『ボンボン』を支えたほしの竜一氏 「子供に喜んでもらうことが僕の喜びなんです」

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1980年代のファミコンブーム時、子どもたちはファミコンをやりながら漫画を読んでいた。当時の漫画雑誌では、『ファミコンロッキー』や『ファミコン風雲児』など、ファミコンをテーマとした漫画「ファミ漫」が人気を博していたが、長期にわたる人気連載になったのが『ファミ拳リュウ』(ほしの竜一・著)だ。

『コミックボンボン』の創刊から休刊まで、約25年に渡って数々の看板作品を手がけたほしの氏だが、どういったきっかけでデビューしたのか? 今年4月に発売された『超ファミ漫』(内田名人・著/太田出版)で、ほしの氏はこう語っている。

「高校を卒業してから、まず同人の先輩だったすがやみつる先生を中心に、細井雄二先生、土山よしき先生といった方々がいらっしゃった『ミュータント企画』という仕事場でアシスタントをしていたんです。そこで編集さんに声を掛けられて、『とや邦行』の名義で『テレビマガジン』でパロディギャグを描いたりしていました。その繋がりで『ボンボン』が創刊するときになぞなぞギャグ漫画の『はてさてナンダー』を連載することになったんです。大好きな児童誌ということもあって、この作品で、やっとプロになった気持ちになれましたね」

『コミックボンボン』の創刊号に名を連ねたほしの氏だが、その後、ライバル誌の『コロコロコミック』に移籍し、『別冊コロコロ』でも連載している。これはどういった経緯だったのか?

「小学館(『コロコロ』の発売元)は『小学四年生』で挿絵を描いていたことがあって、声が掛かったんです。それまでギャグものだったので、ストーリーを描きたいという思いもありまして。……でも『気が引けるなあ』と思ったので、そこでペンネームを現在の『ほしの竜一』に変えたんです(笑)。

正直言うと、『コロコロ』のほうがとても厳しかったです(笑)。締め切りがどうであろうと、ネームのリテイク(直し)を最後の最後まで出してくるんです。『時間があろうがなかろうが、それを間に合わせるのが作家の仕事』という感じでした。これは鍛えられました」

しかしこの試みも、『ボンボン』の編集長に「ほしの竜一って、とや君だよね」と、あっけなく見破られ、『ファミ拳リュウ』で『ボンボン』に復帰したほしの氏。結局、30年以上にわたり、時代ごとにホビー漫画を書き続けてきたが、そこにはどんなこだわりがあるのか?

「僕の子供時代って、月刊漫画誌なんかで、テレビと漫画のメディアミックスが行われた最初の頃だったんです。自分の好きなヒーローが漫画でも読めるというのがすごく嬉しくて。僕にはその頃の気持ちがズーっとあるんですよ。だから他ジャンルからのコミカライズに抵抗のある作家さんもいますが、僕にはまったくないんです。子供に喜んでもらうことが僕の喜びなんですよ」

そう語るほしの氏の自慢は、「ファミコン以降、各ホビーの時代に必ずアンケート1位を獲っていること」だとか。漫画家が目指す方向は人それぞれだろうが、「子供によろこんでもらうことが僕の喜び」と言い切る彼の姿勢がアンケート1位を呼び込んだのは間違いなさそうだ。

懐かしの「ファミ慢」約150本をレビューした『超ファミ慢』(内田名人・著、2019年4月26日発売)は、全国書店・電子書店で好評発売中。

【関連リンク】
超ファミ漫-太田出版

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

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