手塚治虫と並び称されるマンガ界の巨匠・横山光輝。手塚治虫が「マンガの神様」と呼ばれるのに対し、『三国志』『鉄人28号』『魔法使いサリー』『伊賀の影丸』『バビル2世』などを世に送り出した横山は、「マンガの鉄人」と称えられています。しかし横山光輝はなぜ、魔法少女から巨大ロボット、歴史ものまで、まったく異なるジャンルの作品を発表し続けたのでしょうか?
1934年に神戸市で生まれた横山光輝は、高校在学中からマンガ雑誌への投稿を行うマンガ少年として育ちました。高校卒業後は地元の神戸銀行(現在の三井住友銀行)に就職したものの、「どういうものか仕事に対する情熱がわかない」という理由から、入社4か月でドロップアウト。友人の父が経営する自転車部品工場、映画会社の宣伝部と職を転々とするなかで、次第にマンガへの情熱が抑えられなくなっていきました。
1954年には仕事をしながら原稿を書き溜めた『音無しの剣』でマンガ家デビュー。そして2年後、『鉄人28号』の発表によって一躍超人気作家となり、以降は東京を拠点として執筆生活を続けました。その後は目立ったスランプもなく、長年にわたって人気作家であり続けたわけですが、その理由のひとつが、自身の得意なジャンルを限定しないマルチな作風にあったことは間違いありません。
とはいえ、売れない新人ならまだしも、すでに名声を手にした巨匠が、常に新たな分野を開拓していったのはなぜなのか? 作家生活45周年を記念して出版された『横山光輝原画集』のインタビューで、次のように答えています。
〈僕は、その分野を描いていないなと思うと、描いてみたくなるんですよ。出版社というのは、たとえば『鉄人28号』が受けると、依頼も全部ロボットものばかりになってしまうんです。でも、描いているほうはうんざりしてしまい、別の種類のものを描きたいという気持ちが強くなってくるんです。だから、「別のものを描かせてくれるのなら描くよ」って、そうなっていったんですね〉
横山光輝らしい飄々とした語り口から見えてくるのは、よく言えばチャレンジ精神旺盛、悪く言えば飽きっぽい、そんな人物像です。そもそも売れ筋の作品を依頼してくる編集者に対して、「私は別のものが描きたい」と言ってしまうのは、とにかく面白いマンガを描きたいという思いがあるからではないでしょうか。
そういった視点で横山光輝のキャリアを振り返ったときに見えてくるのは、誰に頼まれたわけでなくとも無心でマンガを描いていた学生時代の横山少年の姿です。何よりもマンガが好きで、だからとにかく新たしいもの、面白いものが描きたい──横山光輝が数々の名作を生み出すことができた原動力は、そんなピュアなマンガ愛だったのではないでしょうか。
◆ケトル VOL.37(2017年6月14日発売)
【関連リンク】
・ケトル VOL.37
【関連記事】
・三国志ファンにはおなじみの「ジャーンジャーン」を探してみた
・横山三国志の驚きの最上級表現「げえっ」 全巻で何回登場した?
・三国志研究の第一人者に質問 「孔明の罠」は実際に凄かった?
・コーエー版『三國志』 シリーズごとに武将の設定が変動する理由