ふやけて崩れたハンバーガー、やる気のない食堂の冷たいからあげ、サービスエリアの伸びきったうどん……。おいしくなかった食事ほど、強く記憶に残っていることはありませんか。外食の「おいしい」が当たり前となった今、口に合わなかった食事の記憶から都市生活のままならなさを描く短編小説連載。
台風の日にフードデリバリーを届けに来てくれたドライバーのおじさんに、お礼のつもりで家にあったジュースをあげたら次の配達の時にLINE交換しませんかと言われたことがある。その日に頼んだ麻婆丼は封を開けずにそのまま捨てたし、キモすぎて翌月には引っ越した。もちろんデリバリー会社にしっかりクレームも入れた。新宿駅で道を聞かれたので目の前でグーグルマップを開いて懇切丁寧に教えてあげたのに、ところでこの後空いてます? とヘラヘラ言われて心底がっかりしたこともある。知らない人に話しかけられたくないから真夏でもヘッドフォンが手放せなくなった。
こんなことはいくらでもあるんだ。一人暮らしを始めて数年、これだけおびただしい数の人間が行き交う規模の街では、基本的には他人に親切にした分だけ損をするということがようやくわかってきた。そしてうっすらと他者全般が嫌いになっていることに気が付く。よくない。と思ったけれど、そう簡単にはぬぐえなかった。だって本当のことだから。ガラガラの電車でわざわざわたしの隣に座ってくる小太りの男に内心舌打ちしながら席を立つ。ムカつく。移った車両でガードのために隣席にバッグを置いたら、今度は斜向かいにいたおばさんが嫌そうに顔をしかめた。わかってるよ。誰かが来たら、どけるもん。わたしにはわたしの苦労があるということを、わかってくれる人はすごく少ない。別にわかってもらわなくてもいいんだけど。
朝、マンション共用部のストッカーにゴミ袋を放り込んだタイミングで、後ろからおはようございます、とおもむろに声をかけられてものすごくびっくりした。目を合わせないように声の主をちらと見れば、多分同じフロアにこの間引っ越してきた人だ。何だこいつ。無視してそのまま会社に向かう。また愛想良くして何かあったら困るし、もう当分引っ越しはしたくないのだ。
今住んでいるマンションは5階建てのごく小規模なところで、だいたいどの階にどんな人間が住んでいるのか把握している。傾向と対策。それにこのマンションのいいところと言えば、住人同士がなるべく互いに顔を合わせないように暗黙の了解がとられているところにあった。たまに空気を読まずにあいさつしてきたり、エレベーターに乗り合わせようとしてきたりするやつもいるけど、基本的には安心して住みやすい。集合住宅というのはこのくらいでいいのだ。そんなふうに、女の一人暮らしはただでさえ金がかかる、と常日頃思っているのに、101号室にはアラフォーくらいの冴えない女が一人で暮らしているとわかったときは卒倒しそうだった。観察してみれば洗濯物も夜まで外に干しっぱなしだし、よくデリバリーを外に放置してる。たまに見かける彼女から漂う諦観のようなぼやっとしたオーラから、無性に苛立ちを覚えた。だいたい、玄関前に食べ物を放置しておくなんて無防備すぎる。たかを括っているのかもしれないけど、何かあってからじゃ遅いんだからね。
半年前に営業から経理部に異動になって、内勤になった分じぶんの世界が余計に小さくなったように思う。文字通り家と会社の往復。ほどほどに忙しく、ほどほどの給料。バックオフィスって今までヒマそうな部門だと思ってたけど、けっこう骨の折れる仕事も多い。会社一つのなかにマンションのように不文律の細かいルールがいくつもあって、そのことがおもしろい時もあればつまらない時もある。仲の良い人はそれなりにいるけど、飲みに行くのもたまにだし、まして休みの日に会うほど親しい人はナシ。友達作りに会社来てんじゃねーよと言いたくなるほど馴れ合っている同僚などを見るとまた苛立つが、ああいうところから社内恋愛に発展したりするんだろう。そのことを別段うらやましいとか妬ましいとか思わなかった。何にしても、億劫だという感情の方が常に勝る。ずっと前から恋愛に興味がなかったし、これからもないんだと思う。いまのところ、ひとりでも寂しくない。強がりとかじゃなくて、本当にそうなのだ。わたしはわたしで、淡々と暮らすほうがよっぽど性に合っていた。
