お口に合いませんでした
第2回

ユートピアの肉

暮らし
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ふやけて崩れたハンバーガー、やる気のない食堂の冷たいからあげ、サービスエリアの伸びきったうどん……。おいしくなかった食事ほど、強く記憶に残っていることはありませんか。外食の「おいしい」が当たり前となった今、口に合わなかった食事の記憶から都市生活のままならなさを描く短編小説連載。

 付き合っていない相手と一緒にアレに行くというのは、わたしにとってはかなり暗い未来の宣告に近いものだった。アレというのは郊外のばかでかい土地の上に建てられた、本当に必要なものは何ひとつとして売られてはいない、巨大な北欧インテリアの量販店のことである。

『(500)日のサマー』という映画を知っている人ならきっと盛大に共感してくれるはずだ。少し前の大学生なら必修科目の授業以上にこぞってみんなが観ていた作品である。端的に要約すると、劇中には付き合っていないけどこれはもう付き合ってるって言っちゃってもいいんじゃね!?くらいの関係な相手とアレに行くというくだりがあり、そこでまた家族ごっこなんかをやっちゃったりなんかして、しまいには展示用のベッドでイチャついちゃったりなんかするという吐き気がするほど楽しい感じのシーンまである。アレはそういう極めて絶妙な間柄の人間と、もしも二人で暮らすなら居間にはどんなソファがふさわしいか、どのくらいの固さの枕が好みか議論したり、あるいはキッチンに置くかわいいスポンジを選んだりするための場所なのだ。


 あそこで売っているオバケの形の風呂桶だかなんだかがインターネットでバズったとかで、それが欲しいから行こう行こう行こう行こうと、夏井さんに突然誘われたのが一昨日の晩である。夏井さんとわたしは野外映画の上映祭で知り合ってからのここ3ヶ月、それなりに素敵な友人関係を築けているように思えた。趣味の集まりで知り合うなんて、出会いの少ない会社員にとってはお手本のようなスタートダッシュだ。それから気になる映画があれば時々誘い合わせてレイトショーを観に行ったりしたけれど、映画以外の口実で夏井さんから誘われたのは初めてだった。

 待ち合わせ時間を決めるメッセージアプリの上ではまァわたしも家具とか見たいし別にいいですよ的なそぶりをしつつわたしは内心かなり浮かれていたが、それと同時に、じぶんが望む夏井さんとの関係性というのは手に入れることができないんだろうという予感もしていた。わたしは映画の主人公トムとは違って察しがよいのである。ここ最近、マンションの上の階の住人が深夜に物音をやたらと立ててくるおかげで寝不足気味だったのだが、夏井さんの誘いを受けてからは期待と不安半分ずつが頭の中で大盛りの中華麺みたいに絡まり合ってますます眠れなくなり、待ち合わせ当日にはなんだかゾンビのような顔つきになってしまった。


 郊外のばかでかい土地というだけあって、休日の電車は行楽客でそれなりに賑わっていたものの、目的駅に降り立つとそれほど混み合っている風ではなかった。駅前にはなだらかな芝生の丘状に整備された公園兼サードウェーブなコーヒースタンド、真っ白な制服を身につけた店員が軒先で試飲のカップを配っている。背後にそびえるのはマインクラフトのブロックをそのまま縦に連結させたような形のタワーマンションが無遠慮に窓ガラスの反射光を放つものだからすこし目が痛かった。

 丘の上の広場には仕立てのいい服を着た老夫婦やツラのいい親子や上等な毛並みの大型犬を散歩させる人が秋口の気持ちのいい青空の下にほどよい密度で存在している。豊かさと幸福の象徴はこれですよと言わんばかりの景色に一瞬胸やけしそうになった。都市が与えるユートピアは郊外に存在している。見渡せばそこかしこに緑があるけれど、ここに最初から自生する植物などひとつもないことが、そのことをよく物語っているようだった。やわらかく葉を揺らすトネリコの木も、静かな笑顔をたたえる丘の上の人々も、配置されているような違和感があった。実際あの輪の中にも個別の人生があるのだとわかってはいるけれど。わたしが地元のさびれたショッピングモールや国道沿いのチェーン店にノスタルジーを感じるように、生まれたときからここに住む子どもたちはこの風景をいずれ懐かしんだりするんだろうか。


