体育会系で快活、体型はややふくよか。彼女曰く「昔は渋谷でガングロのコギャルだった」。サブカル知識はまったくないけど、なんというか、ものすごく地頭のいい、賢い人でした。

まったく未知の分野の話題も、言葉を尽くして説明すればすぐに勘どころをつかんでくれる。それでいて、愛子自身も話がうまい。論点はいつも整理されているし、平易な言葉だけで抽象的な概念も表現できる。語彙が多いわけではないのに、表現力が豊か。でも決して、うるさいおしゃべり屋じゃない。

社交的だけど出しゃばらない。奥ゆかしくて気配りもできる。酒の飲みっぷりも気持ちいい。すごく話したくなるし、話を聞きたくなる。同性の友達も異性の友達もたくさんいる。ああ、いいなあ。こんな人と一緒に人生を歩めたらなあ、なんて思ってたら、なんの話の流れだったか、彼女が唐突に言ったんです。

「私、早く子供を作って、子育てしたいな」

至福の日々

彼女との交際は、それはもう至福でした。趣味や生きてきた道のりがまったく違っていても、心を込めて言葉を駆使すれば、人と人とはここまで深く理解し合える。ここまで喜びに満ちた会話ができる。

前の妻やその前の同棲相手とは、映画や本や芸術鑑賞の趣味が合うことで意気投合したのが交際のきっかけでした。でも、愛子との会話に感じる喜びは、ふたりを遥かに凌駕していたんです。

前妻や同棲相手がもたらしてくれたのは「似た者同士が一緒にいることで得られる快感」ですが、愛子は違いました。会話によって異なる価値観をすり合わせ、相手を否定することなく理解度を高めていく。この過程が、とてつもなくエキサイティングで、多幸感にあふれていました。

この感覚、わかりますか? 自分という存在は一切侵されることなく、むしろ最高に尊重された状態のまま、世界の捉え方が劇的に変容していく。世界の奥深さを発見する。生涯の伴侶と生涯の親友と生涯のメンターを、同時に手に入れた気分でした。

絶え間ない言葉のセッションによって僕と愛子は結ばれていました。僕は愛子と話をするのが大好きで、寝ているとき以外は1分でも時間があれば彼女と会話がしたいと常に思っていました。いま僕が感じたことを、いま伝えたい。可能な限りの高い解像度で。言葉を尽くしたい。費やしたい。

目が覚めて、まず愛子と会話するのが楽しい。仕事を終えて、今日あったことを愛子に話すのが楽しい。時間なんて気にせず、互いの考えを理解し、議論し、通じ合う。これが僕たちの喜びであり、愛でした。

飽きることもむこともない日が続きましたが、結婚して子供ができたことで、その喜びは失われてしまいました。

育児にすべて奪われた

乳幼児のいる家庭はどこも同じだと思いますが、夫婦のすべての時間を育児に取られました。誇張はありません。「すべて」です。

愛子自身の希望で彼女は妊娠を機に仕事を辞め、専業主婦として子育てに専念しました。当然ながら、彼女の全神経は100%子供に向きます。ぐずればあやし、おむつを替え、ご飯を作り、授乳し、寝かしつける。

朝から晩まで言葉の通じない乳幼児の世話をするのは、並大抵以上の忍耐力と精神力がなければできません。頭が下がります。それでいて彼女は僕に、私の分まで稼いでくれてありがとうと言ってくれました。涙が出ます。

だけど、かつて僕と愛子の間にあった濃度の高いコミュニケーションが入り込む時間的・精神的余地は一切なくなりました。会話と言えば、育児まわりの事務的な伝達事項のみ。あの素晴らしい、芸術的で至福の、言葉のセッションは失われてしまった。

子供は1歳から保育園に通い出し、送り迎えは僕が担当。愛子は時短勤務の仕事に復帰しましたが、状況は戻るどころか悪化しました。とにかく会話する時間がない。

夜、子供を寝かしつけてから夫婦の時間を作れるという人もいます。ただ、仕事復帰後の愛子は朝がとても早くなったので、子供を寝かしつけたらそのまま寝てしまいます。週末は溜まった家事を手分けして片づけるので、やっぱり落ち着いて話せる時間がありません。

会話の解像度が下がる不快

日々、愛子と話をしたくてたまらない。さっき見聞きしたこと。そこで感じたこと。ふと湧き起こった感情。愛と感謝。でも、それを話す時間が、伝える時間が、信じられないほど確保できないんです。5分としてゆっくり話せない。

時々、本当にごくまれに、週末、子供がリビングでひとり遊びに没頭しているとき、愛子と話すチャンスが訪れます。だけど、かつてのように長考して「これしかない」という言葉をひねり出し、それらを丁寧に編み、綴り、彼女に投げかけ、僕の言葉を心いっぱいに染み込ませた彼女が、さらにじっくり練り上げた至高の言葉を返す、といったやりとりはできません。

