缶チューハイとベビーカー
第28回

記録することは、未来の酒の肴を仕込む行為でもある

暮らし
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20代は音楽活動に明け暮れていた僕が、今は酒場ライターとなり、ありがたいことに好きなものに関する文章を書かせてもらっている。今回は、飲兵衛のバイブル漫画『酒のほそ道』の作者、ラズウェル細木先生の名作『パパのココロ』を読みながら、「酒と子育て」について思う。

深夜のウイスキーのおともに

この連載の第1回目に、僕は「育児エッセイだけは絶対に書かないと心に決めていた」と書いた。ところが今は、「酒と子育て」がテーマのエッセイを書くことを僕に提案してくれた編集者の森山裕之さんに、とても感謝している。

僕は若いころからものづくりが好きで、特に20代は音楽活動に明け暮れていた。友人たちとインディーズレーベルを作り、クラブミュージックと言われるジャンルの音楽を中心に、レコードやCDを作り、イベントを開催し、ライブやDJをする。一向に芽は出なかったものの、活動自体は心の底から楽しく、また、それに関連した音源や映像は、やたらと残っている。たとえばYouTubeには、10年以上も前に自分たちが作った音楽をバックにはしゃぐ自分たちの映像がまだアップされていたりして、端的に表現すれば、それが非常に“エモい”のだ。今でも年に数回は、深夜にちびちびとウイスキーをなめつつ、思い出したように見返し、酒の肴にしている。その嬉しいようなわびしいような感情と、真夜中の酒の、妙に合うこと。

と考えると、このエッセイを書くことは、未来の自分の酒の肴を仕込む行為とも言える。

いやもちろん、第一の目的は生活のため。ただありがたいことに、自分は好きなものに関する文章を書くことを主な生業とさせてもらっている。つまりこの仕事は、作品作りと同義でもあるのだ。

執筆にあたり、いちばん頭にあるのは、僕の他の仕事と違って、家族のこと。いつか娘がこの文章を読むことがあったとして、当時の僕や妻の気持ちを知ってくれたら嬉しいな。なんて望むのは親のエゴでしかないが、せめて、「こんなことを書かれて嫌だった」という気持ちにはなってほしくないという部分は、できるかぎり慎重に考えるようにしている。もちろんそれは、妻や親戚に対しても同じだ(テーマの時点で嫌かもしれないけど……)。

ランドセルの試着

さて、今日もそんな肴を仕込んでいくぞと、最近あったトピックを思い出そうとしたところ、10年後どころじゃなく、現時点ですでにエモみ満点の出来事があった。「ランドセルの試着」だ。

娘はまだあと1年保育園に通う。しかし昨今の事情はすさまじいことになっているらしく、人気のランドセルは1年以上前の今から見比べ、試着して、早めに予約しておかないと、どんどん売り切れていってしまうのだそう。まかせきりで面目ないと思いつつ、妻があれこれ調べてくれ、娘と一緒にカタログを見ていちばん気に入ったものを、実際に試着できるよう家に送ってくれるというサービスがあって、利用した。

最近のランドセルは僕の時代のように「黒 or 赤!」って感じではなく、色もデザインもさまざま。娘は妻と相談して選んだ、ピンクを基調としたそれがとても気に入ったらしく、「これでしょうがっこうにいくんだ〜!」と、嬉しそうにはしゃいでいる。当然、背負ったランドセルはやたらとでかく見える。僕はその姿を眺めながら、「そんなに急いで成長していかなくたっていいのに……」と、グラスに残った淡麗プラチナダブルを飲み干した。

そのとき、ふっと思い出したことがある。僕が心の酒の師匠と慕っている、飲兵衛のバイブル漫画『酒のほそ道』の作者、ラズウェル細木先生のかつての名作『パパのココロ』という漫画。これは、まさに今の僕と同じ年代のラズ先生と奥様が、今の娘と同じ年頃の娘さんを育てる様を描いたエッセイ漫画。お酒がきっかけで知り合わせてもらい、何度も飲みの場をご一緒させてもらったことがあるけれど、ラズ先生は本当に温和でほがらかな、もはや「怒り」という感情をどこかに捨ててしまったんじゃないだろうか? という人格者だ。ところがこの作品のなかでは、イライラもするし、葛藤もするし、夫婦げんかもするし、失敗もする。時代的な背景だろうけど「ここまで赤裸々に描いちゃって大丈夫?」と心配になる描写もちらほら。まさかラズ先生にもこんな時代があったとはと、読むたび、妙に感動してしまうのだった。

そのなかの1話に「ココロはすっかり小学生」という話がある。小学校入学の3か月前に購入したランドセルが届き、娘さんの「かぼち」ちゃんは、嬉しそうにそれを背負ったり、ベッドで一緒に寝たりしている。感覚はうちの娘とほどんと同じだ。ラズ先生はこの作品を、今もたまに読み返したりするんだろうか? 今度飲んだとき、聞いてみようかな。

