福島在住のアーティスト・片平里菜 あえて福島で活動する理由とは?

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2011年に開催されたロック・フェスティバル「閃光ライオット」で審査委員特別賞を受賞した片平里菜は、その数カ月前に“FUKUSHIMA”の名を全世界に知らしめてしまった東日本大震災の被災地・福島県で1992年に生まれたアーティスト。メジャーデビューが決まった現在も福島を拠点に活動する彼女には、東京に行くという選択肢はなかったのだろうか? 現在発売中の『クイック・ジャパン』vol.107で、彼女はこう語っている。

「(2011年に高校を卒業する時は)東京に行くという選択肢がありましたね。その時はもうプロの歌手になるんだって決めてはいたものの、同級生がみんな進学や就職で地元を離れるなか、私はどっちの道でもないわけで、何処か福島に取り残された感じもあって、焦ったりもしていて……早く上京したいって思っていました。ただ、震災以降、考え方が変わって。逆にここにいたいなって、ここから発信できたらなって気持ちが強くなったんです」

自宅も断水したり、庭の放射線量が上がったりしたものの、「むしろ、テレビで観る映像がショックで、何もできないもどかしさが苦しかった」と語る片平。そんな彼女が、10代のみが参加するロック・フェスティバル「閃光ライオット」のオーディションで審査委員特別賞を受賞したわけだが、どんな気持ちで大会に臨んだのだろう?

「最初、応募したのはそこまで意気込みがあったわけではなくて、震災の中、経済力もないし、音楽の仕事ができるきっかけになったら……といった程度の考えだったんです。実は、あんな大変な状況だったんで、開催を見送る話も出ていたらしいんですけど」

そして現在、地元の『安斎果樹園』を手伝いながらアーティスト活動をしている彼女は、震災をきっかけに「本当の意味で、福島が好きになれました」と、今の心境を説明。「今は福島は、“片平里菜”の原点だと思っています」と語っている。

◆『クイック・ジャパン』vol.107(2013年4月12日発売/太田出版)

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『クイック・ジャパン』vol.107

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。