ほかの家の子のことはわかりませんが、うちの1歳の子が、親のいる空間で注意を親以外に向けていられるのはほんの数十秒、長くて1、2分です。愛子とは、その合間を縫って手早く情報のやりとりをするのが関の山。いきおい、言葉のチョイスも組み合わせも雑になります。会話の解像度が著しく下がりました。これが耐えがたく不快なんです。なんなら醜悪ですらある。

1、2分を過ぎれば、子供は親にかまってもらいたがって大声を上げるか、抱っこをねだります。そこで夫婦の会話はぶった切られる。もう戻りません。たとえるなら、絶え間なく動き回る元気な子犬がいる部屋で、数千個のドミノを並べようとするようなもの。どだい無理な話なんです。

気持ちは流れ、戻らない

数年後、子育ての大変な時期が一段落するまで待てばいいじゃないかという人もいるでしょうね。でも、待てません。その瞬間に沸き起こった気持ちは、その瞬間だけのものです。その瞬間の言語化と伝達に意味がある。そのときを過ぎれば気持ちは「流れて」しまい、もう戻りません。二度とその形にはならない。卵を割って中身を一度かき混ぜてしまえば、絶対に元に戻らないのと同じです。

ある平日の夜、けっこう大事な、ふたりの人生設計の話をしたいと思ったことがあります。日中に仕事でとある大きな出来事があり、その話がしたかったし、愛子の意見も聞きたかった。どうしても、その夜に。その夜でなければいけなかった。後日ではダメなんです。

子供はそろそろ寝る時間。愛子が寝かしつける前に話しておかなければ、妻も寝てしまう。それで、歯磨きを終わらせた子供がまったりしているのを見計らって、妻に話しかけました。

今回はうまく伝わりそう。そう思った瞬間、子供がぐずり出しました。愛子はぐずっている子供を1秒たりとも放っておけないたちなので、すぐに歩み寄ってあやし始めました。

愛子はそれでも、僕に「話、続けてくれていいよ」という目配せをしてくれましたが、続けるのは無理でした。子供が大声で騒ぎ、愛子がよしよしと言っている状況で、コミュニケーションの精密さなんて望めない。

とても大事な話です。狙った精度で伝えられないし、伝わらないのなら、話す意味がない。僕は一気に気持ちが失せ、「あ、もう大丈夫」と言ってしまいました。その夜にしか、その夜なればこそ100%伝えられそうだった僕の気持ちは、「流れて」しまったんです。

話す時間がないならLINEすれば、と友人に言われたことがあります。実際、その夜に話したかったことは、LINEの長文で伝え、愛子からもちゃんとした返事が来ました。

でも、そういうことじゃない。

僕は、愛子と話したかったんです。テキストではなく、言葉を交わしたかった。時間制限なしに、心ゆくまで。愛子とのそういう時間がとても愛おしかった。そういうことができる愛子がとても愛おしかった。

父が母に買ったケーキのこと

もちろん子供はかわいいですよ。目に入れても痛くない。もし僕の目の前で通り魔が我が子を襲おうとしたら、迷うことなく盾になって代わりに刺されます。

ただ、最近思い出したことがありました。僕が7歳だか8歳くらいの頃の話です。

ある日、父が母の誕生日にホールケーキを買ってきました。あとで知ったことですが、そのケーキは母が前々から食べたいと父に言っていた有名なケーキ屋のものだったそうです。帰宅した父は、祖父、母、姉、僕の前でうやうやしくケーキの箱を開けました。

父は「お母さんの誕生日ケーキだから、お母さんに一番いい場所を食べてもらおう」と言って、自ら果物やデコレーションが集中している場所を切り分けて母に差し出しました。

だけど、僕はどうしても母のピースが食べたくなってしまい、母にねだったんです。すると優しい母は、嫌な顔ひとつせず僕にそれを譲ってくれました。

僕は喜々としてがっつきましたが、食べている途中に父を見ると、明らかに機嫌を損ねた表情をしていたのを、強烈に覚えています。父がポツリと発したひと言は忘れられません。

「母さんに買ったんだ」

僕はそれから長らく、父のその態度が理解できませんでした。理解できないというより、「なんて大人げない、器の小さい人だ」とすら思っていました。

でも、今はよくわかります。子供がかわいいとか、かわいくないとかとは、まったく別の次元の話です。父の心が小さいだなんてとんでもない。すごく人間的で、母に対する愛がとても大きい人だった。だからこそ、つい大人気なく、としも行かない息子に苛立ってしまった。

父は典型的な昭和の厳父で言葉の少ない人でしたが、僕に手を上げたことは一度もありません。家族に不機嫌をぶつけたこともない。人格者です。

そんな父でさえ、妻への愛の形を息子に食べられてしまったことの残念さが、つい顔と言葉に出てしまった。「母さんに買ったんだ」。この言葉が発されたことの意味は、今の僕にはとてつもなく重いんです。

