缶チューハイとベビーカー
第45回

さらばベビーカー

暮らし
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人生で初めてというレベルで、本格的な部屋の片づけをしだした。家族の持ちものの見直しにも手をつけはじめ、先日ついに「アレ」を粗大ゴミに出した。アレとはアレだ。ベビーカー。この連載を始めたつい2年前、娘は確かに乗っていたのだ。ベビーカーに。

娘の成長

最近、生まれてこのかた常にものを溜め込みがちで、自室でも仕事机でもすぐにごちゃごちゃにしてしまうタイプの人間だった僕が、人生で初めてというレベルで、本格的な部屋の片づけをしだした。

あらためて身の回りを眺めてみると「ほんのりと思い出があるから」という理由以外に所持しておく必要のないものがあまりにも多く、その思い出だって、絶対にそれがなければ思い出せないわけでもない。ならばいったん宇宙のちりに返してやり、別の誰かの役にたつ、他のなにかに生まれ変わってもらったほうがいいに決まっている。そう思ったら、小さな自室のどこにこれほど? ってくらい次から次へと、捨てるものが出てくる出てくる。

そんな流れから、家族の持ちものの見直しにも手をつけはじめ、先日ついに「アレ」を粗大ゴミに出した。アレとはアレだ。ベビーカー。

この連載を始めたつい2年前、娘は確かに乗っていたのだ。ベビーカーに。ところが子供の成長は早く、移動手段のメインはすぐ電動子乗せ自転車に変わり、今ではすっかり、天気のいい日に保育園まで一緒に歩いていくことも珍しくなくなった。この連載のタイトルは「缶チューハイとベビーカー」なのに、その間のベビーカー稼働期間のいかに短かったことか。

それでもしばらくは、妻に聞いた「災害時などに役に立つことがあるらしい」という情報もあって、家の近所に借りている仕事場の、物置きにしているロフトに保管してあった。が、もうさすがにいいだろうということで、手放すことにしたというわけだ。仕事場から粗大ゴミ回収場所である自宅まで運ぶ際、たたまれたベビーカーを最後にもう一度よく眺めてみる。その重み、ロック解除の感じ、持ち手の感触やちょっとクセのあるタイヤの感覚が、もはや懐かしい。めちゃくちゃお世話になったなぁ。ありがとう。と、バシャリと広げて、少しコロコロと押してみる。すると、自分でも想像していなかったくらい、幼い娘をこれに乗せて過ごした日々の感覚がぶわっと体によみがえり、急に号泣してしまいそうになって、静かにまた折りたたんだ。

ふと気づけば、あんなに毎日作っていた「しおしょうゆとろたまごごはん」だって、もうしばらく作っていない。「いつか終わる日が来るのだろうか……?」と思っていたおむつ替えもとっくに卒業し、最近ではトイレは「ひとりでできるからそとでまってて」だそうだ。

人生って、どうしてこうも切なさの連続なんだろうか。

アヒルの手押し車

保育園へ登園する際、髪の長い子はゴムなどでまとめる必要があり、毎朝、今日はどんなふうに結んでほしいなどとリクエストがあって、妻がこたえてあげている。ただ、妻が仕事で早く家を出ないといけないなど、間に合わない日もある。そこで僕が娘に言う。「パパがやってあげようか?」。ところが娘の返事はこうだ。「パパ、へただからじぶんでやる」。

あっそう……と思いながら見ていると、長い髪を後頭部でまとめ、器用にゴムでくるくるとしばり、あまつさえ、かわいい飾りのついたパッチンどめまで選んで、自分でつけたりもしている。その様子は、もはや立派なお姉さんだ。

言うこともどんどん一丁前になってきた。先日、家の整理の一環で、使わなくなったおもちゃの片づけを娘と一緒にしていたときのこと。我が家のおもちゃコーナーの一角には、いまだに娘が生まれてすぐに買った木製の手押し車が置いてある。前方中央にお母さんアヒル、そのサイドに子アヒル2羽。押すとピヨピヨと鳴きながら、首を振り振り前進するのがかわいらしい。が、さすがにもう、6歳の子供がそう遊ぶものではない。そこで僕が聞く。「ぼこちゃん、これはもう使わないよね? どうする? バイバイする?」。それに対する娘の返事が、予想外の角度だったので驚いた。

「う〜ん、いつかぼこちゃんがけっこんしたら、うまれてきたこにつかわせてあげたい」

なんだろう、そんなことまだ考えたくないとか、寂しいとかじゃなくて、純粋に「いいじゃんいいじゃん! 素敵じゃん!」と、だいぶ感動してしまった。数年前、少しずつ少しずつ話せる言葉が増えてきて、やがて単語3つを繋げて話せるようになっただけで、夫婦揃って「天才!?」と喜んでいた娘の心は、こんなにも豊かに、日々成長を続けているんだなと。

