2017年は、国産のアニメーションが誕生して100年。輸入文化の「アニメーション」を、日本独自の「アニメ」へと進化させたのが、国民的漫画家・手塚治虫さんが原作・総監督を務めた『鉄腕アトム』でした。
1963年の元日、日本初の本格的なテレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』が放映されました。以降4年間も続いた同作は、すでに漫画家として不動の地位を築いていた手塚さんの長年の夢が叶った作品でもありました。
というのも、手塚さんは常々、「アニメを作るために漫画家になった」と公言していたのです。『アトム』を制作した虫プロダクションの設立に関わった山本暎一さんの『虫プロ興亡記』に、次のような発言があります。
「僕は漫画を描いていますけど、本当はアニメをやりたかったのです。ディズニーの『白雪姫』がきたときは、毎日、映画館へかよって、アンパンをかじりながら50回以上も見たもんですよ。『バンビ』にいたっては80回です。それから、自分でもつくろうと決心して、まず、漫画を描いてお金をためましてね」
自分が漫画家になったのは、あくまでアニメを作る資金を集めるため──。そう語るほど、手塚さんのアニメにかける思いは強いものだったのです。
◆ケトル VOL.35(2017年2月14日発売)
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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。