テレビ番組制作者時代の伊丹十三さん テレビの可能性を広げた規格外の番組作り

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お笑いと映画の世界を行き来するビートたけし、歌手と俳優で超一流の福山雅治や星野源、映画にもバラエティにも引っ張りだこの大泉洋など、多才な芸能人は数多く存在しますが、彼らが束になっても敵わないのではないかという人物が、1997年に亡くなった伊丹十三さん。

今では映画監督として語られることが多い伊丹さんですが、映画監督になるまでに商業デザイナー、イラストレーター、俳優、エッセイスト、テレビ制作者、CM作家など、さまざまなジャンルで優れた仕事をした正真正銘のマルチタレントでした。

1970年代、俳優以外の仕事であまりテレビに出演することのなかった伊丹さんが、その姿勢を変えるきっかけになったのが、人気テレビ番組『遠くへ行きたい』でした。同番組でテレビの面白さと自由さ、そして可能性を見出した伊丹さんは、徐々に出演者という枠にとどまらない活動をするようになります。そして、とにかく新しい番組作りに躍起になった結果、時には企画を考え、またある時は自らカメラを持って撮影も。こうしてテレビ番組制作にのめり込んでいった伊丹さん、もちろん内容も規格外でした。

例えば、現代アーティストを紹介する『アート・レポート』では、取り上げるアーティストの作風によって構成を変え、番組それ自体が作品の解説になっているというハイコンテクストな仕組みを構築。アンディ・ウォーホルの回では、名作「マリリン・モンロー」を質屋に持ち込み、鑑定してもらう体当たり企画も行いました。

そんなふうにして番組作りにも携わってきた伊丹さんが、大きな関心を寄せたのが歴史の探求です。第二次世界大戦中に少年時代を過ごした伊丹さんにとって、戦前と戦後でガラリと変わった世界は摩訶不思議なものだったのかもしれません。

ある時は、朝日新聞で連載された故・大佛次郎の歴史小説『天皇の世紀』を基にしたドキュメンタリーに参加したことも。伊丹さん自らが案内役となり、幕末から明治にかけて築かれた近代国家としての日本の成り立ちを明らかにしようとしました。この時は伊丹さん自らがサムライとなり、旅先案内人を務め、サムライの格好でパリのシャンゼリゼ大通りも歩いたそうです。

またドキュメンタリー・ドラマ『欧州から愛をこめて』では、戦時中に和平の道を開こうとした海軍武官・藤村義朗の勇気ある行動を再現ドラマとレポートを融合させることで紹介。フィクションとドキュメンタリーの境界線を越えようと挑みました。そうした中で培われたセンスと構成力は、後に映画監督になった時にも活かされることになります。

◆ケトルVOL.47(2019年2月23日発売)

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

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