昭和から平成にかけて、『お葬式』『タンポポ』『マルサの女』シリーズなど、数多くの名作を世に送り出した伊丹十三さん。もっぱら映画監督として知られる伊丹さんですが、それ以外にも俳優、TVやCM制作、エッセイスト、デザイナーなど、幅広いジャンルで活躍したマルチな才能の持ち主でした。
伊丹さんのあらゆる仕事に通底していたのが美意識。それを養ったのは、対象への鋭い観察眼と描写力でした。小学生時代の朝顔観察日記、昆虫の図鑑のような理科のノート、様々な書体で書かれた暖簾の絵など、伊丹十三記念館に収められている幼少期の記録物の至るところに、伊丹さんがデザイナーとして活躍するための萌芽が見て取れます。
その才能が初めて世に知れ渡ったのは1950年代後半のこと。就職した銀座の事務所で、商業デザイナーをしている時のことでした。文藝春秋の『漫画読本』のポスターは、海外のデザインを思わせる構図と配色センスが光ります。
また、映画監督でもあった父の執筆作品を集めた『伊丹万作全集』(1961年)や、エッセイストとしての伊丹さんの才能を見出した山口瞳さんの『人殺し』(1972年)などは、共にレタリングを強調した潔く、美しい装丁が魅力。多くの人が「明朝体を書かせれば日本一」と称賛するのも納得です。装丁のデザインでは、『日本三大洋食考』や『モーパッサンの情熱的生涯』なども、半世紀が経った今でも古びた雰囲気がなく、その普遍性に驚かされます
そうしたデザイナーとしての経験は、1981年に創刊し、自身が編集長を務めた雑誌『モノンクル』でも活きました。とにかく文字が多い雑誌でしたが、それでも全体的なバランスがうまく担保されていたのは伊丹さんの力量によるところが大きかったはずです。
DTPが普及するはるか昔、デザイナーの仕事が細分化される前の時代に紙面のデザイン、文字のレタリングなど、多岐にわたる仕事を手がけた伊丹さん。「版下屋とか、書き文字屋、図案家などと呼ばれる冴えない種類の人間であった」と伊丹さんはやや自嘲気味に語りますが、雑誌『ミセス』の連載ページのレイアウト、『再び女たちよ!』の装丁を担当した間篠秀行さんは、「俯瞰的にものごとを見られる」「アートディレクター的」だったとその仕事ぶりを述懐します。
文章、映画、ライフスタイル、その美意識を張り巡らせた全ての仕事において、幼少期より磨かれたデザイナーとしての目が光っていたのでした。
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