 広場のゆるやかな緑道を抜けるとアレがある。駅で合流した夏井さんはオバケの風呂桶が売り切れていないかしきりに心配していたけれど、入り口のゲートをくぐると突き抜けるような高い天井や、迷路状になった広い売り場が眼前に広がり、わたしたちは小さく歓声をあげた。この店に来るのは別に初めてのことではなかったけれど、広くて物がたくさん売っている場所というのは、どこだってテーマパークに来たような高揚感に包まれる。なんだかんだ言ってわたしは人並みにミーハーなたちなのである。

 使い勝手がいいんだか悪いんだかさっぱりわからないナイロンのどでかいショッピング・バッグを手に、順路に沿って売り場を回りはじめる。オバケの風呂桶はさすが人気商品らしく入店してからわりとすぐのところに積まれていて、夏井さんは早々に目的を達成してにこにこしていた。ただここは美術館のように、一度入るとほとんどすべての売り場を通過しないことには原則外に出られない仕組みになっているのでまだまだ先は長いのだ。


 迷路のような店内をだらだらと歩いて目についたインテリアを物色しながら、わたしは最近夜中の決まった時間に物音を立ててくる、上の階の住人の話をした。週に3回、深夜1時から2時の間に必ずごごごごごう、ズーーーガラガラという決まった騒音を発するのだ。車輪のついた棚だか引き戸だかを移動させているような音だ。上は最上階の5階でいわゆるペントハウスになっていて、喋ったことはないけれど契約書の書面上ではどうやら管理人の住まいとなっているらしい。

 一度、飲み会で遅くに帰宅した晩、5階へ続く非常階段の明かりがついていたのでふとのぞいてみたら、くだんの管理人がばっさばっさと洗濯物を干しているのを目撃してしまったことがある。そりゃまあ、狭いベランダに干すよか非常階段の手すりのほうが広々使えるのはわかるけど。管理人なのに物音は立てるし共用部分で好き勝手し放題とは呆れたものだよねえ。と話したところで、じゃ、その管理人さんにはこういうのを買ってあげたほうがいいんじゃないかいと、夏井さんはランドリー用品売り場からキャスターの車輪にかぶせる防音キャップ(ピンクのラメ入り)をいつの間にか持ってきてにやりと笑った。いやだ、買うもんかと押しつけあう。あー楽しい。ショートカットができないという施設の仕組みは、なるほどテーマパークと少し似ているし、おしゃべりにはうってつけの場所かもしれないとひとり合点した。


 フロアの中盤あたりまでさしかかると、あたたかそうな食べ物のにおいがただよってくる。フードコートだ! 夏井さんもわたしもお腹が空いていたので、いったんここで昼食をとることにした。わたしはここで食事をするのは実のところ初めてだった。アルミのテーブルや配膳カウンターはどこか外国の空港のような雰囲気で、めいめいトレイを持ってレーンに並んで好きなものを注文するというビュフェ形式だ。あたりを見回すと、みなホットドッグのような軽食か、あるいは丸い肉だんごを食べている人が多そうだった。あれはなんだろう。メニューには「一番人気! ビヨンド・ミートボール」と書かれている。ビヨンドとは何かしらと思えば、どうやらプラントベース(植物性代替食品)のことらしい。つまりは豆腐ハンバーグだとか、そういう感じのものですね。健康上によいだとか生態系への配慮だとか宗教だとかいろいろな理由があってこういう食べ物が存在していることはわかっているけど、この国の世間一般としてはまだわたしのような認識の――つまり肉か代替肉があれば肉を迷いなく選択するタイプの――人間が大半だろうし、これがこの施設で一番人気を誇るほど支持されているというのが意外だった。どれ、ものは試しに、ビヨンド肉に挑戦してみようじゃない。


