世界には様々な「賞」があるが、その中でも最高クラスの栄誉と呼ばれるのがノーベル賞だ。その受賞者リストの中には、数多くの日本人も含まれているが、彼らはすべての科目で優れた成績を残す「神童」だったのだろうか? 『神童は大人になってどうなったのか』(小林哲夫・著 太田出版)で紹介されているノーベル賞受賞者たちの“神童ぶり”を見ると、ある共通点が浮かび上がってくる。
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青色発光ダイオードの開発者、中村修二。すべての科目で100点満点というタイプではない。小中学、高校時代、暗記科目が嫌いだった。こう振り返る。
〈小さいころから理数科の科目が好きだった。好きだった結果かどうか、得意でもあった。同時に、じっくり考えることが好きだったから、たとえば数学や物理の問題をああでもないこうでもないと考えて解いていくのが楽しかった〉(『負けてたまるか』朝日新聞出版 2014年)
学問に楽しさを見いだす時期が、早いほど早熟と言える。そして、このとき、楽しさの謎を解いてしまうのが神童である。謎解きは大人になっても続き、夜間でも明るく照らす電灯を作ってしまった。これほどの社会貢献はない。
益川敏英(2008年 物理学賞)は神童と呼ぶには知的好奇心にバランスを欠いていたようだ。興味がないものは一切やらない。宿題をやらず、教師はたびたび親を呼んで言い聞かせようとしたが、ダメだった。
益川の興味は数学にある。これだけは得意だった。国語は苦手で、とくに漢字がまったく覚えられなかった。しかし、好きな本だけ徹底的に読んだ。小学校時代、自分で本を探す魅力にとりつかれてしまった。中学生になると図書館、高校生、大学生になると書店、古本屋をまわって、中でも数学関係の本を読みあさっている。
〈ふだんの僕は、頭の中で数式と遊んでいるだけ。難問を考えるのが楽しくて仕方がないの。僕にとっては物理も数学も天文学もおもちゃみたいなもの。一生をかけて遊んでもらっているという気がします〉(山中伸弥・益川敏英 『「大発見」の思考法』 文春文庫 2011年)
万人には理解しがたい神童の領域である。
山中伸弥(生理学医学賞 2012年)も理数系科目について神童ぶりを示した。難問を解くのが大好きで「自分に解けない問題はない」と豪語していたほどだった。理科の実験も大好きだった。ひまを見つけてはラジオを分解して、親に怒られる。そんな科学少年だった。幼少のころから、得意分野を知る。それは神童の一要素とするならば、山中はかなり自覚して理数系科目の先取り勉強に取り組んでいた。
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ノーベル賞は、好きなことに対しては異常とも言える能力や集中力を発揮する人物にもらう資格があるもののようだ。現在の学校教育では、バランスの取れた優等生の方がどうしても評価されがちだが、その評価方法もそろそろ見直す時期に差し掛かっているのかもしれない。(文中敬称略)
◆『神童は大人になってどうなったのか』(小林哲夫・著 太田出版)
【関連リンク】
・神童は大人になってどうなったのか-太田出版
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