『おもろい以外いらんねん』、『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』で知られる大前粟生による世界初のピン芸人小説『ピン芸人、高崎犬彦』が3月22日に太田出版より刊行されました。
OHTABOOKSTANDでは、全六回にわたって本文の一部を試し読み公開します。第二回では、収録でうまくかなった犬彦がMCの町田のところへ謝りに行きます。
収録はその後大した広がりは見せず、これまでに生まれたいくつかの笑いの流れを回収して終わった。それらは集団芸だったから、多くの芸人は個人としての手応えはなくても満足感を抱くことができた。町田による配慮だった。そもそも今回のテーマも、自分が今、若い芸人たちのためにできることはなんだろうかと考えてのことだった。
『◯◯の人たち』は一五年続く人気深夜番組だ。MCの町田さかながゲストや視聴者からお悩みや雑学を聞いてトークを繰り広げていく。
今回のテーマは「コロナ禍で芸人になった人たち」だった。
高崎犬彦は、できるだけ事務所の被りなくいろいろな経歴を持ったやつを呼びたいという町田さかなの意向で集められたひとりだった。わざわざこのご時世に脱サラして芸人になった、という経歴がプロデューサーの目に留まったらしい。
芸人になって二年、早くもはじめてのテレビ出演だった。
犬彦は二六歳になったばかりだった。それでも今回のゲストの中では歳が上の方だった。収録スタジオには、数撃ちゃあたると言わんばかりに四十人もの芸人が集められた。ゲストたちは円形になって町田さかなを囲んだ。アクリル板で細かく区切られた座席に窮屈そうに身を収めながら、まだ経験も実績もない芸人たちがガツガツと手を挙げ、叫ぶように声を張り、下手なリアクションを大げさに行った。長時間の現場がはじめてで、疲れ切ってハイになる者もいた。そもそも言うこと為すこと支離滅裂だったり、演者やカメラに対して通る声をまだ持っていない者も多く、雑然とした現場だった。
そんな中、町田さかな相手にひとりトークで場を持たせていた安西煮転がしは、今回集められた中でも数少ないピン芸人のひとりだった。
犬彦は安西のことを意識した。芸歴も同じ、歳は俺が二六であいつが確か二五。あいつがあれだけさかなさんと絡めるなら俺だって、俺だって……。
俺は爪痕を残す絶対残すこの日いちばんの笑いを取るんだ笑わせる笑わせるくそくそくそくそ笑わせる笑え笑え笑え笑え、殺す……全員、笑い殺してやる。
そう意気込んだ末に、すっ転んでしまった。特におもしろいことも言えず、ただ事故を起こしただけだった。
収録が終わって、町田さかなはいつもADの葉山に出してもらう好物のホットジャスミン茶を啜りながら、プロデューサー相手に「はあ」とため息をついた。
「でもまあー、酷かもしれんかったなあ今回。若い子らをかわいそうに思ってのことやったけど、かえって実力も運もない子を芸人の世界にずるずる延命させてしまうのかもしれん」
そう言い残しスタジオを後にすると、町田の楽屋の前に高崎犬彦が立っていた。
「さっきはすいませんでした!」
犬彦は深々と頭を下げた。
「えっとー、何回もごめんな、自分名前なんやっけ」
「高崎犬彦です! 俺も実は、漫談をしてて」
「あー。せやったせやった。へえー漫談なん。そっかそっかあ。まあ中入りいや。きみは、どやった? 今日の収録。どう? やる気とか出た?」
「あ。はい! さかなさんの番組に出るのが目標のひとつだったんで!」
「そんなんが目標? ばっさり切ってあげるのがやさしさなんかなあ」
「えっ? あの俺、次はがんばるんで!」
「あーそう。えっとー、自分の名前って本名なんかって聞いたやんか。そういうの聞かれることって今までもあったやろ?」
「あ。はい……事務所の社員さんと、シェアハウスメイトと、あとバイトの面接の時に」
「それだけ? そんなわけないやろ」
「あの俺、親しくしてもらってる先輩とか全然いなくて。コロナだから知り合う機会もないし。平場にもほとんど出たことなくて。すいません。舞い上がっちゃってて」
「あーそう。そうかあ。それは、はぁ、大変やなあ。高崎犬彦って名前せっかくいい名前なんやから、嘘つけとは言わんけど、もーちょい話おもしろくしてもいいと思うけどなあ」
「あ、ありがとうございますっ!」
ボケなきゃ! と思って犬彦は、「ありがとございまスーシー」と言いながらしゃがみ込んで寿司の真似をした。「えんがわ」と言い足したのだが、それに被さってノックの音と、あれ開かないな、という声がしたから犬彦はスッと起き上がった。
その間の悪さに町田は笑いながら、どうぞー、と言い、現れたのは芸歴一七年になる実力派お笑いコンビ、スニーカー&ハイスニーカーだった。
「お──。ひさしぶりやんけえー」
「おひさしぶりですー。さかなさん、これよかったら」ボケの別所が町田に紙袋を渡した。
「いらんねん毎回毎回! 差し入れにスケッチブックなんて」
「またまたあー。大喜利大好きなくせに~」
「大っ好きやわ」
毎度あるノリらしかった。犬彦がスニーカー&ハイスニーカーに挨拶をし、楽屋を出ようとすると、ああきみちょっと待って、と町田に呼び止められた。
「煮転がしにも謝っとけな」
「あ、はい」
さかなさん、俺の名前は覚えてなかったのに、安西煮転がしの名前は覚えてるんだな。まあ、当たり前か。盛り上がってたもんな。それにしても、さかなさんとたくさん話したぞ。やった……! 犬彦はにやつきながら合同の楽屋に戻った。
* * *
収録後、MCの町田さかなと言葉を交わし喜ぶ犬彦。楽屋に戻ったあと犬彦を待ち受けていた出来事とは――。
これまで描かれることの少なかった“ピン芸人”にフォーカスをあてた大前粟生の最新作『ピン芸人、高崎犬彦』。からっぽの芸人・高崎犬彦とネタ至上主義の芸人・安西煮転がしの10年間を追いかけることで、芸人にまとわりつく「売れること」と「消費のされやすさ」の葛藤を描く。
『ピン芸人、高崎犬彦』(著:大前粟生)は現在全国の書店、書籍通販サイト、電子書籍配信サイトで発売中です。