 フードコートはそれなりに混雑していたが、よく設計された配膳レーンのシステムのおかげでさほど待つことなく奥から盛り付けられたプレートが手渡される。まん丸のミートボールが山盛りに、付け合わせのマッシュポテトと青菜が少々。見た目は素っ気ないけれど、添えられたキノコのソースはほかほかと良い香りがした。代替肉を使ったメニューは他にもいくつかあるようだったが、同じように列に並ぶ人のトレイをちらと盗み見ても、どれがそうであるか見た目には判断がつかなかった。


 出口に近い窓際の座席につくと、あとからやってきた夏井さんが2人分のクランベリージュースを持ってきてくれた。どうやらこのジュースも話題の品らしい。一口含むと確かに甘酸っぱくておいしかった。フードコートって言っても、結構ここはレベルが高いんじゃないだろうか。夏井さんはミートボールにも興味を持っていたが、フェアトレードの魚で作られたというムニエルを選んだようだった。じゃ、いただきましょうと言って、不自然なほど完璧な球体の形をしたミートボールをフォークでとりあげ口へ運ぶ。


 ねちり。
 と、いう表現がもっとも正しい擬音であった。なんだか妙な弾力がある。食べ慣れた挽き肉のそれとは異なるテクスチャは、どちらかというと消しゴムをかじったような食感だった。うむと思いながら咀嚼するが、植物とも哺乳類とも魚ともつかない、たとえようのない風味が口の中に広がった。想像と異なるものを体内に入れようとすると一回からだが拒否するのか、うぇ、と喉の奥でえづいてしまう。クランベリージュースを飲む。吐き出さなくてよかった。夏井さんに見られたら行儀の悪い人間だと思われてしまう。わたしは食事のマナーに関してはきちんとしていたいたちなのだ。目の前の球体ははたしかにミートボールの形をしているけれど、これは一体なんだろう。まるでSF映画で主人公がクローンと初めて対峙したときに感じる違和感のような、奇妙な得体の知れなさに冷や汗が出てきそうだった。


 いっぽうで添えられたキノコのソースは塩気もほどよくクリーミーで、マッシュポテトと絡めるとおいしいと思えたけれど、ミートボール本体の味だけはよくよく舌の上で転がしてみても「わからない」というほか形容しがたかった。大豆や麦などを材料としているらしかったが、味に深みがないというか、消しゴムのような食感が先行するばかりで、その次にやってくる表層とは異なる香りやコクや、噛みしめることで発生するべき別の階層の味わいがまったく感じられないのだ。本当の肉と違わぬ風味を期待したけれど、どうやら期待しすぎたようだった。これなら、最初から大豆ボールとかそういう名前で、豆の味を生かしたらよかったのに。なんだか無性にステーキやハンバーグが食べたい気持ちだった。人を食った熊がその味を覚えてしまうのと同じで、肉への執着とは、動物にとって切り離せないひとつの欲求であり依存なのかもしれない。食糧難に陥った未来で、「本物の肉が食べたいのう」とつぶやきながら合成食品を口に運ぶ、じぶんの老いた姿を想像した。なんか、わりと実現しそうでこわい。


 神妙な顔つきで咀嚼を続けるわたしを訝しんで、夏井さんがミートボールひとつちょうだいと言ってきた。まだまだたくさんあるからぜひどうぞ。ロンギヌスの槍のごとくぷつりとフォークで完璧な球体が突き刺される。すこしの間、真顔でミートボールをかみ砕いた夏井さんは、不思議な味だけどおいしいねと笑って、それから気候変動や食糧自給率の話をはじめた。じぶんの食事に対する快楽よりも地球環境のことを優先できる夏井さんはひどく大人びて見えたが、同時にそれに対する正しい態度というものがわからなかった。訳知り顔で相槌をうっている最中、そわそわとした気分がつきまとっていた。この気持ちはなんなんだろう。


 残すのも悪いので大盛りの消しゴムを無理やり詰め込むと気分が悪くなった。どうしてこれが人気ナンバーワンなのだろう。夏井さんの感想もあてにならないし、じぶんの味覚がおかしいのかもしれないと、トイレに立ったふりをして個室でYahoo!知恵袋を検索してみると、「ビヨンド・ミートボールって変な味がしますよね?」という書き込みにしっかり9件の賛同コメントが寄せられていた。ありがとう。わたしはおかしくなかった。もし地球が食糧難に陥ったらこれら9件の書き込み主を探しあてて共同キャンプを作りたい。ビヨンド・ミートボールをつつきながら気候変動の話をしている最中、わたしは「それにしたってもう少しマシな味があるよね」と笑い合いたかっただけかもしれないと思った。


