お口に合いませんでした
第4回

終末にはうってつけの食事

暮らし
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ふやけて崩れたハンバーガー、やる気のない食堂の冷たいからあげ、サービスエリアの伸びきったうどん……。おいしくなかった食事ほど、強く記憶に残っていることはありませんか。外食の「おいしい」が当たり前となった今、口に合わなかった食事の記憶から都市生活のままならなさを描く短編小説連載。

 まもなく予告編に続き本編の上映を開始します——。ブーゥという昔ながらのブザー音ごととじ込めるようにして、1番シアターの扉を閉める。おんぼろだが防音の分厚い二重扉は重たく、両手を使ってもゆっくりとした速度でしか動かすことはできない。ふつうのドアとは違って、完全に閉じ切る瞬間はバタン、とはいわず、ばしゅん、と、真空パックの空気を抜くような音がする。外界から切り離された、映画のためだけの空間。それを最後にこの手で仕上げるような気がして、フロアスタッフに与えらえた数々の仕事のうちでも「予告がはじまる直前になったら、必ずスタッフの手で各シアターの扉を閉めましょう」という作業のことはけっこう好きだった。


 きょうは古い邦画のリバイバル上映だった。モノクロの画面のなかで、父親役の俳優が突然怒り出してちゃぶ台をひっくり返す。お約束。ああっと言って泣き出す母親役の女優の、なまめかしい肌の白さが見どころらしい。上映チェックでおとといの晩、映写室ですこしだけ観せてもらったのだ。主演の俳優はたしか何年か前に死んだんだ。昭和の名優と、もう何人の人をそう形容したのかわからないニュースの見出しが頭の隅にちらつく。著名人の死はいつもセンセーショナルな話題として提供されるけれど、すこし経てば生きていたか死んでしまったか忘れてしまうことのほうが多い。再放送のドラマを見ていたとき、脇役の俳優の年齢が気になって調べたらもうとっくに他界していたということもある。たとえ創作の世界であったとしても、生きているように振る舞う姿が反芻されると、その実存を見失う。忘れられることのない人間というのは、死んだことを記憶されるんじゃなくて、いつまでも生きているように錯覚させることにあるような気がした。


 スクリーンの向こうで台無しになった食卓に、いやな記憶を思い起こされたのでその日の上映チェックはそこまでで終わりにした。数年前まで別の街で同棲していた元恋人は、夜勤から帰ってくると、わたしに作らせた味噌汁を一口すすって大抵いつも、味が変だと言って不機嫌になった。いつも何かに怒っていた。文句があるならじぶんで作ってくれよとずっと思っていたが言わなかった。言えなかったから。

 朝一番のロビーにいた客はまばらで、暇を持て余した老人が数人と、同じく暇を持て余していそうな学生らしき若者が数人。二本立てで上映時間は3時間近くもあるものだから、きっとこのうちの何人かは退屈して途中で休憩に出てくるだろう。コーヒーを仕込んでおかなくちゃ。ベイクドポテトを注文する客もいるかもしれない。扉がきちんと閉まっているのを確認すると、今度は売店のカウンターを開けてオーブンの余熱を設定する。ポップコーンを頼んでくる人もいるだろうか、一応作り置きしておこうか、どうしようか。パンフレットの在庫も確認しなくちゃ。午前中はワンオペなのだ。


 そうこうしているうちに、同じフロアにもう一つある2番シアターの上映も始まりそうだった。こっちは新作のB級パニック。これも先週チェックで少し観た。もう何度題材に使われてきたか数えきれない、地球最後の日をひとり知恵と勇気で生き抜く男の話。冒頭を観た感じはだいたい『アイ・アム・レジェンド』の三番煎じといったところだったが、犬は出てくるのかな。公開2週目だが、客入りも口コミもいまいちである。どう考えても朝イチに観に来なくたっていいような作品だと内心思ったが、早めに来た客のチケットをもぎり、待ち合いロビーへ案内する。いまどきのシネコンじゃ、印刷されたQRコードをかざすくらいで済むことをいちいちやる。

 さっきチケットをもぎった中年の男性がつかつかとレジへ来て、すこし迷ったそぶりのあとでホットドッグとコーヒーを注文してきた。平日午前中の映画館というのは、さほど混雑しない代わりに、朝食がわりの食事をここで済ませる人も案外多いのでスタッフとしてはそれほど気は抜けない。劇場の設備はオールド・ファッションなくせに、無駄にフードが充実しているのがここの悪いところだと思う。

