おニャン子クラブ、AKB48、乃木坂46……秋元康といえば、もはや詳しい紹介が不要のヒットメーカーだが、そのキャリアの原点は、高校時代から放送作家として活動を始めたニッポン放送だ。ニッポン放送の『せんだみつおの足かけ二日大進撃!』という番組に送ったパロディドラマの原稿が番組関係者の目に留まり、ニッポン放送を出入りするようになった秋元。『ケトルVOL.45』で、当時の状況についてこう語っている。
「最初に原稿が採用されたときのギャラが5000 円。そこから源泉を引かれました。次第にほかの番組も手伝うようになって、高校生なのにニッポン放送の経理部に月10万円くらいのギャラをもらいに行っていました」
放送作家になろうと真剣に考えていたわけではなく、あくまで「率のいいバイト」だと思っていたという秋元。しかし、ラジオの現場で働いていくうちに、後に繋がる“ブームを仕掛ける”というテクニックを学んだそうだ。
「宮本さん(=宮本幸一。ニッポン放送の元専務取締役)からは“ブームを仕掛ける”とはこういうことかと教わりました。それまでブームは自然に発生するものだと思われていましたが、それを人為的に作れるってことを証明したんです。ただ間違ってはいけないのは、この“人為的”というのは、ゼロから作れるってことではないのです」
それを示す実例が、当時の『オールナイトニッポン』(ANN)からブームになった「なんちゃっておじさん」だ。ニッポン放送の『たむたむたいむ』に投稿された「都内の電車に『なーんちゃって!』と叫ぶ、変なおじさんがいた」というハガキに宮本が目をつけ、その目撃談を笑福亭鶴光とタモリ、それぞれのANNで募集したところ、リスナーからの投稿が殺到した。
やがてテレビや雑誌でも「なんちゃっておじさん」が報じられ、漫画化までされる事態に。あまりの反響に、「鶴光とタモリのどちらの番組が流行らせたのか?」という論争がリスナーも巻き込んで起こるほどのブームとなった。これを仕掛けたのが宮本だったのだ。
「僕は宮本さんから大事なことを学んだと思っています。それは“火”が点きそうなものを見つけたら、すぐに反応すること。世間が反応した瞬間を逃さず、ブームに広げていくための“仕掛け”を宮本さんは次々とやった。つまり、時代を作るのは反射神経なのだということです」
その教えが正しかったことは、もはや説明不要。偶然に思われるブームだが、仕掛け人からしてみれば、ブームは必然のもののようだ。
◆ケトルVOL.45(2018年10月12日発売)
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