 ベルトコンベア状になった返却台に食器を下げると、ゴム扉の向こうにすーっとトレイや皿やコップがおかまいなしに吸い込まれていく。いくらでも眺めていられるような気もしたが、ふたたび売り場を回ることに。子ども部屋、書斎、キッチン、食卓。パッキングされた豊かな暮らしの提案は、ここに来るまでに見てきた丘の上の清潔そうな家族たちの持ち物によく似ていた。最大多数の求めるものはだいたいこんな感じになるらしい。星のレリーフが彫ってあるガーデンランタンや、くるみ色のチェストなど、通り過ぎていく売り場のなかでそそられるユニークな品物は確かにいくつかあったけれど、これをわたしの無味乾燥なワンルームの一室に置いたところで何になるのかという気恥ずかしさが先行して結局何も買わなかった。

 夏井さんはオバケの風呂桶のほか、蜘蛛の巣をかたどった鍋敷きやパンプキン味のスナック菓子なんかまでぽいぽいとショッピング・バッグに放り込んでいて、もうすぐハロウィーンだから部屋を模様替えして友だちを呼ぶのだとにこにこしている。だだっぴろいレジカウンターを抜けて、ほとんど手ぶらのわたしと、ふくれた買い物袋を両手にさげた夏井さんの組み合わせは傍から見て滑稽だっただろう。生活をいろどるための道具すら上手に選ぶことができないわたしには、少しの工夫で日常を楽しむことができる夏井さんが心底かがやかしいものに思えた。こういう人と一緒にいたらわたしも変われるかもしれないというような考えが一瞬よぎったが、じぶんの浅ましさにすぐ気がついて恥ずかしくなる。誰かと暮らしを分け合うということは、きっとそういうことではないのだ。


 本当に欲しいものがなんなのかもわからないくせに代替品を突っぱねることと、本当に欲しいわけではないとわかりながらよく似たものを受け入れることのどちらも嫌だった。いつまでもじぶんのことばかりを考えている。なんだかここに来てからずっと、誰かの芝居を見ているような感覚だった。なんとなく居心地の悪さを感じて口数の減った帰り道で、夏井さんの機嫌を損ねたかどうかよりも、じぶんの考え方やふるまいがどうであったかだけが気がかりだった。次の約束を取り付けないまま駅へと続く緑道をただじぶんの歩幅で歩いている途中、遊び疲れた子を抱いた美しい夫婦とすれ違う。その後ろ姿を、わたしはじっと眺めていた。

第3回につづく

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筆者について

イマジナリー文藝倶楽部「オルタナ旧市街」主宰。19年より、同名ネットプリントを不定期刊行中。自家本『一般』『ハーフ・フィクション』好評発売中。『代わりに読む人』『小説すばる』『文學界』等に寄稿。

  1. 第1回 : ゴースト・レストラン
  2. 第2回 : ユートピアの肉
  3. 第3回 : 愚者のためのクレープ
  4. 第4回 : 終末にはうってつけの食事
  5. 第5回 : メランコリック中華麺
  6. 第6回 : 町でいちばんのうどん屋
  7. 第7回 : 冷たいからあげの福音
  8. 第8回 : フライド(ポテト)と偏見
連載「お口に合いませんでした」
  1. 第1回 : ゴースト・レストラン
  2. 第2回 : ユートピアの肉
  3. 第3回 : 愚者のためのクレープ
  4. 第4回 : 終末にはうってつけの食事
  5. 第5回 : メランコリック中華麺
  6. 第6回 : 町でいちばんのうどん屋
  7. 第7回 : 冷たいからあげの福音
  8. 第8回 : フライド(ポテト)と偏見
  9. 連載「お口に合いませんでした」記事一覧
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