子供はとてつもないスピードで成長し続けている。それとは対照的に、大人とは、自分とは、まったく成長しない生き物だ。子育てをしていると昔のことはどんどん忘れてしまうのだが、先日、ふと娘が生まれた日のことを思い出す機会があった。
ふり返らされ
子育てをしていると、日々が目まぐるしすぎて、昔のことをどんどん忘れていってしまう。たとえば娘が言葉をしゃべりだし、どのくらいの期間で、どんな段階を経て、今のように口が達者になっていったのか。思い出そうとしてもはっきりと思い出せないし、これは子育ての経験をしたことのある方と話すと大定番の「あるある」でもある。
が、ひと昔前とは確実に状況が違う部分もある。「スマホ」の存在だ。僕は仕事がら、それがいつか企画や記事のネタになることは珍しくないから、ふらりと入った酒場の酒とつまみの写真を撮っておくのがクセになっている。なので、常にデジタル一眼レフカメラを持ち歩くようにしていて、そのカメラで娘の写真を撮るのも日常的なことだ。
しかしそれとは別に、娘がものすごくかわいい姿勢で眠っていたとき、突然変顔をしたり、謎のダンスを踊りはじめたとき、くり返し描いては消して使えるおもちゃのイラストボードに描いた絵が上手だったときなど、「この瞬間を写真に残しておきたい!」と思ったときは、いつでも手もとにあるスマホでパッと撮ることが多い。無論、僕と妻のカメラロールはそんな写真でいっぱいだ。
しかもだ。昨今のスマホは機能が多彩で、「3年前の思い出をふり返ってみましょう」なんていうメッセージとともに、突然、2歳だったころの娘の写真を画面に表示してきたりする。いわば、受動的ふり返り。いやもう、“ふり返らされ”と言ってしまってもいいだろう。以前この連載で「子育ては常に切ない」という話を書いたが、当然、そんな写真を見れば毎回切なくなる。あぁ、あったな、こんな日も。毎日会っていると忘れがちになってしまうけど、子供ってとてつもないすごいスピードで成長し続けてるんだよな。1日1日を、もっともっと大切に過ごさないと……と。
ちなみに余談だが、「3年前の思い出をふり返ってみましょう」というメッセージとともに表示される、どこかの居酒屋で飲んだ酒やつまみの写真を見せられても、あれ? これつい最近のことじゃなかったっけ? としか思わない。そのたび、あぁ、大人とは、いや、自分とは、子供とは対照的に、まったく成長しない生き物なんだな……とも実感させられる。
缶チューハイ持ち込み自由!?
そういうわけで先日、ふと娘が生まれた日のことを思い出す機会があった。
もう、5年も前のことになるのか。「年を取るほどに時の流れが早くなる」という話を疑う人はあまりいないだろうし、僕も例外ではない。ただ、娘に関する出来事を思い出すときだけ、「昨日のことのよう」ではなく、きっちり5年前、ちゃんと昔のことのように感じる。これはもしかして自分だけのことなのかもしれないが、最近そう気づいた。
妻の出産にあたっては、我が家のある西武池袋線の石神井公園駅から4駅先の、東久留米という駅の近くにある大きな産婦人科にお世話になった。当然、定期的に検診に通うことになり、僕もできる限り付き添うようにしていたので、しばらくのあいだは頻繁に東久留米を訪れた。
なんだかゆったりのんびりとした空気感で、とてもうちから4駅しか離れていないとは思えないほど自然豊かな川が流れ、それでいて個人経営の飲食店なども少なくない。とてもいい街だと思った。
特に思い出深いのは、一軒の寿司屋だ。カウンターが6席だけの本当に小さな店で、当時でこの道65年になると語る大将が、ひとりで切り盛りしていた。
そもそも僕は、大衆酒場と違い、回らない寿司屋にひとりで入る勇気など持ち合わせていない男だ。ではなぜその店に入ったかというと、入り口に「缶チューハイ持ち込み自由」と張り紙があるのを発見してしまったから。俄然興味を持ったし、「仕事で書く原稿のネタになるかもしれない」という下心もなかったと言えば嘘になる。そこでまずは一度様子見で軽く、そしてその時に取材の許可ももらい、記事に書かせてもらうためにもう一度、店に足を運んだ。もちろん、身重の妻をあまり外食に連れ回すわけにもいかないから、ひとりで。