というわけで昼休みに一人でカラオケに行くくらいには図々しく過ごせるようになったから、トータルでこの会社員生活の居心地は悪くないのかもしれない。締め日を乗り切ったばかりで今日は多少のんびりできそうだった。お昼休憩いただきまあす、と聞こえるか聞こえないかくらいの声でつぶやきデスクを離れ、なんでもない風で会社から少し離れた駅の裏側のカラオケボックスに入る。1時間きっかりしっかり歌ってピザとかチャーハンとか少し軽食をつまめば午後もがんばれる。この魅力的な昼休みの過ごし方をこっそり教えてくれた営業時代の先輩は、上司と折り合いが悪くなってずいぶん前に辞めてしまった。たかが仕事である。理不尽かもしれなくても、黙って言うこと聞いてればよかったのにと思ったが、そういうことじゃないんだろう。先輩のことを思い出すと落ち込むからひとしきり歌いまくる。新曲は知らない。10年以上前の流行歌ばかり、大きな声を出せばシンプルに気持ちがいい。
満足してカラオケボックスを出ようとしたところで、LINEの通知がぽこぽこ鳴った。《互助会》。高校の頃からの女友だち4人のグループラインだ。「来週みんなで集合して行こ〜」。そうだ、来週は春佳の結婚式があるんだった。ご祝儀袋買って、ピン札もおろしておかなくちゃ。そのままスマホのタスクリストに「ご祝儀」とだけメモして社に戻る。みんなに会うのも久しぶりだ。
かつては月イチ、いや2週にいっぺんは自然と集まってはくだらない話ばかりしていたわたしたちだったが、今では直接顔を合わせるのは年に数回ほど。わたし以外の3人は、示しあわせたわけでもないのに20代後半で続々と結婚していき、独り身を謳歌しているのはわたしだけだった。謳歌ってほどでもないけれど、それでもわたしのスタンスを汲み取ってくれている3人は特に何も言わない。し、わたしもわたしで、彼女たちに対して引け目を感じることも特になかった。わだかまりのない4つ分の人生。大学に入ったばかりで、まだ全員が独り身だったころに付けた、互助会というグループ名のことをわたしは今でも気に入っていた。あのころに繰り返し交わしたありふれた約束のことも、いつまでも覚えていた。みんなは忘れてしまったかもしれないけれど。
わたしたち《互助会》メンバーの中でも一番おっとりしている春佳の結婚式は大仰すぎないところがなんとも彼女らしく、無理な演出のたぐいは省かれていてそれがちょうどこちらの気持ちにもフィットして、なんというか普通に良くてめっちゃ泣いた。今どきの結婚式って、型にはまった進行じゃなくてかなりアレンジの自由度が高いのだ。人の結婚式で泣く理由というものが学生のころまではまったく理解できなかったが、その人の歩んできたこれまでの人生の断片を知っているからなのか、30年近く生きているとだんだん身につまされるものがあるからなのか、謎のタイミングで涙が出てきてしまう。
今日は新婦入場でチャペルの扉がばーんと開いた瞬間に泣けたし、フラワーシャワーで花びらが配られた瞬間にも、春佳のお父さんのスピーチでも泣いた。なんなら披露宴のメイン料理が運ばれてきた瞬間にも泣いた(二人が考えて用意してくれたメニューだと思うと)。わたしはそれぞれ同じ理由で《互助会》他の3人の結婚式でも律儀に涙を流してきた。もうこの感動を味わうのも最後かもしれないと思うと、それもそれでまた泣けてくる。ああもうこれでみんなのことを送り出したわ、と鼻をずびずびすすりながら言えば、3人は呆れた顔をして笑った。高砂に寄り添って撮った集合写真のどれも、わたしだけが泣き腫らした顔で写っている。
友だちの結婚式で泣けているうちは、まだわたしは人の心を失ってはいないのだと思うことができた。駅でしゃがみ込む人を無視するたび、マンションの住人のあいさつを無視するたび、わたしはわたしの人格をどこか手の届かない場所へ落っことしてしまったような気になっていた。本当は善人なのだと思いたいわけではない。でも、今のじぶんを客観的に見つめたくないことのほうがだんだん多くなっているのを自覚していた。披露宴会場では春佳の好きな映画のサウンドトラックがいい塩梅で流れていて、ヘッドフォンのない空間にぼあんと反響した。主演の俳優はなんていったっけ。ワインがどんどん注がれる。いくらでも飲めそうなくらいだった。赤、白、赤、赤、白。
