『おもろい以外いらんねん』、『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』で知られる大前粟生による世界初のピン芸人小説『ピン芸人、高崎犬彦』が3月22日に太田出版より刊行されました。
OHTABOOKSTANDでは、全六回にわたって本文の一部を試し読み公開します。第五回は、犬彦たちのシェアハウスに新たな住人がやってきます。
アルミと上級太郎は貧乏だった。特に上級太郎はここの家賃もフラれた彼女に出してもらっていたからなおさらだ。犬彦は会社員経験があり、そのためふたりと比べると貯金もある。お金を持っているということに疚しさがあった。ふたりといると、ジリ貧生活に夢中になれないことがコンプレックスのように思えてくる。
金がなくて馬鹿やってるのが芸人として一番正しいんじゃないか、と。
「おひょー。おひょおひょー」
金槌がフライパンを叩く音に合わせて踊ってみた。それも虚しくなったので、犬彦は近所の公園にネタを作りにいった。
タコをかたどった巨大な遊具がある公園だった。
秋だった。
タコの体にぽっかり空いたトンネルに落ち葉が溜まっていた。犬彦はその上に体育座りし、葉の落ちた街路樹を眺めた。
裸の木をただ眺めていると、泣きそうになってきた。その場にうずくまって、しばらくそうした後、起き上がって、のろのろと公園を横切った。
葉っぱのない木の前で立ち止まった。
木に向かって話しかけるようにして声を出した。
「俺、頭の中におばあちゃんがいるんだ。本当のじゃない、架空の。本当のおばあちゃんは俺が生まれる前に死んじゃったからな、だから、このイマジナリーおばあちゃんが俺にとってのおばあちゃんで、どうしてかいつも、ブリッジしてる。うん。エクソシストみたいに。それで、どうやってるのかわかんないけど、歯でがちゃがちゃ、一面が知らない男の人の顔になったルービックキューブを完成させようとするんだけど、そんなの全然、できるわけないんだ……。くそっ……くそ……」
犬彦の目から涙がぼろぼろ溢れて止まらなかった。
「それで俺、ぐすっ、おばあちゃんに言うんだ。全然できてないよって。そしたらおばあちゃんは、ぺっ! って、なにか飛ばして、歯かなって思って見たら、弁護士バッジで……ううう、うううううう」
犬彦はその場にうずくまって、「ちくしょう」とつぶやいた。「このネタ、俺じゃなくて、あいつが、安西煮転がしが話した方が、おもしろいだろうが……」
芸風が似ていることがそのまま劣等感としてのしかかってきて、喉がぎゅっと圧迫されるように苦しかった。それからうずくまったまま、「スーシー」と言ってみた。
「芽ねぎ」
どうしようもなくなって、家に帰った。
フライパンは平らになるわけもなく、一部が内向きにひしゃげていた。
「俺、このフライパンなんです」
突然の犬彦の告白に、「は?」と上級太郎。換気扇の下でアイコスを吸っていた。
「うまいこと言えないですけど、ほんと、うまいこと言えないですけど、そんな気がして」
「そこは……うまいこと言おうよ」
「イヌはがんばってるよ」石田アルミはたこ焼き粉を鼻から吸おうとしていた。
「ねえジョーさん、イヌがんばってますよね」
「まあ。それはな。うん。オレらがんばってる」
「俺、がんばってますかね」
「まあまた次がんばればええやん。何度チャンス逃してもさあ、次がんばったらいい」
「そうっすよね、次。次。俺、がんばります。きっといいことありますよね」
犬彦がそう言った瞬間、舌打ちが聞こえた。
聞き覚えのある舌打ちだった。
見ると、玄関口にスーツケースを提げた男が立っていた。
安西煮転がしだった。
「なかよしごっこやんけ」
安西の言葉に、「はあ?」と犬彦が反応した。
「おまえなんでいるんだよ」
「言うたやろ。高崎犬彦、おまえが芸人辞めるまで僕が見張ってやる、って」
* * *
マックスおはぎが連れてきた新しいシェアハウスメイトは、なんと安西煮転がしだった――。
これまで描かれることの少なかった“ピン芸人”にフォーカスをあてた大前粟生の最新作『ピン芸人、高崎犬彦』。からっぽの芸人・高崎犬彦とネタ至上主義の芸人・安西煮転がしの10年間を追いかけることで、芸人にまとわりつく「売れること」と「消費のされやすさ」の葛藤を描く。
『ピン芸人、高崎犬彦』(著:大前粟生)は現在全国の書店、書籍通販サイト、電子書籍配信サイトで発売中です。