日本アニメ誕生100年 初めて「動く絵」を見た当時の人々の反応は?

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2月14日発売の雑誌『ケトル』は、特集のテーマとして「日本のアニメ」をピックアップ。現在大ヒット中の『この世界の片隅に』の片渕須直監督、機動戦士ガンダムシリーズを手がける『サンライズ』の宮河恭夫・代表取締役社長、タツノコプロの出身者などにインタビューを行い、過去から現代に至る名作について振り返っています。日本アニメは今でこそ世界を席巻していますが、その創成期はどんな状況だったのでしょうか。

初期のアニメーションは(当時は「漫画映画」と呼ばれた)、実写映画と同じく海外からの輸入文化として始まりました。初めて輸入されたのは1909年、日本人が初めて目にする「動く絵」に当時の観客は大いに驚いたと伝えられます。

特に1914年に映画会社の福宝堂が公開した『凸坊新画帖』という短編動画のシリーズは爆発的な人気を呼び、漫画映画の代名詞といわれたほどでした。日本アニメ史の歴史書として有名な『日本アニメーション映画史』は、その頃の観客の熱狂ぶりをこう伝えています。

〈当時の人々にとって“映画の漫画が動く”ということが驚異だった。「なぜ、動くのだろうか?」と考えてもわからない。だが、みてみると、筋書きもあって「おもしろい」──それだけで拍手喝采をあびたのだ。〉

海外から輸入された漫画映画の人気は、日本人に自分たちも作ってみようという気を起こさせました。そこで登場したのが下川凹天、幸内純一、北山清太郎という3人のクリエイターです。彼らはいずれも漫画家であったり、雑誌にイラストを寄稿したりと、絵描きとして生計を立てていた作家でした。

漫画映画の人気ぶりにいち早く注目した彼らは、自分こそ初の国産アニメーションの創始者になろうと制作を始めました。そして1917年、3人は一斉に自らの漫画映画を公開します。これが日本初の国産アニメーションとなったのです。今年は、日本アニメが誕生して100年という記念すべき年なのです。

◆ケトル VOL.35(2017年2月14日発売)

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

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