小学生男子の真夏の一大イベントといえば虫取り。カブトムシやクワガタを探して雑木林や裏山を駆け回り、手にした獲物を戦わせた思い出は生涯忘れられない楽しい思い出だが、彼らの永遠の悩みは「カブトムシとクワガタはどちらが強いのか?」というものだ。幼少期、やはり同じ疑問を持ったという動物行動学者の松原始氏は、動物観察についてつづった『カラス先生のはじめてのいきもの観察』(太田出版)で、こう解説している。
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男の子が小さい時に夢中になるムシといえば、そりゃもうカブトムシとクワガタである。もちろん私も例外ではない。
実家は山が近かったので、当然、カブトムシもクワガタもいた。取りに行かなくても、勝手に窓辺に飛んで来たりしたものだ。ただし、来るのはカブトムシとコクワガタくらいで、あまり大物は来なかった。カブトは十分大物ではあるが、「すごいけどイマイチ」だった。コクワは「クワガタなのはいいけど小さくて普通」だった。私はクワガタ派だったからである。
カブトムシが好きかクワガタが好きかは、人によって意見が割れる。この溝はなんとも根源的で埋め難いものである。私はカブトムシの「でかい、丸い、どう見ても強い」より、クワガタの低く構えた姿勢や、開閉する大顎という武器を備えたカッコよさが大好きだった。ノコギリクワガタやミヤマクワガタの複眼の上にある隆起も、キリッとした表情を作っていてカッコよかった。カブトムシはあんな顔はしていない。
子供の頃、カブトムシとクワガタが喧嘩したらどっちが強いか、は仲間うちの永遠のテーマであった。まあ、実際にやると体重の大きなカブトムシがだいたい勝ってしまうのだが、うまいこと相手を掬す くい上げることができれば、クワガタがカブトムシを投げ飛ばすこともある。小学校に「自慢のムシ」を持ち寄って勝負させることもあった。
この辺に魅せられて研究した上に本まで書いてしまった大学院の後輩もいる。彼はとにかく、「ツノが生えている奴はカッコええ」という情熱で研究者になってしまったという、極めてピュアな人だ(見た目はちょっといかついが)。彼によるとカブトムシは上下の角で相手を挟んで捻ひねり倒すか投げ飛ばすのが決め技だという。クワガタの場合、素早くバックして有利なポジションを取れるかどうかも重要だとか。
子供の頃、私にとって身近なクワガタはコクワガタとノコギリクワガタだった。コクワガタはかわいくて好きだが、自慢するには小さくて、あまり強そうでなかった。ノコギリクワガタは強いことは強いが、なんだか「いかにも」な感じがちょっと……だった。金色の毛に覆われ、ノコギリクワガタよりも上品かつ強そうなミヤマクワガタは私の憧れだったが、残念なことに、家のあたりにはいなかった。悔しい事に、隣県に住んでいる同級生はミヤマクワガタばかり取って来て自慢していた。その辺りではごく普通にいるという話だった。
少なくとも私の小学校では、ノコギリクワガタは「水牛」と呼ばれることがあった。全校で呼ばれていたわけではないので、それこそ町単位なんかの、きわめてローカルなあだ名だったのだろう。グイと曲がった大きな大顎が、スイギュウの角を連想させるのはよくわかる。ノコギリクワガタは大きくて乱暴で、捕まえるとすぐ指を挟む奴だが、その辺の荒っぽさも、暴れ牛っぽかった。
ノコギリクワガタの中には、赤みの強い色をしたものがいる。私の住んでいたあたりではせいぜい、ちょっと赤褐色程度だったが、友達が取って来る中には、前翅の真ん中がくっきりと、エアブラシを吹いたように赤いやつがいた。こういうのは赤牛と呼ばれていた。友人の中には「赤牛の方が強い」と主張するのもいて、確かにスペシャル感があって強そうだった。実際に戦わせると別に強いわけでもなかったが。
裏山に虫取りに行って、一度だけ、見た事もないクワガタを見つけたことがある。それはずんぐりとして平べったく、なんだかノッペリと真っ黒い奴だった。コクワタガをもっと幅広くして大きくしたようだ。大きさはかなりある。
もしやオオクワガタ? 「オオ」とつくのはそれだけで正義だ。「大クワガタ」なのだ。友達が「捕まえたことがある」と自慢していた、あのオオクワガタか? だが、こいつはオオクワガタというほど大きくなかった。今考えればクワガタの大きさは幼虫時代の餌量でかなり変わるから、小さいからといってオオクワガタでないという根拠にはならないのだが、大きさ以外にもなんだかオオクワっぽくなかった。おそらく、大顎の形が違うのに気付いたせいだろう。
それはともかく、捕まえていじりまわしていたら、ガキッと親指を挟まれた。痛い! とんでもなく痛い。大顎の根元近くに、はっきりと棘とげのように突き出した歯があり、これが見事に爪に食いこんだのである。クワガタがいたら爪を挟ませてどれくらい強いか試してみる、というのは皆やっていたし、そのせいで爪に歯がめりこんだ跡が残っているのもしょっちゅうだったが、これは別格。なんとかもぎ離したが、爪にはくっきりと穴が残り、その下が内出血で赤黒くなっていた。
この謎のクワガタ、持って帰って図鑑で調べたらどうやらヒラタクワガタらしかった。学校に持って行ったら「こんなの見た事ない」と話題にはなったが、それ以上に「すごい」にはならなかった。あの頃は、ヒラタクワガタといえば「オオクワガタのパチもん」扱いで、どうってことなかったのである。名前からして「平たいクワガタ」では「大」だの「ノコギリ」だの「深山」だのには勝ち目がない。結局、もとの山に逃がしてしまった。
今考えれば、ヒラタクワガタは野生状態ならオオクワガタに迫る大きさになるし、パワフルで喧嘩っ早いことも知られている。あのまま飼っていれば、校内で無敵のクワガタとして君臨しかもしれないのだが、まあ、個体数も多くないことだし、逃がしてやって正解だったろう。
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実際の強さよりも「大」だの「ノコギリ」だのの“ブランド”に左右されるという松原氏の見解は、子どもの心理を見事に表していて、さすがというしかない。このほか同書では、「双眼鏡事始め」「図鑑の使い方」「空飛ぶものへの憧憬」「台風の夜」「足もとの昆虫学」「水たまりの生態系」「獣道の見つけ方」などについてつづられている。
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・カラス先生のはじめてのいきもの観察
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