SKEの現役メンバーがプロレスラーになった令和の奇跡/『プロレスとアイドル』より

カルチャー
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東京女子プロレスで活躍する選手、SKE48・荒井優希、アップアップガールズ(プロレス)の伊藤麻希、瑞希、そして渡辺未詩の4名に密着取材した書籍『プロレスとアイドル 東京女子プロレスで交錯するドキュメント』が、1月25日(木)に太田出版より刊行されました。

現アイドル&元アイドルが、なぜレスラーになったのか……。「令和の女子プロレス」を象徴する4人の成長物語を、週刊プロレスで記者を務めていた小島和宏がとことん深掘りする1冊です。

OHTABOOKSTANDでは本書の発売を記念して、全5回にわたって本文の一部を試し読み公開します。第2回目は、本書より、第1章冒頭を特別にご紹介します。

第1章 荒井優希

ひょんなことからアイドルになり、なんとなくプロレスラーになった……。

令和の二刀流を生んだ「意外性」の物語 

SKEの現役メンバーがプロレスラーになった令和の奇跡

アイドル兼プロレスラー。

 荒井優希の肩書を簡単に書けば、たった一行で終わってしまうが、今、彼女が立っているポジションをていねいに説明しようとしたら、おおげさではなく、一冊の本を書きおろさなくては尺がたりない。

 これまでもアイドルや有名なタレントがプロレスに参戦するケースは多々あった。ただ、そのほとんどがビッグマッチに数回だけ出場するスポット参加であり、数年に渡って、プロレスを続けたというケースはほとんどない。

 そもそも、この本に登場する4人のプロレスラーは全員が「元アイドル」もしくは「現アイドル」。令和の時代、プロレスラーの前歴がアイドルというのは決して珍しくないし、グラビアアイドルや女優の経験者も含めた、もはやプロレスラーの“供給源”としては芸能界がもっとも多い、と言っても過言ではない。日本中からスポーツエリートが集結した昭和の女子プロレスとは、なりたちからして、まったく違うジャンルになりつつあるのだ。

 その中でも荒井優希は、やはり輝きが違う。

 SKE48 の現役メンバー、という金看板。

 国民的アイドルグループに在籍している、という事実はアイドル界における「メジャーリーガー」ということ。常識で考えたら、プロレスラーと兼業するなんてありえない話なのだ。そんなありえないことが現実のものになってしまうのが、プロレスという自遊空間の面白みでもあるのだが、それにしたって前代未聞の出来事すぎるのである。

 だからこそキャリアはいちばん浅いが「プロレスとアイドル」を論じるこの本では、荒井優希をトップに持ってくる必要があった。

 何度でも書くが、国民的アイドルが定期的にリングに上がって、週末のたびに顔面を蹴られたり、マットに叩きつけられたりしていることは、本当にありえない話であり、令和の奇跡と称しても過言ではないのだ!

 しかし、ここに辿り着くまでの物語は、ちょっと拍子抜けしてしまうぐらい、ドラマティックさとは縁遠い「偶然」の繰り返しだったりする。これもまた令和という時代ならではの現象なのかもしれないが、それ以前の話として、荒井優希というプロレスラーが、これまでのプロレス界の常識とは無縁のところから生み出されたことが強く影響している。そしてなによりも、荒井優希はプロレスラーとして、それこそ現役最強級に「つかみどころがない」という特異性を持っている。取材を続ければ続けるほど、よくわからなくなる……じつはこれこそがプロレスラーとして追いかけたくなる最大の魅力なのかもしれな い。では、アイドルになったルーツまで遡っていこう。

あえて「遠くでアイドルに」なりたかった理由

荒井優希がSKE48に加入したのは2013年11月10日のこと。

 通常は各グループが公募をかけるオーディションを受け、合格者は研究生となり、そこから正規メンバーに昇格していく、というのがAKB48グループの仕組みなのだが、荒井優希はこのルートには乗っていない。

 なぜならば、この年からスタートした「AKB48グループ・ドラフト会議」にてSKE48・チームKⅡから指名されて加入したからだ。

 ドラフト会議はわずか3回で終了してしまい、もう開催されていないので、少し説明しておいたほうがいいだろう。

 システムはプロ野球のドラフト会議とまんま同じ。各グループの各チームが欲しい人材を1位から順に指名。もし指名が被ってしまった場合は、その場でくじ引き抽選をおこなって指名権を争う、というおなじみのアレである。

 ただ、プロ野球と違って全国の中学や高校にアイドル部があるわけではないので、候補者をスカウトが見つけてくることは不可能。その部分に関してだけはちょっと違って、AKB48グループに入りたい、という女の子にオーディションを受けてもらい、そこから3回の審査によって絞りこみ、最終的に残った29人の候補者の中から各チームが指名していく、という段取りだった。

