【#わたしの大好き】読んで旅した、ひとり旅

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雑誌『ケトル』は、6月号として「みんなの大好き」特集を制作中。みんなの大好きをつくる方々と、各々が好きなものに焦点を当てた内容になります。そして現在、note公式アカウントでは、特集「みんなの大好き」にちなんで「#わたしの大好き」をテーマに1000〜1500字のコラム・エッセイを募集中。新型コロナウイルスによって、人と人だけではなく様々なものと距離を取らざるを得ない日々が続きますが、「いまは触れらないが、収束後は……」「外では難しいが、今は家の中で楽しんでいる」「あらためて自分にとって大切なものだと気づいた」など、大好きなものや、愛が深まったものへの想いを寄稿いただいてます。今回はその中から、HINAさんの原稿を紹介させてください。

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旅はいいものである。

電車に揺られ、私は思わずウトウトしてしまった。私の手から離れたキャリーケースが、軽快な音を立てて転がっていく。ひとりの旅人らしき人が、軽く笑いながら、転がるボールを拾うように受け止めてくれていた。私は、バツの悪い顔で、再び自分の元へキャリーケースを引き寄せる。

目的地へ向かって流れていく景色と、電車の規則正しい揺れ。それがあまりにも気持ちの良い夏の朝だったから、私は不覚にも目を閉じてしまっていたのだ。

昨年の夏、初めて「軽井沢」を訪れたことが、私の「旅」という楽しみに熱を与えたことは間違いないだろう。きっかけは、シナリオセンターの課題である。しかし、その課題を目の前に、私はふと首を傾げた。生まれも育ちも日本であるが、その上品な響きを持つ名前は知っていても、そこがどんな土地なのかまったく知らないのである。

まずは生きた声をリサーチせねばと両親、祖父、友達などに聞いてみたが、軽井沢と言えば、通過したことしかないとか、別荘地であるとか、どうもみんなあまり馴染みのない土地のようだった。

さて、はて? 机を前に座っていても、私の想像力では限界もあるし、描くにはあまりにも情報がなさすぎる。一言に丸めて、軽井沢は日本ですと言ってしまえばそれまでだし、今やSNSが情報を運んでくれる時代であるから、ひとつボタンを押せば、知らない人とも繋がることができ、知らない場所にも行ったような気分になる。けれど、それはあくまでケーキの表面上を指でなぞって、つまみ食いするのと同じだと思ったのだ。

正直、金銭的な面で、日程的な面で、交通の面でとても悩んだ。
相談した友人にも、絶対に行かなければならないのかと念押しされた。
それでも、行くしかないのだと腹をくくって、旅の支度を始めた。
土地の匂いに少々敏感になっていたことも、私の背を押したひとつだったように思う。

もう岡山の実家で暮らした年月と、大阪で暮らす年月が天秤に吊りあうくらいになるが、横溝正史の「金田一耕助シリーズ」、早坂暁先生の「花へんろ」などを見ると、方言だけではなく、その独特の風習なのか、画面に映る空気なのか。子供の頃感じていた、日常的なものが作品には流れているように思えた。

すぐ感化されるのは私の悪い癖であるが、知っている土地の匂いなるものはどうしても頭から離れようとしなかった。これは、不器用な私が書くには、必要な嗅覚なのかもしれないと、鼻をごしごしこすってみた。

そんな旅先で私を迎えてくれたのは、映画やドラマのポスターであり、案内の看板を見れば、あら、ついこの間DVDで見た映画の……という偶然だった。

また、想い出のテニスコートからお帰りになる上皇ご夫妻を拝見し、最終日、少し離れた小諸城にも足を運べば、「男はつらいよ」の寅さんにも会うことができた。方向音痴ならではの特別な出会いがある度に、興奮が身を軽くし、日常では見えない景色がとても気持ちよかったのだ。

どんどん「旅」が好きになる。

帰りの高速バス乗り場へ向かう電車の中、ふと見ると私の隣にはひとつの濃いピンク色の花が、静かに腰をおろしていた。旅の〆に、なんと活きな出会いがあるのだろう。私はその花と肩を並べ、さて、どんな物語を描こうかとガイドブックを捲っていた。

昨年、知らぬ土地に足を運ぶ楽しさに魅せられた私は、ガイドブック片手に、東京、山梨、軽井沢、鹿児島に熊本と、機会を得ては旅をした。

あの夏。
私は、ひとかけらも思わなかった。
数か月前までも、そうだった。

また旅にでかけたい。
今は、駆ける足を抑えながら、明日という日をじっと家の中で待っている。

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いただいた言葉の一つ一つが、また誰かの文化との出会いになれば幸いです。お好きなものについてぜひご寄稿ください。宜しくお願い申し上げます。

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コラム/エッセイと同テーマ「#わたしの大好き」でTwitterでも想いをつぶやいていただけると嬉しいです。#わたしの大好き とともにTwitterでつぶやかれた言葉を誌面に載せさせていただければと存じます。

※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。