せっかくみんなと久しぶりに会ったのだから二次会に行きたかったけれど、今日は各々夜の都合がつかないそうで解散に。もう日曜の夕方だし、主役の春佳も来られないなら仕方ないだろう。またお盆にでもあそぼーね、と式場の最寄駅で2人を見送った後、やっぱりなんとなくまっすぐ帰りたい気持ちにはなれなくて、すぐそばにあった駅前の大きなカラオケボックスに一人で入る。春だというのに他の客の姿はまばらで、一人で、と伝えたにもかかわらず、だだっ広いパーティールームに通された。ラッキーだ。窮屈な靴をぽいと脱ぎ、ソファに上がって思いついた順番でどんどん曲を予約していく。
SMAP、浜崎あゆみ、ジュディマリ、ELT、大塚愛、オレンジレンジ。放課後に4人でよく学校近くのカラオケに行ったことを思い出していた。否、わたしはいつもあの時間のことを思い出しながらカラオケに来ていたのかもしれないとすら思った。たぶん全然声は出てなかったけど、酔ってるから、なんだって気持ちいい。世代ドンピシャの往年ヒットソングをひととおり熱唱したらまあまあ満足して、ここでやっとはじめに注文したコーラをすすった。氷はとっくに溶けていて、水っぽい。ついでにお腹が空いてきたのでポテトを頼んでみたけど、これは運ばれてきた瞬間から冷めていてげんなりした。ポテトが熱いのなんて、当たり前のことじゃないのか。揚げ油をケチっているのか、パサパサしていて無駄に喉が乾く。塩も足りない。しかも、わたしの嫌いなタイプのやたら太くて波形のポテトときたものです。いや、これが好きって人もいるんだろうけど、わたしはフライドポテトといったら断然細切り派なのだ。ぼそぼそのポテトを仕方なくつまんでいると、会社の近くのカラオケは、フードも充実しているほうだったんだなと初めて気がついた。あそこは何を頼んでも揚げたてで出てくるし、ポテトも細切りだし。
披露宴でお高いコースを食べたものだから、ジャンキーな味が欲しかっただけだったのかもしれない。イマイチなポテトをあらかた食べ終えて一息つくと、かかとに鈍い痛みを覚える。見ればべろりと足の皮が剥けていた。うわ。普段履かないパンプスを引っ張り出してきたものだから、靴擦れしていたようだった。カラオケを中断して、ティッシュで傷口を覆っているうちにじくじくした痛みは途端に別の感情に変わり、着飾った格好でパーティールームに一人でマイクを握りしめるじぶんの姿がみじめなものに思えて仕方なかった。さっきポテトを運んできた店員はわたしのほうをちらりと見たが、明らかに結婚式帰りのひとり客のことを何と思っただろうか。せめて、みんなと来れたらよかったのにな。パーティールームとポテト。去年夢中になって見ていたドラマ『ブラッシュアップライフ』のことを不意に思い出して、喉の奥がつかえたようになる。大好きになったドラマだったけど、あんなシスターフッドというのはわたしにとってはほとんど夢物語のようだった。ドラマの中ではなっちもみーぽんも誰も結婚しないし、いつまでも友だち同士でつるんでいる。久しぶりに地元で食事をして、カラオケのやたら広い部屋でのびのび歌って盛り上がって、大して食べたくなかったポテトも笑ってたいらげる。わたしたちだって4人、あんなふうに女友だち、仲良く暮らしていけたらどんなによかっただろうか。「大人になったらみんなでシェアハウスしようよ」と無邪気な約束を何度も交わした時間はずっとずっと遠くにあって、そんなことはみんなすっかり忘れて、わたしだけがここに立ちつくしている。じぶんで選び取った生活のただ中にいて、不平を述べるつもりは一切ないけれど、ただここにみんながいればな、とだけ思う。それだけがわたしの唯一の願いだった。そんなこと言ったら、3人はまた呆れた顔をして笑うだろう。
ルルルルル、とフロントからの電話が鳴る。退出5分前。最後はこれにしよう、と思って入れたモーニング娘。の『LOVEマシーン』は、メロディこそ懐かしいものの一人で歌い切るには難しかった。恋をしようじゃないか。そうだよね。当たり前にそう言える時代があったことは、輝かしくも思えたし、疎ましくも思えた。画面の中で踊るかつての少女たちの妙に大人びた表情をなぜか直視できなくて、アウトロが消えるのを待たずに部屋を出た。
第9回(最終回)へつづく
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筆者について
イマジナリー文藝倶楽部「オルタナ旧市街」主宰。19年より、同名ネットプリントを不定期刊行中。自家本『一般』『ハーフ・フィクション』好評発売中。『代わりに読む人』『小説すばる』『文學界』等に寄稿。