安西煮転がしとの出会い/『ピン芸人、高崎犬彦』試し読み【第3回】

カルチャー
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『おもろい以外いらんねん』、『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』で知られる大前粟生による世界初のピン芸人小説『ピン芸人、高崎犬彦』が3月22日に太田出版より刊行されました。

OHTABOOKSTANDでは、全六回にわたって本文の一部を試し読み公開します。第三回では、犬彦と同じピン芸人の安西煮転がしが言い争いになり……。

 楽屋では思い思いの時間が過ごされていた。番組収録があったということを早速ライブ配信している者。なにやら熱心にメモを取っている者。並べたカバンに寝そべって眠っている者。足載っけてるリュック俺のだろと犬彦は聞こえないくらい小さな声でツッコんだ。

 そばを通りかかったターメリック担々麺のざわに「あいつ見なかった? あの、なんとかにっころがしとかってやつ」と声をかけた。安西煮転がし、とちゃんとフルネームで呼ぶのは癪に障った。「さあ?」と茄子澤。ターメリック担々麺は六人組のコントユニットで、そのうちのひとり石田アルミは犬彦や他の芸人たちとシェアハウスしているのだった。

「そっかサンキュー」

 そうこたえると犬彦は帰る準備をする前に同じフロアのトイレに寄った。収録中の休憩ではいけていなかったから、おしっこが長いこと出た。うわ、長え、まだ続くよ、すげ……犬彦がよろこんでいると、隣の小便器に誰かが立った。他も空いてるのにわざわざ隣かよ、と犬彦が訝しんで顔を上げると、そこには安西煮転がしがいた。

「なあ、死んでくれへん?」

「はあ? いきなりなんだよ」

「おまえみたいなやつ一番嫌いやねん。人のトークあんなやり方で横取りして、しかもおまえの話はひとつもおもしろくない」

「あれは、事故だろ。俺、緊張しちゃって。それで……」

「うわ、ガチか。そこらへんの素人連れてきた方がよっぽどましやん」

「……おまえ、わざわざそれを言いにきたのか?」

「Gランク」

「は?」

「おまえはGランクや。Sが一番上で、A、B、C……おまえは最低も最低のGランク。ゴキブリのG」

「じゃあSはなんなんだよ」

「寿司……シルバニアファミリー……いや、サザエさん……」

「サザエさん?」

「おもろいやろうが、サザエさん」

「独特か」

「おまえは平凡も平凡。ゴキブリみたいに害しかない」

「はははっ。そうかもな」

「きっっっっっしょ。なんで笑えてるわけ? おまえ今日最低やったんやぞ……おまえ、なんで芸人やってるん」

 用を足し終え、手を洗いながら犬彦は「そんなん決まってるだろ」とこたえた。

 鏡越しに安西の目をまっすぐに見つめた。

「人を笑わせるのって最高に気持ちいいから。おまえもそう思うだろ?」

 チッ、と安西が舌打ちをした。

「そう思うんやったら、しっかりやれや。ほんまムカつく」

「でもあれでさかなさんの目に留まった。事故でもなんでもいい。スベっても馬鹿にされても、笑いに繋がるんならそれでいい」

「自力でなんとかする気ないやろ。おまえだけじゃない。あの場にいたやつらのほとんどが、なんとかしてさかなさんに気に入られよう、さかなさんに褒められたい、それしか考えてなかった。クソどもの集まりかよ」

「それが現実的だろ。まだ実績もコネもない俺らがいきなり『◯◯の人たち』に出れたんだから。こんなことってそうそうないだろ。取り入ろうとするのが普通だろ」

「おまえ、プライドないんか」

「プライド? うーん。ははっ。ないかもなあ」

「なにへらへらしてんねん!」

 安西が犬彦に掴みかかった。その勢いでトイレの壁に犬彦を押しつける。

「おまえ僕に謝れ。僕の渾身のネタやってんぞ。はんぺん大御殿漫談……」

「そうだったおまえに謝るんだった。ネタ中断させて悪かったな。俺も最後まで聞きたかったよ、はんぺん大御殿漫談……」

 年配のテレビ局員がトイレに入ってきて、ふたりを戒めるかのように「んんんっ。んんんん!」と咳払いをした。安西はなぜか顔を赤くした。「クソが」と言う。ふたりで口論しながら楽屋へ向かった。その短いあいだにまたヒートアップし、楽屋の扉を開けながら安西が怒鳴る。

「おまえみたいなやつ、おるだけで目障りやねん。早よ辞めてくれへんかな」

「おまえそれ、一年後にも同じこと言えるか?」

「どういう意味や」

「俺のことGランクって言ったよな。それって、伸びしろしかないってことだぞ」

「負け惜しみやん」

「安西はランクなんなんだよ」

「僕はDや」

「意外と謙虚なんだな。Dなんか俺は、すぐに追い越すぞ」

「言っとけ」

 安西が犬彦を睨んだ。

「高崎犬彦、おまえが芸人辞めるまで僕は見張ってるからな」

「おまえ、俺の名前覚えてくれてるんだな」

 犬彦が笑った。

 笑ったから、場の空気が変わった。

 高崎犬彦と安西煮転がし、はじめての出会いだった。

* * *

テレビ局のトイレで安西と口論を繰り広げる犬彦。しかし笑いが二人を結びつけていく――。

これまで描かれることの少なかった“ピン芸人”にフォーカスをあてた大前粟生の最新作『ピン芸人、高崎犬彦』。からっぽの芸人・高崎犬彦とネタ至上主義の芸人・安西煮転がしの10年間を追いかけることで、芸人にまとわりつく「売れること」と「消費のされやすさ」の葛藤を描く。

『ピン芸人、高崎犬彦』(著:大前粟生)は現在全国の書店、書籍通販サイト、電子書籍配信サイトで発売中です。

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