椎名誠や重松清も魅了 伊丹十三の機知に富んだエッセイの魅力

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伊丹十三さんといえば、誰しもが思い浮かべるのは映画監督としての仕事ですが、その才能はマルチ。デザイナー、俳優、TV番組やCMの制作など、幅広いジャンルで優れた作品を残しましたが、とりわけ素晴らしい力量を持っていたのがエッセイでした。岩波書店からは先ごろ『伊丹十三選集』(全3巻)が発売され、過去の名エッセイに再び光をあてています。

エッセイスト伊丹十三のキャリアは、ニコラス・レイ監督の『北京の55日』に出演するために渡ったヨーロッパでの経験を綴った『ヨーロッパ退屈日記』から始まりました。その編集を担当したのが山口瞳さんでした。飲食店での粋な振る舞いをはじめ、文章の書き方、仮名遣いなど、「本にするとき一から十まで」を世話になったと、伊丹さんは『ヨーロッパ退屈日記』で記しています。

2冊目のエッセイとなる『女たちよ!』の中で「アボカド」を「アヴォカード」と記したのは1968年、伊丹さんが35歳の時のことでした。スタジオジブリ制作の映画『おもひでぽろぽろ』には主人公一家がパイナップルを初めて食べるシーンが描かれていますが、その設定は1966年。ほぼ同時期に「アル・デンテ」や、フランス料理の作法を紹介しています。伊丹さんはどれだけ先進的だったのでしょうか。

とはいえ、仕立ての良い洋服を颯爽と着こなし、ジャギュア(ジャガー)、ロータス・エランを乗り回す伊丹さんの振る舞いや、うんちくたっぷりで洒脱な文章を「キザ」と受け取る人は少なくなかったでしょう。しかし、『再び女たちよ!』(1972年)に収録された「キザ」というエッセイで、性根が貧乏な日本からは「本格的なキザというのは絶対に生まれようがない」とし、イギリスの俳優アントン・ウォルブリュックを引き合いにもう一枚上手からキザの何たるかを説くほど、伊丹さんの視座は高いところにありました。

また、自身の表現の幅を広げる努力も忘れませんでした。1973年の『小説より奇なり』では「聞き書き」による作品を発表し、1976年『日本世間噺大系』では何でもない「世間話」を一級の読み物に仕立て上げるユーモアを披露。そんな伊丹さんに憧れる書き手も大勢いました。

小説家の池澤夏樹や重松清、椎名誠はもちろん、エッセイストの平松洋子やイラストレーターの和田誠、さらには映画監督の大根仁なども。学者も舌を巻くほどの知識から生み出される機知に富んだ文章に多くの人々が魅了されたのです。ところが伊丹さんは、1983年に『自分たちよ!』を発表した後、俳優と並行して執筆を行っていたペンをメガホンに持ち替え、その後の人生を映画に捧げていくことにします。

◆ケトルVOL.47(2019年2月15日発売)

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

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