1994年に登場したプレイステーション(PS)も、気がつけば発売から25年。ゲームの歴史を更新する画期的なハードやソフトを数々と生み出してきましたが、初代PSはどんな点が画期的だったのでしょうか? PSビジネスに立ち上げから参画した“PSのキーマン”、ソニー・インタラクティブエンタテインメント プレイステーション インディーズ代表の吉田修平さんは、ケトルVOL.51でこう語っています。
「もっとも大きいのはゲームを“みんなのもの”にしたことだと思います。それは子供の玩具というイメージが強かった家庭用ゲーム機を、大人もターゲットにしたエンターテインメント機にしたからです。コンピューターゲームの歴史とは、テクノロジーが進歩するたび、それをエンターテインメントに活用することを繰り返してきました。初代PSが登場した頃というのは、3DCGの進化が新しい未来を見せてくれるという期待感のあった時代です。PSはその流れをうまく捉え、誰でも手の届くものにしたんです」
このPSが掲げたビジョンを語るうえで欠かせない人物が、“プレイステーションの生みの親”として知られ、SCE(ソニー・コンピュータエンタテインメント)社長やソニー副社長も歴任した久夛良木健さんです。
「久夛良木さんは天才でした。ただ、発想が壮大すぎて普通の人には理解できない。私もPSの構想を聞いたとき、『この人、嘘つきだ』と思いました(笑)。だって、『CGグラフィックのワークステーションは1000万円くらいするが、オレは同じ性能のゲーム機を5万円で出す』と言うんです。そんなの無理だと思いますよね。
でも、その話を当時の上司にしたら、『オレは久夛良木を信用している』と。これには驚きました。私はゲーム好きで、『いつかソニーはゲーム機を作るかもしれない』と思って入社したんです。だからこれ以上のチャンスはないと思い、『ぜひチームに入れてください』とお願いしました。それが1993年の2月。ソニー社内から集められたスゴ腕の開発エンジニアばかりの中、初めての非エンジニアとしての参加でした」
関係者さえも実現性を疑った「5万円で出す」発言ですが、初代PSの発売時の価格は3万9800円。有言実行を果たした久夛良木さんの慧眼は、見事というしかありませんが、彼のことを信じて突き進むことを許した上司、挑戦を認めた職場環境、実現にこぎつけた優秀なスタッフ……すべてがパーフェクトに整っていたからこそ、ゲーム史に残る名機が誕生したのでしょう。
◆ケトルVOL.51(2019年12月17日発売)
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・ケトル VOL.51-太田出版
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