『パパのココロ』

ちなみに全3巻のこの作品は本当におもしろく、学ぶところも多く、現在も電子書籍などでは手に入るようなので、ラズ先生の酒やジャズ方面の漫画しか読んだことがないという方には、ぜひおすすめしたい。特に、子育ての経験があるという方にとっては、あるあるの嵐だ。

リカちゃん人形の家具や食器に代表されるような「こまかモノ」が家にたまってしょうがないという「かぼち、ママゴトにはまる」。これはまさに今、我が家の主要問題で、片づけても片づけてもいつの間にか増え、ジャンルもどんどん混沌としてきて、とりあえず大きなおもちゃ箱に詰めておくしか対応策が思いつかない。

マンションの2階に住んでいるのに、元気な娘さんが椅子からどドーンと飛び降りて、そのたびにあわてて注意しつつ、下の家がどう思っているか不安になるという「かぼちの騒音公害」。僕も何度娘に「どすんしないで!」と注意したことか……。

そしてまた、日本屈指のジャズリスナーであり、かつては身も心も100%その趣味にささげていたというラズ先生。ただしこの時期ばかりは、たまの外出時にウォークマンで聴くのが精一杯だったという「パパの趣味は、今、どこへ…」。これなどまさに、僕が以前この連載で書いた「インプットの時間が足りない問題」そのものだ。

また、ラズ先生の天性の柔軟な考えかたはとても、子育ての、そして人生の参考になる。象徴的なのは「『バラバラめし』は最高!」という回。食事というのは、一家で食卓を囲んで食べるのが良しとされているし、子供にとってもそのほうがいいことは間違いない。けれども、無理をして疲れはててしまうくらいなら、家族がそれぞれ、好きな時間に好きなものを食べる日があったっていいじゃないか。ざっくりと言うとそんな内容で、これを読んで「けしからん!」と感じる人もいるかもしれないけれど、僕はそれ以上に「それでもいいんだ……」と救われる人のほうが多いんじゃないかと思う。

『パパのココロ』の第1巻が発売されたのが1995年。実は当時からご近所で、作中に出てくるショッピングセンター「オズ」には、することも金もない、当時中高生時代だった僕も、よく友達とヒマつぶしに行っていた。もしかしたらそこで、ラズ先生ご一家と何度かすれ違っていたかもしれない。その後先生は『酒のほそ道』で確固たる地位を築き、僕は酒好きになってその愛読者となり、やがて光栄なことに、酒席を共にさせてもらうようになった。ちなみに成長されたかぼちちゃんは今、なんとデジタルで先生の漫画の仕上げ作業を手伝われており、今や娘さんがいないと、『酒ほそ』は成り立たないのだそう。そして現在、今度は自分がまさに『パパのココロ』の世界にいて、こうして子育てエッセイを書いている。なんとも不思議な、時の流れの連なりを感じざるをえない。

冒頭で書いた“エモみ”をもっとも感じられるツールが、今は多くの人にとって「スマホのカメラロール」ということになるのだろう。けれどもそこにほんの少しでも、当時の自分が感じていたことの記録が加わることにより、エモみは倍増する気がする。なにも漫画やエッセイでなくていい。書ける日にだけ書く1行日記のようなものだけでも、残しておくだけで、それはとても良い、未来の酒の肴になる気がする。

*   *   *

パリッコ『缶チューハイとベビーカー』次回第28回は、2023年4月7日(金)17時配信予定です。

筆者について

パリッコ

1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家/イラストレーター、DJ/トラックメイカー、他。酒好きが高じ、2000年代後半より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『つつまし酒 あのころ、父と食べた「銀将」のラーメン』、『ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある』、『晩酌わくわく!アイデアレシピ』、『天国酒場』、『つつまし酒 懐と心にやさしい46の飲み方』、『ほろ酔い!物産館ツアーズ』、『酒場っこ』、『晩酌百景 11人の個性派たちが語った酒とつまみと人生』、スズキナオ氏との共著に『のみタイム 1杯目 家飲みを楽しむ100のアイデア』、『“よむ”お酒』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『酒の穴』(シカク出版)。

