太川・蛭子の路線バス乗り継ぎ旅 蛭子が振り返る「酷い夕飯事件」

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2007年に始まったテレビ東京の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」は、1月3日放送分で19回を数える人気シリーズとなった。この番組の最大の魅力は、時に目的地に到着しないことさえあるガチンコぶりだが、ガチゆえにどんな辛いことがあったのだろう? リーダーの太川陽介さんと共に全国を旅してきた蛭子能収さんはこう語っている。

「ガチとは言えど、まだまだ最初の頃はゆるかったんです。県境ってバスが通ってないことが多いんです。それはもうしょうがないじゃないですか。だから、タクシーで行っていいですかと聞いて、ちゃんとスタッフの許可をとってタクシーで行っていたんです。

ところが視聴率がだんだん良くなってきてから、批判の声が色んなところから聞こえてくるんですよ。バスの旅なのにタクシーを使うのはどういうことだとか。それでタクシーが中止になりました。では歩くしかないということになり、歩き始めたんです」

そんな経緯もあって、過去の回では15キロ以上の距離を歩いたこともあったこの番組。それ以外にも撮影期間中に台風や吹雪が直撃したこともあったが、とりわけ印象に残っているハプニングは何だったのだろう?

「一度、四国の高知県を回っているときに、宿に夜遅くついたんです。もうこれ以上バスがないというほど辺鄙なところだった。でも、宿自体は大きな宿だったんです。観光地化されていて、いろんな施設もあったんです。けれども周りにレストランが一軒もなかったんです。どうしようかと思って、泊まっているホテルに聞いてみたんですが、ホテルも食事が終わってしまっていたんです。そのときは夕飯をインスタントラーメンで過ごしました」

しかし、「これはあんまりたいしたことじゃないかな(笑)」と語る蛭子さん。まだまだ苦労話は色々とありそうだが、全国を回るうちにその思い出は吹き飛んでしまったようだ。

◆ケトル VOL.22(2014年12月12日発売)

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。