1994年の発売以来、その革新性で常にゲーム界をリードしてきたプレイステーション(PS)が、昨年12月3日で25周年を迎えました。ソフトの面白さとラインナップの豊富さはもちろん、グラフィックの美しさ、ダイナミックなサウンド、優れた操作性など、あらゆる意味で家庭用ゲーム機の標準となったPSですが、25年の歴史の中にはいくつもターニングポイントがありました。
その1つが「誰もがゲームを作っていいんだ」という提案です。クリエイターの発掘に熱心だったSCE(ソニー・コンピュータエンタテインメント)は1995年から1999年にかけ、「ゲームやろうぜ!」というオーディション企画を実施。そこから『どこでもいっしょ』という大ヒット作が出ましたが、同様の企画はその後も断続的に行われ、「ゲームやろうぜ!2006」からは『勇者のくせになまいきだ。』(発売は2007年)。2008年の「プレイステーション・キャンプ」からは『TOKYO JUNGLE』などが生まれています。魅力的なアイディアであれば誰でもゲームが作れるという発想は、後のインディゲームブームを先取りしていました。
また、PS2で提唱された「ブロードバンド構想」は、PSをエンタメの総合プラットフォームにすることを目指しました。これはPS3から現在まで続くオンラインサービス「プレイステーションネットワーク」に発展しましたが、実はこの「PS×ネットワーク」という構想では、さらに壮大なビジョンも描かれていました。それは「Cellコンピューティング構想」。PS3の「Cell」というプロセッサをさまざまな機器に搭載することで、PSを核に家庭内のあらゆるデバイスがつながる世界を構想したのです。実現には至らなかったものの、時代を大きく先取りした発想だったことは間違いありません。
そして、PS4で採用されたのが「SHAREボタン」です。SIE(ソニー・インタラクティブエンタテインメント)のワールドワイド・スタジオで長年ソフト戦略と開発の責任者を務めた吉田修平さんは、ケトルVOL.51でこのように語っています。
「私がPS4でもっとも誇らしいことのひとつは、コントローラーに『SHAREボタン』をつけたこと。ゲームをやっているときに手元のボタンを押すだけで、誰でもYouTuberになれる。PS4の目玉は『ゲームを体験できること』だと考えていましたから、手軽にプレイ動画を世界中の人と共有できるこの機能が提案されたときには、満場一致で採用が決まりました。
技術的には革命的なことではありませんが、みんなが『ちょっとやってみたい』と思っていることを手が届きやすくしてあげたことで、画期的なイノベーションと評していただいた。これは自分にとっても大きな学びになりました」
今秋にも発売されるPS5でも、また世の中を驚かせるアイディアが披露されるはず。発売から四半世紀を経たPSの世界観は、我々の想像を超えて益々広がっていくことになりそうです。
◆ケトルVOL.51(2019年12月17日発売)
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・ケトル VOL.51-太田出版
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