 大衆向けの新作と、マニア向けのリバイバルを交互に上映する無節操な平成のシネコン。匿名のだれかが投稿したその不名誉なレビューは、皮肉にもこの劇場を形容した言葉のなかで最も的を射ていた。レジの前に貼り付けられた、期間限定のカレー味ポテトだとか、周回遅れのタピオカドリンクだとかの急ごしらえのメニューを横目に内心呆れる。ここのほかにも近郊に数ヶ所だけある系列館にも同じものが貼られているんだろう。上映ラインナップだけでは勝負できないからって、食事のバリエーションを増やしたって顧客単価はいくらも上がらないと思うのだけれど。要するに中途半端なのだ。まあ、メニューが増えるたび手間も増えるだけの、いちバイトスタッフの愚痴にすぎないのだが。

 冷凍の業務用ドッグパンに湯せんで解凍した業務用ソーセージを挟み、使い古されたタッパーに突っ込んでさらにそれをレンジに突っ込んで1分20秒。取り出してビニール手袋をはめた手で熱さを確認し、きちんと温まっていればOK。それにコーヒーを付けたセットがなんと800円もするので笑える。これが本社から与えられたマニュアル通りのホットドッグの作り方であった。

 調理(と言えるか微妙だが)過程はさておき、この通りきっかりやると、1分20秒ではまだ熱がうまく回りきらず、結局温め直す羽目になることが多い。レンジが古いせいなのか、冷凍庫すらも古すぎて均等に冷凍されていないからか、はたまた本社のマニュアルが適当なのか理由はよくわからない。ともかく、二度手間を避けたいという理由でわたしは規定の1分20秒よりもすこし長めの1分35秒を目安にホットドッグを作ることにしている。1分40秒にダイヤルを設定して加熱すると、だいたい1分20秒あたりから1分30秒くらいのところで、中のソーセージがぷぃ〜と音を立てるのだ。ようく加熱されて、はちきれそうに膨らんでいる。チンと鳴る5秒前に扉を開けてタッパーを取り出す。するとほとんど同時に限界を迎えたソーセージの皮もべりりと破れている。どこからどう見てもあつあつのホットドッグの完成です。レンジから取り出してケチャップとマスタードをにゅうとかけ、紙箱に収めてできあがり。

 ホットドッグセットお待たせしましたぁと、レジの脇からさっきの客へ手渡す。マニュアル通りに作るとずいぶんのっぺりした味気ない姿になってしまうのだが、1分35秒ルールで作ったこいつは見た目もシズル感たっぷりだし、ソーセージの肉汁がパンに染み込んで実際うまいとも思う。前に、作り置きしたホットドッグが廃棄になった時に温め直してみたら生まれた偶然のレシピなのだが、我ながらイケてる一工夫だと思った。

 のだが。

 一通り朝のワンオペ客さばきが終わって、いくぶんのんびりした心持ちで余熱の仕上がったオーブンにこれもまた冷凍のポテトをぽいぽい放り込んでいると、まだ上映が始まって間もないのに2番シアターの後方扉が開いて、つい数十分前にホットドッグセットを手渡した中年の男性客が再びつかつかとこちらにやってきた。あっ、嫌な予感がする。と瞬間的に思ったのは間違いではなく、男性はホットドッグの紙箱をずいと突っ返し、
「こんなの食えないよ」
と不愉快そうに言い捨てた。やばい。まだ硬い部分でもあっただろうか。ええと、と言いながら、ひとまず突っ返された紙箱を開けてみる。中には半分ほど食べかけのホットドッグが、しなびた姿で横たわっていた。半分は食べたのかよ。ええと、温め直しましょうか?と言いながら顔を上げると、男性はもう一度いまいましそうに、「そういうんじゃなくて、こんなの食えないって言ってんの」と早口でまくしたてた。「もういらないよ、違うの買うから返金してよ」カウンターを中指でととととんと男が叩く。目を合わせない方がいい気がしたので、男の着ている長袖シャツにどでかくプリントされた、ハーレーダビッドソンのロゴにぼんやりと焦点を合わせる。食えない理由を説明してほしかったのだが、この態度では何を言ってもダメ系の客だろう。長く勤めているから、話の通じ方でタイプがわかる。はあ。でもあのう、半分食べちゃった……ですよね。そしたらその、返金はちょっと、むずかしいっていうか。すいません。男のテンポに反して、極めてゆっくりとしゃべる。ハァー、と男は長いため息をついたが、映画の続きが気になるのか、それからは黙ってわたしを一瞬睨んだあと、また2番シアターへ戻っていった。

