早稲田?慶應?明治? かつて京都にあったのはどの大学?

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4月13日発売の雑誌『ケトル』は、特集のテーマとして京都をピックアップ。「京都が大好き!」と題し、京都市内の気になるスポット、お店、食べ物、文化、風習などを紹介している。今回取り上げるのは“大学”。京都といえば、観光都市としての顔を持つ一方、京都大学、同志社大学、立命館大学など数多くの大学が立ち並ぶ学問の街だが、誰もが知るあの大学が京都にあった!?

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歴史に興味がある方ならご存知かもしれないが、京都府庁の旧本庁舎は『八重の桜』で綾野剛演じる松平容保が京都守護職として采配をふるった場所。今は重要文化財に指定されている庁舎が建っているが、目指すべきは正門の左で警備員が詰めている「保安室」の裏手だ。

茂みに隠れるようにして佇む記念碑に刻まれた文字を読めば、「明治七年京都慶應義塾ノ在リタル故跡ナリ」。全国約32万人の塾員の方々にとっては当たり前の存在かもしれないが、1858年(安政5年)に江戸で慶應義塾を開いた福澤諭吉先生は、その16年後にこの場所で、地方の学生のためにもうひとつの慶應義塾を作っていたのだ。

当時の京都府知事・槇村正直の希望によって建てられた京都慶應義塾は、結局1年間しか存在しなかったものの、「文化発達の歴史上之を堙滅に帰せしむるに忍びず」(記念碑より)、碑が建てられたのだとか。大正・昭和両天皇の即位の礼では内閣の閣議も行われた旧庁舎の正庁は結婚式の会場として使うことも可能で、旧本館の中にある旧知事室や正庁は、祝日と年末年始を除く月~金の10時から17時まで開放されている。

※京都慶應義塾跡 京都市上京区藪之内町(地下鉄「丸太町」徒歩10分) 開門時間8:00~18:00(土日祝は「東門」から敷地内に入れます)

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ケトル VOL.12

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。