新作映画の封切りが少なく、興行収入ランキングの上位を邦画が占める中、数少ないヒット作となったのがクリストファー・ノーラン監督の『TENET テネット』。前作『ダンケルク』では、戦闘機の愛好家から現存する貴重なスピットファイアを借り、1500人のエキストラを集めて圧倒的な臨場感を生み出したノーランは、『TENET』でもジャンボジェットを爆破して、観客の度肝を抜きました。
ノーラン映画の宣伝では、よく「誰も観たことがない映像体験」という言葉が使われますが、そうした彼の作風を観客に印象付けたのが、2010年公開の『インセプション』です。主演のレオナルド・ディカプリオのほか、マリオン・コティヤール、ジョセフ・ゴードン=レヴィットといったスターが共演し、渡辺謙が事件の発端となるサイトーを演じた『インセプション』は、その難解さにもかかわらず、全世界で8億ドル超の興行成績を記録。アカデミー賞(撮影賞など4部門)をはじめとする数々の映画賞も受賞しました。
夢の世界を具現化するため、映像表現にも工夫を凝らした本作。さすがのノーランもCGを多用していそうなものですが、米WIRED誌によると、『インセプション』で使用されたVFXは約500ショットで、当時のハリウッド大作が1500から2000ものVFXショットを多用していたのと比較して、かなり少なく収まっています。そうしたノーランのこだわりが端的に表れているのが、パリのカフェ風セットで敢行したロケ撮影のシーンです。
主人公のコブは、他人の夢の中に潜り込み、潜在意識から機密情報を盗み出す産業スパイ。そのコブが、新人メンバーのアリアドネに「夢では何でも実現できる」ことを説明するため、周囲を次々と爆破してみせます。しかし、この撮影では爆薬の使用許可が下りず、ノーランは代わりに高圧の水素を使用しました。それによってカフェが吹き飛ぶ様子を複数のアングルから撮影し、映像の再生速度を編集で巧みにコントロールすることにより、弾け飛んだ破片が空中に浮かぶユニークな映像を作り出しています。
他の映画ならこうしたシーンはCGで処理するもの。現実の街で爆破シーンを撮影するのはとても手間がかかるからです。しかし、ノーランは“本物”にこだわることで、「誰も観たことがない映像」を実現しました。「現実ではあり得ない出来事ほどリアルに描写することで、映像にリアリティを生む」という彼の作風は、「ダークナイト・トリロジー」を経て、『インセプション』で完成されたのです。
◆ケトルVOL.56(2020年10月15日発売)
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