 この手の客は、上映が終わったら劇場宛にクレームを入れに来るか、映画が面白ければそのまま気をよくして帰ってしまうこともある。映画館のいいところはこういうところにあったが、ともあれわたしの今日の命運は地球滅亡を生き抜く男の立ち振る舞いにかかっていた。大博打である。カウンターには食べかけのかわいそうなホットドッグ。これ、捨てちゃっていいんだろうか。

 それから1時間半とすこし、2番シアターの上映が終わるまでは気が気じゃなかった。エンドロールが終わり、閉めた扉をすばやく開けてストッパーをかけると、わたしは急いでレジに戻り、戸棚の下の在庫をチェックするふりをしながらなんとなく目立たないように隠れた。ワンオペじゃなければしれっと休憩に行くふりをしてこの場を離れられるのに。我ながら情けないと思いつつしばらく息をひそめていたけれど、結局さっきのハーレーダビッドソン男は来なかった。あの映画が怒りを忘れるほど面白かったという可能性は、ちょっと低いような気がする。さしずめ、あとでレビューサイトに悪口を書かれるかな。どちらにせよ、直接じぶんにあれ以上怒りの矛先を向けられるよりは遥かにマシだった。ああよかった。

 てなことがあってさと、それからしばらくあとで遅番の交代にやってきた後輩の秋山くんに引き継ぎがてら顛末を話すと、マジっすか。こえー。と笑われた。そうだよね。結局ホットドッグの何がおかしかったか教えてくれなかったし……。ふーん、と、手指消毒を済ませた秋山くんが、ゴミ箱の近くに置きっぱなしにしていたさっきの食べかけホットドッグの箱を見つける。もしクレーム対応ということになったら、検証のために残しておいた方がいいかと思って取っておいたのだ。秋山くんはぱかりと紙箱を開けると、んっと顔をしかめた。これ、ソーセージ加熱しすぎじゃないスか?

 かれが見せてきた食べかけホットドッグは、時間が経ったせいでさっきよりしなびてゾンビのような姿になっていた。裂け目からあふれた肉汁をパンが吸い込んで、ソーセージはカルパスみたいに皺くちゃだった。なぜこうなっているのか、わたしは秋山くんに、1分35秒ルールのレシピを特別に教えてあげる。秋山くんはわたしの説明と手元のゾンビドッグを交互に見ながら、ますます顔をしかめて言った。いやいやいや、味覚おかしいっスよ。

 ソーセージとか、あの皮を噛み切って肉汁が口の中でパリッとするとこが一番うまいんでしょ、それを奪ってんじゃないスか。それは、こんなの食えないよってなるでしょ。おれでも怒りますよ、これと適当に淹れたコーヒーで800円も払ってんスから。てか、普通にマニュアル通り作らないと抜き打ちで本社から指導されますよ。映画館のフードなんて、そこそこでいいんだから。なんでそこで謎にやる気だしちゃったんスか。おもしろ。と、終始(笑)が語尾に付いていそうなニュアンスで滔々と諭されてしまった。そうだろうか。そうだったのだろうか。文字通り論破されたというのはこういう瞬間のことを言うのだと思う。秋山くん、わたしより一回りも年下なのに……。そっかあ。とだけ絞り出して、引き継ぎ事項だけ伝えて退勤する。世知辛い。こんな慣用句にも味覚が使われている。

 かつて勤めていたがまったく合わずに辞めてしまった数々のアルバイトに比べたら都心の映画館勤務は楽だった。従業員のほとんどが大学生なので、わたしのような得体の知れないフリーターに対する好奇と蔑視のないまぜになった視線にいちいち傷付くのをやめればなおのこと。