ある恐ろしい可能性

僕は愛子という生涯最高の友と交流する至福を、子供を作ることによって失ったんです。この喪失感は、今までの人生で体験したことのないものでした。

今でも愛子への愛や信頼は揺らいでいません。だけど最愛の妻との、あの芸術的な結びつきはもう戻らない。「恋人と結婚相手は違う」の意味を、今までよりずっと我が事として思い知りました。

実は生まれて始めて、ある恐ろしい可能性について想像することができました。「ああ、こういう残念さの延長上に、妻以外の人と濃密な関係を結びたくなる気持ちが生まれるんだな」と。無論、僕はそんなことはしません。しないけど、する人の気持ちを、初めてリアルに想像できたんです。

濃密な関係というのは、恋人的な初々しさとか、肉体関係を結びたいとか、そういう低級なものではありません。もっと「話」がしたいってことです。深度のある、時間をかけた、丁寧で、解像度の高いコミュニケーションがしたいってことです。

そういうことを子持ち夫婦の間で求め合うのは、贅沢なのでしょうか? そんなことを望むのだったら、最初から子供など作らないほうがよかったのでしょうか?

ノイズとしての「子はかすがい」

会社勤めだった独身時代、僕にまだ子供願望がなかった頃、ふたりの同僚からこんな話をされました。ひとりは後輩の既婚男性。当時、子供が生まれたばかりでした。

「うちは夫婦仲が最悪だったけど、子供を作ったことで安定したんですよ。僕も妻も相手への期待感や失望感みたいなのが一掃されて、子供に全リソースを注ぐようになったからです。相手を嫌いになっている暇がなくなりました。砂井さん、もし結婚して夫婦仲がギクシャクし出したら、子作りおすすめです」

もうひとりは同世代で離婚経験者の女性。子供はなし。学生時代の元彼に会ったらこんなことを言っていた、という話でした。

「彼、五大商社のひとつに入社して、20代のうちに一般職の女性と社内結婚したんだけど、高級取りだから奥さんは働く必要がなくて、専業主婦になったんですって。だけど奥さん、毎日やることがなくて暇だし、彼は毎日深夜まで帰ってこないからってどんどん鬱屈して、彼への風当たりが強くなった。それで彼の出した答えが、子供を作ること。子供を作ったら一気に安定したって言ってた。彼曰く『嫁にいいおもちゃを与えられた』だって」

ふたりとも「子供を作ったら夫婦が安定した」って話です。嫌な言い方をするなら、不仲な夫婦ほど、小さい子がいると「まぎれる」って話です。

この安定って、いわゆる「子はかすがい」のかすがいのことですよね。木材と木材をつなぎ止めておく金具。でも鎹が必要なのは、自然状態でふたつの木材がくっついていないときですよね。木材同士に綺麗な切り込みが入っていて、そのみ合わせによって完璧にくっついているんだったら、鎹ってむしろ余計じゃないですか。ノイズでしかない。

だからね、もともと〝完璧に仲のいい夫婦〟が、その状態のまま、〝完璧に仲のいい夫婦〟であり続けたいなら、子供なんか作っちゃだめなんですよ。

子供を作ったことを後悔してはいません。一得一失いっとくいっしつを受け入れています。物事、あっちを手に入れたいなら、こっちを手放す必要がある。

それに、子供がいない人生になるかもしれなかったときに襲ってきた圧倒的な恐怖、今思い出しても心臓がバクバクする地獄の日々を思えば、今は天国みたいなものです。

筆者について

1974年愛知県生まれ。ライター、コラムニスト、編集者。横浜国立大学経済学部卒業後、映画配給会社のギャガ・コミュニケーションズ(現ギャガ)に入社。その後、キネマ旬報社でDVD業界誌の編集長、書籍編集者を経て、2013年に独立。2022年に刊行した『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』(光文社新書)が話題となり、新書大賞2023で第2位。他の著書に『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)、『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』(PLANETS)、『「こち亀」社会論 超一級の文化史料を読み解く』(イースト・プレス)、『ぼくたちの離婚』(角川新書)、『こわされた夫婦 ルポ ぼくたちの離婚』(清談社Publico)、『ポテトチップスと日本人 人生に寄り添う国民食の誕生』(朝日新書)、『このドキュメンタリーはフィクションです』(光文社)などがある。

  1. 第1回 : Case#01 仕事ができない 『ぼくたち、親になる』第1章「悩める父親 子供ができて『困ってしまった』男たち」
  2. 第2回 : Case#02 一世一代、一得一失 『ぼくたち、親になる』第1章「悩める父親 子供ができて『困ってしまった』男たち」
『ぼくたち、親になる』試し読み記事
  1. 第1回 : Case#01 仕事ができない 『ぼくたち、親になる』第1章「悩める父親 子供ができて『困ってしまった』男たち」
  2. 第2回 : Case#02 一世一代、一得一失 『ぼくたち、親になる』第1章「悩める父親 子供ができて『困ってしまった』男たち」
  3. 『ぼくたち、親になる』記事一覧
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