来年1月の生誕100年を前に、三島由紀夫が愛した店や旅行先、執筆場所や作品の舞台などを紹介するガイドブック『三島由紀夫 街歩き手帖』が、8月20日(火)に刊行されました。全三部構成で、現在も営業中の飲食店やホテル、観光地、風景を手がかりに、三島とその作品に迫る本書(一部、休業・閉店中のものを含みます)。第三部では遺作となった大作『豊饒の海』四部作の謎解きも試みられています。
わたしは作品論や作家論を、このガイドブックに託そうとしているわけではない。三島由紀夫の作家論や評伝は膨大である。それらに感銘をうけ、新たな発見に愕かされることも少なくなかった。これほど評者たちに愛された作家は珍しい。だがその多くは、評者たちの思想や哲学のなかで加工され、あるいは観念化・独自化されたものだ。その理由も、三島の仕掛けた「謎」の大きさによるのだ。そこで本書は、ひたすら作品の解説につとめることで、「謎解き」のための「事実」のみを明らかにしよう。言うまでもなくそれは、三島が語った「事実」である。
刊行を記念して、OHTABOOKSTANDにて、本文の一部を全6回にわたって公開します。ゆかりの地に行き、思いをはせる三島作品の新しい読書ガイドブックをお楽しみください。
海産物商・運送業として、文政元年の創建。屋号の由来は、下賀茂神社の境内にある比良木神社であるという。二〇〇年の歴史を持つ旧館は、古くから皇族や文人が訪れ、川端康成の紀行文(旅館のHPで読める)が残されている。
三島が初めて訪れたのは十三歳のとき、大阪勤務だった父が松茸狩りに呼んだものだ。大蔵省の入省後の昭和二三年、世界文学社主催の講演で京都に一週間滞在。このときは蘭の間に泊まっている。門限のきびしい柊屋の庭から築地塀を外に出て、新京極でショートケーキと紅茶をはしごした。
ところが柊屋には堀があり、築地塀は外側からは入れなくなっていた。番頭にもとぼけられて、入れずに困っていたところ、折よく世界文学社の社長がクルマで通りがかり、旅館のなかに入ることができたという。そのころの三島は、まだ大蔵省職員と作家の二足のわらじで、作家になることを許さない父とよく衝突していた。
家族とともに訪れたのは、昭和四五年の十月末。最後のファミリートラベルは、旧館の33号室に宿泊。当時の仲居さんの案内で、子どもたちと一緒に、終わりかけの松茸狩りを楽しんだという。そのとき、三島はなじみの仲居さんに子供のことを相談し、その答えに安心したと口にしている。
『金閣寺』のモデルと風景
代表作とされる『金閣寺』は一人称小説でもあり、かなり難解で陰鬱な作品だ。
主人公の性的な鬱屈は『仮面の告白』の延長にも思える。『金閣寺』がいっそう深刻なのは、人間的な感情を他者とのあいだに確認できない、主人公の自分の喪失である。
それもあってか、わたしは主人公(溝口)が告白する心象風景を、三島にしては短く読みやすい文体にもかかわらず、あまり愉しく読んだ記憶がない。吃音ゆえに、人に理解されない主人公の魂は、人生の明るい表面に対して無資格を自覚させる。彼の実家は荒涼とした岬の村の寺、死をつかさどる異形の家なのである。
そして柏木という能弁な告白者が、吃音の主人公に代わって、世界と和解できない存在を代弁する。魅力的な異性を得ても、けっして彼らに明るく表象される救いは、もたらされないのだ。
三島文学を評するならば、ぜったいに『金閣寺』よりも『豊饒の海』四部作をという推奨も、この作品の暗さにある。とはいえ、美学というものがどんな実体であるのかをしめす、格好の上級入門書である。
美というものが外観からではなく、見る者の側の内部から発生することを、誰にもわかりやすく理解させる。そして節目ごとの修辞や主人公の解説はみごとで、たとえようもなく読む者を惹きつける。それはつぎのような象徴的な描写に顕われる。
「月は不動山の外れからのぼった。金閣は裏側から月光をうけ、暗い複雑な影を折り畳んで静まり、窮竟頂の華頭窓の枠だけが、月の滑らかな影を辷らせていた。窮竟頂は吹抜けなので、そこには仄かな月明りが住んでいるように思われた。」
主人公が初めて金閣を訪れた日、薬石(夕食)が終わったあとに月が出たので、父親を誘って拝観しているところだ。
王人公はじつは、金閣に失望していたのである。
「私はいろいろに角度を変え、あるいは首を傾けて眺めた。何の感動も起らなかった。それは古い黒ずんだ小っぽけな三階建にすぎなかった。頂きの鳳凰も、鴉がとまっているようにしか見えなかった。美しいどころか、不調和な落着かない感じさえ受けた。美というものは、こんなに美しくないものだろうか、と私は考えた。」
その後、幼いころから父に語られた金閣の美しさが、ふたたび主人公の夢想の中によみがえる。かれにとって金閣は、心象の美にほかならなかった。
やがて戦争によって焼滅ぼされる危機が、金閣の生きている証となって感じられる。心象のなかの美しい金閣は、現実の危機として美しく感じられてくるのだ。
「明日、天から火が落ち、その細身の柱、その優雅な屋根の曲線は灰に帰し、二度と私たちの目に触れないかもしれない。しかし目の前には、細緻な姿が、夏の火のような光を浴びたまま、自若としている。」
やがて金閣が戦災で焼け落ちることだけが、主人公にとってはひそかな夢になってゆく。かれは滅びゆく金閣の美に囚われてしまったのだ。そしてつぎには、かれをふたたび三度、世界から隔てる。かれが生きるためには、世界を破局させるには、何をすればよいのか……。
この問いは、ある計画へと結晶する。その実行過程における主人公の息づかいは、あたかも市ケ谷蹶起の計画にのぞむ、三島そのものではないかと思えてくる。
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文学には「住所」がある。
三島作品の舞台や執筆場となった、数々の店や場所、風景。
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