 マンションに帰宅して少し寝て、1時間くらいの昼寝と思ったらたいてい5時間くらいは寝ている。傷付かないと思い込みたいだけで、実際のところ少しばかりは落ち込んでいる。長く寝ることで一度思考を切り離した気になれるんだと思う。無駄に重たい体をもぞもぞ動かして、布団の中でスマホをいじる。だいたいこんな感じの生活をだらだら続けていたらいい年齢になってしまった。交際相手はおろか、友達と呼べる人もあまりいないし、実家にももう何年も帰っていないけれど、それでもひっくり返されるだけのちゃぶ台も家族も持たない生活は、わたしにとっては快適極まりないものだった。十分に満足かと問われたら答えに窮してしまうけれど、機能不全の集合にとらわれなくてもいい、都市生活の身軽さはわたしにちょうどよく合っている気がした。

 料理をする気力はわかないがお腹は減るので、今日は気に入った店のフードデリバリーを注文しちゃおう。安くはないからたまの贅沢くらいのつもりだったが、利用するのはすでに今週で2度目だった。来週は自炊をしなくては。アプリを開いて注文したのは具だくさんが自慢のお野菜スープ専門店という、栄養の偏りがちな一人暮らしにはおあつらえ向きの店であった。クラムチャウダーやミネストローネ、シチューなど商品の写真はどれも彩り豊かで、いつも迷ってしまうのだがわたしは野菜とソーセージの入ったホワイトシチュー&パンセットがとりわけお気に入りだった。パッケージには「あったか~いスープでお腹もココロも満たしてくださいね♪」と書かれた手書き風のメッセージカードまで添えられていて、いつも同じものが入っているがなんとなく気配りを感じてなごむ。

 ひとつ不満があるとしたら、「チャイムを鳴らしてから置き配してください」と設定しているにもかかわらず、わたしの家にやってくるドライバーはなぜか品物だけ置いて無言で立ち去ってしまう。うっかりしていると到着時間を見誤って、いつも30分ほど放置してしまうのだ。またか、と思うけれど、クレームを入れる気にもなれなかった。むやみに他人に怒るのも気力の要ることだと思う。

 玄関の扉をすこしだけ開け、にゅっと腕1本だけを伸ばして紙袋を回収する。ぱたりと扉を閉める。なんとなくそうしたくなって、玄関に立ったまま中身をあけ、付属のスプーンでシチューを口に運んでみる。どろりとしたホワイトソースの味付けは絶妙で、ちょっと豚骨スープにも近いような濃厚さがおいしい。野菜は細かく刻まれて溶け込んでいて、消化にもよさそうだし。容器をかき回すと大きなソーセージが一本。これがまたいい。このソーセージは皮と中身の食感に差がない、パリッとしていないタイプなのであった。わたしはこのタイプのソーセージが好みなのだ。これと同じものがあのホットドッグにも採用されていたら、今日みたいなことにはならなかったかもしれないのに。

 味覚おかしいっスよ。似たようなことをきっと数年前にも言われたかもしれない。わたしには正解というものがわからなかったし、わかろうともしていなかった。シチューは冷めている。温め直そうか、どうしようか。冷たい玄関の扉の向こうで何かがうごめいている気がして、上下の鍵をがちゃがちゃとふたつとも施錠してドアガードまでかけた。静寂。わたしだけが存在している、快適で安全な劇場。あのB級パニックの結末がどうなったのか、やけに気になった。

第5回につづく

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筆者について

イマジナリー文藝倶楽部「オルタナ旧市街」主宰。19年より、同名ネットプリントを不定期刊行中。自家本『一般』『ハーフ・フィクション』好評発売中。『代わりに読む人』『小説すばる』『文學界』等に寄稿。

  1. 第1回 : ゴースト・レストラン
  2. 第2回 : ユートピアの肉
  3. 第3回 : 愚者のためのクレープ
  4. 第4回 : 終末にはうってつけの食事
  5. 第5回 : メランコリック中華麺
  6. 第6回 : 町でいちばんのうどん屋
連載「お口に合いませんでした」
  1. 第1回 : ゴースト・レストラン
  2. 第2回 : ユートピアの肉
  3. 第3回 : 愚者のためのクレープ
  4. 第4回 : 終末にはうってつけの食事
  5. 第5回 : メランコリック中華麺
  6. 第6回 : 町でいちばんのうどん屋
  7. 連載「お口に合いませんでした」記事一覧
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