雑誌『ケトル』は、6月号として「みんなの大好き」特集を制作中。みんなの大好きをつくる方々と、各々が好きなものに焦点を当てた内容になります。そして現在、note公式アカウントでは、特集「みんなの大好き」にちなんで「#わたしの大好き」をテーマに1000〜1500字のコラム・エッセイを募集中。新型コロナウイルスによって、人と人だけではなく様々なものと距離を取らざるを得ない日々が続きますが、「いまは触れらないが、収束後は……」「外では難しいが、今は家の中で楽しんでいる」「あらためて自分にとって大切なものだと気づいた」など、大好きなものや、愛が深まったものへの想いを寄稿いただいてます。今回はその中からうちばやししゅんさんの原稿を紹介させてください。
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僕は写真が大好きだ。といっても、写真評論を仕事にしているくらいだから当たり前だろうといわれそうなので、写真を入り口にして別のことを書いてみたい。
今日、森岡書店銀座店に伊藤昊(いとう・こう)さんの展示を見に行って、ああ、僕は銀座が好きなんだなと思った。幼い頃から銀座の記憶がたくさんある。30年くらい前、中央通りが歩行者天国になると磯辺餅の屋台が出ていたことを覚えいる人はいるだろうかしら。僕が銀座について覚えている一番古い記憶なのだが、誰に話しても覚えていない。松屋の前で母か祖母が買って、いまはGinza Sixになった松屋デパートの階段の踊り場にあったベンチでそれを食べて待っているように言われたものだ。
銀座はギャラリーが多くあることもあって、学生時代からいままでよく遊ぶし、銀座で働いていたこともあった。4丁目交差点にまだソニービルがあったころ、毎年冬になると晴海通り沿いにシャネルのおおきなクリスマスツリーが現れ、その前にBMWのバイクが置かれ、シャネルの服を来たマネキンがそれにまたがっていた。銀座らしくて好きな光景だった。
それがなくなって以降は、ソニー通り沿い、ちょうど日動画廊の裏口のといめんあたりのエルメスの入り口が、たくさんのオレンジ色の箱でクリスマスデコレーションされるのを見るのがお気に入りだ。
さて、ちょっと森岡書店に戻ってみよう。今回展示されていたのは、新刊の伊藤昊の写真集『GINZA TOKYO 1964』の刊行にあわせてのものだ。この写真については別に評論を書くつもりだけど、64年といえば、オリンピックの年。けれどもうひとつ、そのことばだけがよく知られた「みゆき族」の年でもある。
従来の考えにしばられない、アイビー・ルックを基調としたファッションに身を包んでみゆき通りにたむろしていた若者たちのことをいう。オリンピックの直前に風紀向上を目的に一斉取り締まりがなされたので、その全盛期はわずかに半年。
写真集の表紙にもなっているメインイメージの写真にも、黒澤商会の前にみゆき族(コートを着ているから残党?)とおぼしき5〜6人の男がたむろしている。黒澤商会のビルは、いまのみゆき通りと中央通りの角にあったビルで、建て直されているようだが、煉瓦造りの外観はその雰囲気をとどめている。SMBC信託銀行とかドコモが入っているビルだ。
写真集をめくっていって、僕はある写真に吸い込まれた。
伊藤の動きを想像してみる。黒澤商会のところから中央通りを越えて松屋(GINZA Six)の横を通り抜けて行く。今の土地勘でいうとトミー・バハマがあったところを通り抜け、筑紫楼を通りすぎ、ニコンのところを右に曲がる。
100メートルくらい行くと、高輪画廊という三岸節子の孫が経営している画廊がある。その隣に、空き地がある。そこには3年くらい前までボルドー(Bordeaux)というバーがあった。老舗どころか、伝説といってもいいバーだった。山本五十六や白洲次郎も足繁く通ったという。太宰治も行ったかもしれない。
ボルドーの60年前の外観が写されたものが、その写真である。
僕は高輪画廊の息子と仲がいいので、画廊に遊びに行った時にボルドーが取り壊されるらしいから中を見せてもらいにいこうということになって、最初で最後、小さい扉から中に足を踏み入れた。さすが銀座最古のバー、大正末か昭和はじめの建築である。屋根裏というか、なかば天袋のような空間に女中部屋まであったのには驚いた。格式が高すぎて僕なんかが入れるような雰囲気の店ではなかったけど、最後に見せてもらえてよかったとおもう。
もうほんとうにあと数日で取り壊しに入るからということで、なんと、店で使っていたブルボン家の百合の紋章が入ったリキュールグラスと、木製の肘掛け椅子をもらった。グラスはいまも家でシェリーなんかを飲むのに使っている。椅子は、少し壊れていたので修理して実家で「山本五十六大将の座った椅子」と崇められながら使われている。
大切なものだけど、僕はそれらを使うたびにボルドーを思い出すわけではない。なのに、今日、伊藤さんの写真を見て急にあの、薄暗い、がらんとした最後のボルドーに引き戻されてしまった。
僕は幼い頃から視覚と記憶の結びつきがとても強い。図書館で使いたい本がどこにあるかとか、料理の作り方とか、ほとんどのことを映像として覚えている。なににつけて見たいという欲望も強い。つまるところ、見るのが大好きなのだ。大好きな銀座も、見るということに支配された人生の記憶のアルバムなのかもしれない。
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いただいた言葉の一つ一つが、また誰かの文化との出会いになれば幸いです。お好きなものについてぜひご寄稿ください。宜しくお願い申し上げます。