さよならぼくたちのほいくえん

近ごろ、気がつくと頭のなかでリフレインしている曲がある。「さよならぼくたちのほいくえん」。昨年、娘のひとつ上のクラスの卒園式の際、園児みんなで歌うとのことで、家でも練習していた歌だ。幼稚園バージョンの「さよならぼくたちのようちえん」というのもあるらしく、とにかくこれが泣ける。歌詞もメロディーも、ひと節ひと節が「あんなことも、こんなこともあったなぁ……」と記憶の扉を開かされるきっかけになるような、表現があまり良くないかもしれないけれど、とにかく絶妙に涙腺のツボを突いてくる巧みな曲なのだ。昨年、これを娘が歌っているのを聞いているだけで、すでに泣けた。あぁ、来年はうちの番……。そんな娘の卒園式の日が、刻々と近づいている。

たとえば、数か月後に旅行の予定を入れ、まだかなまだかなと楽しみに待つ日々が、誰にだってあるだろう。まだだいぶ先だな、待ち遠しいなと思っていても、たいていその日はやってくる。そして、あっという間に過ぎ去り、過去の思い出となってゆく。人生はそんな時間の連続で、とすると、娘が卒園し、小学生になってしまうのも、きっとあっという間のことなんだろう。

正直、そんなにあわてて成長してくれなくてもいいというのが本音だ。せっかく人生のなかでもとりわけ貴重な、ひたすらにかわいい時期なんだから、ゆっくりゆっくり、それこそ、今の倍くらいの時間をかけて成長していってもらうのでも、こっちは一向にかまわない。ただ、それが親のエゴでしかないということもよくわかっている。だって自分自身、大人になった今のほうが何倍も楽しいし、あのころに戻りたい! なんて、どの時代に対しても思わないもん。あと、娘が倍の時間をかけて成長する設定と考えると、成人するころに僕は約80歳。いろいろとどうしようもない。

子育てに正解はきっとないし、子供の数だけ形があるのだろう。僕は、世間一般で言う立派な人物とはほど遠く、常に余裕がなく、娘にもっといろいろとしてやりたい、与えられるものがあるなら与えてやりたいと思いながら、それができないことがもどかしい日々だ。それでも、おこがましくも娘に自慢できることが、せめて良い影響を与えてやれるのではないか? という可能性があるとするなら、それは「今、楽しく生きている」ということになるのかもしれない。

ただ運が良かったとしか言いようがないけれど、「酒が好き」という趣味、生きがいが、なぜか仕事につながり、流されるがまま今に至って、当面生きられている。仕事には「生活に必要な資金を稼ぐこと」という目的が大きくあることは疑いようがない。ならばストレスフリーで、仕事相手に嫌いな人がいなくて、楽しいと思えることをなるべく多くやれるに越したことはない。そういう意味で自分は、本当に恵まれていると感じるし、娘にも、いつか自分の生きがいとなるような、好きなものが見つかればいいなと思う。それもまた、親の押しつけなのかもしれないけれど。

そういえば先日の夕飯どき、妻が作ってくれたおかずをつまみに晩酌をしている僕を見て、ニコニコしながら娘が言った。

「ぼこちゃんもはやく、おさけのんでみたいな〜」

よっぽど僕が、ニヤニヤと嬉しそうだったんだろう。ただ娘よ。酒というのは、たとえばジュースとか、君が好きな吸って食べるバニラアイス「クーリッシュ」のようには美味しくないぞ。いや、もちろん父にとってはクーリッシュよりずいぶん美味しいんだけど、そもそもジャンルが違うというか。

6歳の娘は今、僕がやたらと好んで日々飲んでいる酒を、どのようなものと想像しているんだろうか? 答え合わせができるのは、少なくとも14年後。それまでも、成長過程ならではの出来事、問題、喜びなどはたくさんあるんだろうけれど、できるかぎり受け止め、酒と子育ての両立の日々を、前向きに楽しんでいきたい。

*     *     *

パリッコ『缶チューハイとベビーカー』次回、連載最終回となります。2023年12月15日(金)17時配信予定です。

筆者について

パリッコ

1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家/イラストレーター、DJ/トラックメイカー、他。酒好きが高じ、2000年代後半より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『つつまし酒 あのころ、父と食べた「銀将」のラーメン』、『ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある』、『晩酌わくわく!アイデアレシピ』、『天国酒場』、『つつまし酒 懐と心にやさしい46の飲み方』、『ほろ酔い!物産館ツアーズ』、『酒場っこ』、『晩酌百景 11人の個性派たちが語った酒とつまみと人生』、スズキナオ氏との共著に『のみタイム 1杯目 家飲みを楽しむ100のアイデア』、『“よむ”お酒』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『酒の穴』(シカク出版)。