 この時期というのは平成のアイドルブームのピークとも呼べるころであり、日本中に何万人、いや何十万人単位で「AKB48グループに入りたい!」という女の子が存在していた。女性アイドルのファンといえば男性がほとんど、という印象があるかもしれないが、ブームを超えて社会現象にまでなると、女性ファンも増え、私もメンバーになりたい、という層も形成されていく。そう、次の世代のスターが自然と生まれてくるのだ。

 ドラフト会議にエントリーをした荒井優希だったが、別に「どうしてもアイドルになりたい!」という強い意志をもっていたわけではなかった。

 「たまたま友達に誘われて、京セラドーム大阪にAKB48のコンサートを見に行ったんですよ。そのころ京都に住んでいたので、京セラドームがいちばん近かったから。そのコンサートの中でドラフト会議をやりますっていう告知があって、へぇ〜、面白そうだな、と思って応募してみたんです」

 資料を調べてみると、たしかに2013年8月8日に京セラドームで開催されたコンサートにおいて、はじめてドラフト会議開催がアナウンスされている。本当にたまたま荒井優希はその場に居合わせたわけで、これがドームツアーの違う会場で発表されていたら、今の彼女は存在していないかもしれない。

 ドラフト会議だから、どのグループから指名されるかわからない。ただ、そこにはちょっとした救済措置もあったという。

 「応募するときにどのグループに入りたいかを書く欄があったんです。第1希望から第4希望まで書くことができたんですけど、普通に考えたら家に近いグループを希望するじゃないですか? でも私はあえて家から遠い順に書いたんです。いちばん遠い東京のAKB48が第1希望で、次に遠い博多のHKT48が第2希望。次に名古屋のSKE48が来て、地元・関西のNMB48を最後にしました。

 やっぱり自分を変えたいというか、そのころの環境を変えたかったんですよね。せっかくアイドルになるなら、地元を離れて遠くに行きたかった。もしドラフトで選ばれなくても、きっと私、アイドルにはなっていたんだと思うんですけど、そうなった場合でも地元を離れて活動していたと思います」

 つまり、ひょっとしたらAKB48やHKT48に指名されていた可能性もあったのだ。そうなったら、また違った運命が待っていたのかもしれない。

 「そうですね。そうなっていたら、きっとプロレスはやっていないと思います。SKE48に指名されたからこそ、こうやって自由に活動させていただけているし、プロレスとの接点もできたと思うので、まぁ、当時は賛否両論ありましたけど、指名されて本当によかったと思っています」

 ここでいう賛否両論とは、SKE48 チームKⅡの「ドラフト戦略」だった。

 初回だったこともあり、各チームとも慎重に指名をおこなった結果、SKE48以外は2巡目までで指名を終了。4つのチームは1人だけ獲得して、それで終わりにしていたのだが、SKE48のチームKⅡとチームEだけは、なおも指名を続けた。ちなみにここに関しては特に規定は設けられておらず、候補者が残っているあいだは何巡目まででも指名を続けてOKだったので、賛否両論あろうとも、けっしてルール違反ではない。

 結局、最後まで残ったチームKⅡは5巡目まで指名を強行。他のチームはもう参加していないので重複指名の心配もなく、指名権は取り放題。その中で荒井優希は4巡目で指名されている。チームKⅡのドラフト戦略がなかったら、AKB48グループ入りへの道は閉ざされていたわけで、まさに彼女にとって大きな大きな運命の分岐点だった。

 2023年11月10日。

 荒井優希はアイドルになってから10周年を迎えた。 当日は同期の松本慈子、福士奈央と一緒に記念配信をおこなったが、じつは第1回ドラフト会議で指名されたメンバーで、現在も現役を続けているのはこの3人しかいない(AKB48・チームKから2巡目で指名された下口ひななは2024年1月での卒業を発表、福士奈央は2024年4月での卒業を発表)。先見の明があったのか、3人がアイドルとして粘り腰だったのかはわからないが、アイドルにとってドラフト会議は必要だったかどうかのジャッジはある意味、この3人に託されていると言っていいかもしれない。

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小島和宏著の『プロレスとアイドル』は東京女子プロレスで活躍する選手、荒井優希、伊藤麻希、瑞希、渡辺未詩のアイドル&プロレス人生をとことん深掘りした1冊になっています。現アイドル&元アイドルが、なぜレスラーになったのか……。令和の女子プロレス”を象徴する4人の成長物語をお楽しみください。

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