現在、アメリカンコミックスが空前の大ブームですが、アメコミは長年、日本ではニッチなジャンルとして扱われてきました。なぜ日本でここまで普及したのでしょうか。「今やアメリカンコミックスは日本人にとって、すっかり身近な存在になりました。この状況は隔世の感しかありません」と語るのは、コミックスの翻訳やアメコミ関連の記事執筆などを手がけるアメコミ・エディターの柳亨英さん。日本唯一のマーベル・オフィシャルコンサルタントでもある柳さんは、マーベル・コミックスのアジア展開をサポートするなど、さまざまなかたちで日本におけるアメコミの普及に尽力してきました。
柳さんがアメコミに夢中になり始めたのは大学生の頃。小学館プロダクション(現・小学館集英社プロダクション)が、1994 年に発行した『X-MEN』日本語版第1巻に衝撃を受けたことがきっかけでした。
「アーティストのジム・リーが描いたカッコいい絵柄に惹かれたのはもちろん、人種間の対立や差別問題が根底にある物語に圧倒されました。僕は小中学生の頃に帰国子女だということでイジメられ、取り柄も英語のみで運動はまったくの不得意。そんなときにX-MENが迫害されながらも、自分の特殊能力を駆使して問題を解決する姿を見て、すごく勇気づけられました。
僕は彼らから、『自分を卑下せず、自分にしかない特技を、暴力に転嫁しないかたちで活かしていこう』という教えをもらった気がしたんです。力無き人にも寄り添ってくれる。それが魅力だと思います」
柳さんが『X-MEN』と出会った頃は、日本で大きな流れが生まれ始めた時期でもありました。アニメ放送のスタートをきっかけとして、大々的なメディアミックスが仕掛けられたのです。
「1994年にテレビ東京がアニメ版『X-MEN』の放映を開始するとほぼ同時に、小学館プロダクションから『X-MEN』の翻訳コミックスが出版され、カプコンからは対戦格闘ゲーム『X-MEN CHILDREN OF THE ATOM』がアーケードでリリースされます。ほぼ時を同じくして『X-MEN』に関するメディアミックスが一斉に動き出したんです。
この当時、僕のように時間が余っていた人は、アニメ、コミックス、ゲームセンターと、いたるところで『X-MEN』に触れることができました。メディアワークス(現・アスキー・メディアワークス)から刊行されたオリジナルのライトノベルや、竹書房の雑誌で連載されていた日本人作家によるオリジナルのコミックスを読むこともできた。それぐらい『X-MEN』というコンテンツが、この時期の日本の若者に一気に広がったんです」
アニメ放映をきっかけに多彩なメディアミックスを展開され、翻訳コミックスやゲームのほかにも、アニメのスポンサーだったタカラ(現・タカラトミー)はフィギュアを発売します。その後、アメコミは常に順調だった訳ではなく、危機的状況を迎えた時期もありましたが、1994年はまさに『X-MEN』にとってのメモリアルイヤー。ただ、小学館プロダクションの『アンキャニィX-メン』というガイドブックの帯では、マーベルが“マーブル”と表記されており、時代を感じます。
◆ケトルVOL.49(2019年6月15日発売)
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・ケトル VOL.49-太田出版
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