ところがその2回で、僕は大将が大好きになってしまった。豊富な人生経験と、それをひけらかすことのない人柄。それでいて話好きで、昔のことから下世話なことまで、興味深い話がいつ行っても聞ける。もちろん、大将が人生をかけている寿司は、すっごくうまい。それに、看板にいつわりなしで缶チューハイ持ち込み自由(というか、大将はお酒が飲めないから、酒はなんでも好きなものを持ってきていいよというスタンス)だから、お会計はいつもめちゃくちゃリーズナブル。その後も何度かランチにおじゃましたりして、妻が近くの病院で出産予定のため、最近よくこの街に来ているという話なんかもさせてもらった。
不安と安堵のあとに
妻の出産は、事情により帝王切開で行われることになり、数日前から入院をすることになった。当時僕はまだ会社員だったが、仕事のあとに毎日病院へ通った。
そしていよいよ出産当日。手術室へと向かう、きっと不安もあるはずなのに、なんだか頼もしい表情の妻を見送り、待機場所のベンチでひとり待つ。もちろん、母子ともに健康で生まれてきてくれるに決まっている。けれども「万が一のことがあったら……」と、やはり不安はつきまとう。ところがそんな気持ちをよそに20分もかからず手術は終了し、看護師さんから「無事生まれましたよ。元気な女の子です」と伝えられたときの、あの安堵感。
しばしのち、対面した娘は、はだかんぼうで、ふにゃふにゃのしわしわで、けれども無性にかわいく愛おしく、感動と感慨と希望と不安が入り混じる、生まれて初めての感情が僕を包んだ。看護師さんがそっと抱かせてくれると、驚くほど軽く、柔らかく、ほんの数ミリでも手を添える位置を間違えてしまったら、なにか大変なことになってしまうんじゃないか? と気が気じゃないような、とてもあやうげな存在にも感じた。
想像していた「おぎゃあ! おぎゃあ!」というテンションではなくて(聞けばその時間は過ぎ、もう落ち着いたところだということで)、目をつむり、「あ……あ……ぐす……ぐす……」と、静かに泣いている娘。そのちょっと鼻にかかったような特徴的な声を、今もはっきりと覚えていて、というかあの声、今とそっくり一緒だよな、と、思い出すたびに笑ってしまう。
さてその日は、母子ともにゆっくり休んでもらわなければいけない。男親の僕の出番などないのだ。個室に戻り、母性に満ちた顔で隣に眠る娘をなでている妻に、「じゃあ、また明日来るから」と伝え、夕方には帰ることにした。
その帰り道、僕はあの寿司屋に寄った。にぎりのメニューには「楓」「上」「特上」「特選」とあり、さすがにまだ特選に釣り合うほどの男ではない気がして、2250円の「特上」を注文。そして、初めて持ち込みではなく、数少ないアルコールメニューである「瓶ビール」も頼む。
客商売の長い大将は、すぐに気がついたのだろう。
「お兄さん、確かもうすぐって言ってたよね? もしかして……」
「えぇ、さっき、無事生まれました」
それを聞き、まるで自分の孫が生まれたかのように顔を崩し、「よかったじゃない! かわいいだろうねぇ」と答えてくれた大将の笑顔、そして、最高にうまかった特上寿司とビールの味は、忘れようにも忘れられない。
筆者について
1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家/イラストレーター、DJ/トラックメイカー、他。酒好きが高じ、2000年代後半より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『つつまし酒 あのころ、父と食べた「銀将」のラーメン』、『ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある』、『晩酌わくわく!アイデアレシピ』、『天国酒場』、『つつまし酒 懐と心にやさしい46の飲み方』、『ほろ酔い!物産館ツアーズ』、『酒場っこ』、『晩酌百景 11人の個性派たちが語った酒とつまみと人生』、スズキナオ氏との共著に『のみタイム 1杯目 家飲みを楽しむ100のアイデア』、『“よむ”お酒』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『酒の穴』(シカク出版)。