SF映画の金字塔といわれる『ブレードランナー』。熱狂的ファンでなくても「1度は観たことがある」という人も多いでしょうが、その際に話題になるのが「自分はどのバージョンを見たのか」という問題。実は同作には5つの異なるバージョンが存在し、それぞれの持つニュアンスが微妙に異なっています。
まず5つのバージョンのうち、大きく違うのがエンディング。1982年にアメリカ国内で公開された「オリジナル版」と海外公開用に編集された「インターナショナル劇場版」(日本で同作を公開時に観た人は、この「インターナショナル劇場版」を観ている可能性高し)の両作では、デッカードとレイチェルが大自然を車で疾走するラストシーンが印象的。
さらに、「レイチェルは特別なレプリカントだから寿命は限られていない」「ガフは彼女を見逃した」などというデッカードのモノローグが添えられることで、2人がそのまま逃げ切って幸せになるのでは……と思わせるハッピーエンド風な結末になっています。
一方、1982年の公開前の試写用にリドリー・スコット監督が作った「ワークプリント版」や、1992年に公開された「ディレクターズカット版」、2005年の「ファイナルカット版」では、このエンディングシーンはすべてカット。結果、「デッカードは本当に逃げ切れたるか?」と観客を不安にさせるような悲壮感漂う結末になっています。
なぜ、こうもエンディングが大きく変わってしまったのか。その理由は、1982年の公開前に作られた「ワークプリント版」を試写で観た観客からの感想が「暗い」と芳しくなかったため、公開直前に映画会社が急きょハッピーなエンディングを付け加えた……という経緯があったから。
さらに、試写時には「内容が難解で分かりにくい」との声も挙がったため、1982年に公開されたバージョンでは、主人公の心情が理解しやすいようにと、デッカードのモノローグを各シーンに挿入。たとえば、激闘の末、屋上でロイの寿命が尽きる有名なシーンでは、「なんであいつが俺を救ったのかはわからない。もしかしたら最後の瞬間あいつはこれまで以上に人生を愛したのかもな……」といった彼の心情が吐露されています。
しかし、1982年に公開されたこれら2つの劇場版は、監督の意図とは大きく違うものだったため、ラストやモノローグを削除した「ディレクターズカット版」や「ファイナルカット版」が後年に再リリースされたのでした。
また、この「ディレクターズカット版」「ファイナルカット版」に新たに追加されたのが「デッカードが見るユニコーンの夢」のシーンの存在です。同作のエンディング近くでは、ガフが残していったユニコーンの折り紙が登場しますが、ユニコーンの夢をデッカードが見るシーンが追加されたことで、
「ガフがユニコーンの折り紙を残したのは、デッカードの観た夢の内容を知っていたから→彼の夢は植え付けられたもの」
とのニュアンスが追加され、「実はデッカードもレプリカントだったのでは?」という本作最大の論争につながっていくのです。
そのほかにも、各作品によって音楽やセリフ、ストーリー展開の違いなどは随所に存在し、その相違点は何百点にも及ぶとか。ファンの間では、「リドリー版の編集のほうが深みがある」「1982年劇場版のほうが理解しやすい」などと意見が分かれるところですが、「どれが最高だった」と決めつけるのはナンセンス。それぞれニュアンスも異なるからこそ、何度でもその解釈を掘り下げられる。それが『ブレードランナー』の持つ最大の魅力ではないでしょうか。
◆ケトル VOL.36
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