  1. 第1回 : 缶チューハイとベビーカー
  2. 第2回 : のびた「アンパンマンうどん」で酒を飲む
  3. 第3回 : 娘、人生初映画館
  4. 第4回 : 保育園での「仕事バレ」問題
  5. 第5回 : 子育ては常に切ない
  6. 第6回 : 「たぬきや」最後の思い出
  7. 第7回 : 子連れ外食
  8. 第8回 : ぼこちゃん、言い間違い語録
  9. 第9回 : 娘、初めて父のトークライブを見る
  10. 第10回 : 子供と酔っぱらいは似ている
  11. 第11回 : ボーナス“酒”チャンス
  12. 第12回 : 卒業
  13. 第13回 : 不安と混乱の1週間
  14. 第14回 : 特別な夜
  15. 第15回 : 娘が生まれた日
  16. 第16回 : ぼこちゃん、カルビ焼肉を好きになる
  17. 第17回 : プールとビール
  18. 第18回 : 子乗せ電動アシスト自転車がパンクした夜
  19. 第19回 : インプットの時間が足りない問題
  20. 第20回 : ピクニックあれこれ
  21. 第21回 : 酒場ライターと子育て
  22. 第22回 : 家族と会えなかった10日間
  23. 第23回 : 妻が妊婦だったころ
  24. 第24回 : 子連れ外食 その2 「サイゼリヤ」と「しゃぶ葉」
  25. 第25回 : こたつ鍋の喜び、ふたたび
  26. 第26回 : 雪見酒の日
  27. 第27回 : 忘れる記憶、忘れない記憶
  28. 第28回 : 記録することは、未来の酒の肴を仕込む行為でもある
  29. 第29回 : 子供の成長
  30. 第30回 : 子を叱る
  31. 第31回 : 3年ぶりの家族旅行
  32. 第32回 : すこし不思議な話
  33. 第33回 : 家族で鳥貴族
  34. 第34回 : 初めてのパパ友飲み会
  35. 第35回 : いつか娘と酒が飲みたいか?
  36. 第36回 : 初めての、娘がいない夜
  37. 第37回 : お祭りづくしの夏
  38. 第38回 : 子育ては「ねむさ」とともにある
  39. 第39回 : 酒と運転
  40. 第40回 : 思い出の追体験
  41. 第41回 : カラオケパーティー
  42. 第42回 : 遺伝子の不思議
  43. 第43回 : 保育園最後の……
  44. 第44回 : 仕事が進まず、飲むしかない
  45. 第45回 : さらばベビーカー
  46. 最終回 : そして酒飲みの子育ては続く
連載「缶チューハイとベビーカー」
  1. 第1回 : 缶チューハイとベビーカー
  2. 第2回 : のびた「アンパンマンうどん」で酒を飲む
  3. 第3回 : 娘、人生初映画館
  4. 第4回 : 保育園での「仕事バレ」問題
  5. 第5回 : 子育ては常に切ない
  6. 第6回 : 「たぬきや」最後の思い出
  7. 第7回 : 子連れ外食
  8. 第8回 : ぼこちゃん、言い間違い語録
  9. 第9回 : 娘、初めて父のトークライブを見る
  10. 第10回 : 子供と酔っぱらいは似ている
  11. 第11回 : ボーナス“酒”チャンス
  12. 第12回 : 卒業
  13. 第13回 : 不安と混乱の1週間
  14. 第14回 : 特別な夜
  15. 第15回 : 娘が生まれた日
  16. 第16回 : ぼこちゃん、カルビ焼肉を好きになる
  17. 第17回 : プールとビール
  18. 第18回 : 子乗せ電動アシスト自転車がパンクした夜
  19. 第19回 : インプットの時間が足りない問題
  20. 第20回 : ピクニックあれこれ
  21. 第21回 : 酒場ライターと子育て
  22. 第22回 : 家族と会えなかった10日間
  23. 第23回 : 妻が妊婦だったころ
  24. 第24回 : 子連れ外食 その2 「サイゼリヤ」と「しゃぶ葉」
  25. 第25回 : こたつ鍋の喜び、ふたたび
  26. 第26回 : 雪見酒の日
  27. 第27回 : 忘れる記憶、忘れない記憶
  28. 第28回 : 記録することは、未来の酒の肴を仕込む行為でもある
  29. 第29回 : 子供の成長
  30. 第30回 : 子を叱る
  31. 第31回 : 3年ぶりの家族旅行
  32. 第32回 : すこし不思議な話
  33. 第33回 : 家族で鳥貴族
  34. 第34回 : 初めてのパパ友飲み会
  35. 第35回 : いつか娘と酒が飲みたいか?
  36. 第36回 : 初めての、娘がいない夜
  37. 第37回 : お祭りづくしの夏
  38. 第38回 : 子育ては「ねむさ」とともにある
  39. 第39回 : 酒と運転
  40. 第40回 : 思い出の追体験
  41. 第41回 : カラオケパーティー
  42. 第42回 : 遺伝子の不思議
  43. 第43回 : 保育園最後の……
  44. 第44回 : 仕事が進まず、飲むしかない
  45. 第45回 : さらばベビーカー
  46. 最終回 : そして酒飲みの子育ては続く
  47. 連載「缶チューハイとベビーカー」記事一覧
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