2016年5月に発売されたメジャー・デビュー・アルバム『BASIN TECHNO』が大きな話題を集めた岡崎体育のメジャーセカンド・アルバム『XXL』が6月14日に発売された。精力的なライブ活動、アニメへの楽曲提供、CM出演など、幅広く活躍する岡崎だが、小さい頃はどんな子どもだったのか? 現在発売中の『クイック・ジャパン』vol.132で、岡崎はこのように語っている。
「中学も高校も1年の頃すごいおとなしいんですけど、慣れてきたらガンガン前行くんです。中3の時の合唱コンクールの指揮者とか、学級委員とかやりましたし。学年が上がるにつれスクールカーストも登っていきました。高校の時なんて1個下の学年にファンクラブがありましたから。テニスと文化祭でリーダーやってて、僕が1年生の子らを教えるみたいなことしてたら、なんかできてました」
そのエピソードからも、現在の活動範囲の広さの片鱗が伺われる岡崎。音楽との出会いは「小1のピアノ」だったそうだが、本格的に音楽にのめり込むようになったのは、どのような経緯だったのか?
「ギターは違うってなって、ドラムはおもろかったんですけど。家に置けるほど家デカくないんで、親戚の家の電子ドラムを盆暮れに叩かせてもらうくらいやったから、家にあるピアノだけ弾いてました。中学入ってからは携帯ゲームで作曲できるのが出て、そこから音楽をしはじめた感じですね」
そこで作曲の才能が開花し始めた岡崎。しかしそれ以前の小学6年生の時、彼を音楽に向かわせる重大な事件があったようだ。音楽の「自分で作った曲をリコーダーで発表する」という授業での忘れられない思い出を、岡崎はこう語る。
「その日の朝に紙にカタカナでドレミファを書いて、それで授業で吹いたら周りの友達は『すげーな!』って言ってくれて。(中略)僕の後ろの席の女の子が『私は作曲が全然できないから、とっとこハム太郎のオープニングをやります』って吹いたんです。
作曲ができないからそういうことをするっているのは、担任の先生からしたら正直やなって考えだったらしくて。放課後に先生に呼び出されて、『あの子はああやって自分ができないからアニメのオープニングを吹きましたって言ったのに、なんで君は嘘をついて、自分が作ったって言ってほかの人の曲をやるんや』って言われて」
岡崎が作った曲がよくできていたため、何かをパクったのだと思われてしまったのだそう。「自分がどんだけ違うと言っても許してくれない」という屈辱を味わった岡崎は、「それから絶対見返してやるって思いで、卒業文集に『僕は作曲家になる』って書いて強く気持ちとして残した」そうで、
「音楽に対する考え方、見方はたぶんこのことが大きく関わっている感覚は強く持ってますね」
と、語っている。
◆『クイック・ジャパン』vol.132(2017年6月23日発売/太田出版)
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