  1. 第1回 : 缶チューハイとベビーカー
  2. 第2回 : のびた「アンパンマンうどん」で酒を飲む
  3. 第3回 : 娘、人生初映画館
  4. 第4回 : 保育園での「仕事バレ」問題
  5. 第5回 : 子育ては常に切ない
  6. 第6回 : 「たぬきや」最後の思い出
  7. 第7回 : 子連れ外食
  8. 第8回 : ぼこちゃん、言い間違い語録
  9. 第9回 : 娘、初めて父のトークライブを見る
  10. 第10回 : 子供と酔っぱらいは似ている
  11. 第11回 : ボーナス“酒”チャンス
  12. 第12回 : 卒業
  13. 第13回 : 不安と混乱の1週間
  14. 第14回 : 特別な夜
  15. 第15回 : 娘が生まれた日
  16. 第16回 : ぼこちゃん、カルビ焼肉を好きになる
  17. 第17回 : プールとビール
  18. 第18回 : 子乗せ電動アシスト自転車がパンクした夜
  19. 第19回 : インプットの時間が足りない問題
  20. 第20回 : ピクニックあれこれ
  21. 第21回 : 酒場ライターと子育て
  22. 第22回 : 家族と会えなかった10日間
  23. 第23回 : 妻が妊婦だったころ
  24. 第24回 : 子連れ外食 その2 「サイゼリヤ」と「しゃぶ葉」
  25. 第25回 : こたつ鍋の喜び、ふたたび
  26. 第26回 : 雪見酒の日
  27. 第27回 : 忘れる記憶、忘れない記憶
  28. 第28回 : 記録することは、未来の酒の肴を仕込む行為でもある
  29. 第29回 : 子供の成長
  30. 第30回 : 子を叱る
  31. 第31回 : 3年ぶりの家族旅行
  32. 第32回 : すこし不思議な話
  33. 第33回 : 家族で鳥貴族
  34. 第34回 : 初めてのパパ友飲み会
  35. 第35回 : いつか娘と酒が飲みたいか?
  36. 第36回 : 初めての、娘がいない夜
  37. 第37回 : お祭りづくしの夏
  38. 第38回 : 子育ては「ねむさ」とともにある
  39. 第39回 : 酒と運転
  40. 第40回 : 思い出の追体験
  41. 第41回 : カラオケパーティー
  42. 第42回 : 遺伝子の不思議
  43. 第43回 : 保育園最後の……
  44. 第44回 : 仕事が進まず、飲むしかない
  45. 第45回 : さらばベビーカー
  46. 最終回 : そして酒飲みの子育ては続く
連載「缶チューハイとベビーカー」
  1. 第1回 : 缶チューハイとベビーカー
  2. 第2回 : のびた「アンパンマンうどん」で酒を飲む
  3. 第3回 : 娘、人生初映画館
  4. 第4回 : 保育園での「仕事バレ」問題
  5. 第5回 : 子育ては常に切ない
  6. 第6回 : 「たぬきや」最後の思い出
  7. 第7回 : 子連れ外食
  8. 第8回 : ぼこちゃん、言い間違い語録
  9. 第9回 : 娘、初めて父のトークライブを見る
  10. 第10回 : 子供と酔っぱらいは似ている
  11. 第11回 : ボーナス“酒”チャンス
  12. 第12回 : 卒業
  13. 第13回 : 不安と混乱の1週間
  14. 第14回 : 特別な夜
  15. 第15回 : 娘が生まれた日
  16. 第16回 : ぼこちゃん、カルビ焼肉を好きになる
  17. 第17回 : プールとビール
  18. 第18回 : 子乗せ電動アシスト自転車がパンクした夜
  19. 第19回 : インプットの時間が足りない問題
  20. 第20回 : ピクニックあれこれ
  21. 第21回 : 酒場ライターと子育て
  22. 第22回 : 家族と会えなかった10日間
  23. 第23回 : 妻が妊婦だったころ
  24. 第24回 : 子連れ外食 その2 「サイゼリヤ」と「しゃぶ葉」
  25. 第25回 : こたつ鍋の喜び、ふたたび
  26. 第26回 : 雪見酒の日
  27. 第27回 : 忘れる記憶、忘れない記憶
  28. 第28回 : 記録することは、未来の酒の肴を仕込む行為でもある
  29. 第29回 : 子供の成長
  30. 第30回 : 子を叱る
  31. 第31回 : 3年ぶりの家族旅行
  32. 第32回 : すこし不思議な話
  33. 第33回 : 家族で鳥貴族
  34. 第34回 : 初めてのパパ友飲み会
  35. 第35回 : いつか娘と酒が飲みたいか?
  36. 第36回 : 初めての、娘がいない夜
  37. 第37回 : お祭りづくしの夏
  38. 第38回 : 子育ては「ねむさ」とともにある
  39. 第39回 : 酒と運転
  40. 第40回 : 思い出の追体験
  41. 第41回 : カラオケパーティー
  42. 第42回 : 遺伝子の不思議
  43. 第43回 : 保育園最後の……
  44. 第44回 : 仕事が進まず、飲むしかない
  45. 第45回 : さらばベビーカー
  46. 最終回 : そして酒飲みの子育ては続く
  47. 連載「缶チューハイとベビーカー」記事一覧
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