最近5歳になった娘は、昼寝をしないことのほうが多くなってきた。そのせいで、夜は疲れてすんなり寝てくれることが多い。しかし、寝ない寝ないと言っていたのに、夕方くらいに急に眠気にあらがえず寝てしまうと、娘が夜、なかなか寝つかなくなる。先日もそんな日曜日の夜があった。
「今日はここで寝てみたい」
あれは僕が小学校低学年のころのことだったと思う。
当時両親は、家の1階にある和室で、そのふすま1枚隔てた部屋に僕が、全員ふとんを敷いて寝ていた。なので僕は、ベッドというものにあこがれていた。
居間にふたりがけのソファーがあった。全面青いビロード生地張りで、その生地が等間隔に鋲で止めてある、今にして思うとなかなかレトロなデザインのものだ。そのソファーは、中央でセパレートできるようになっていて、つまり、右と左がそれぞれ独立して動かせた。
ちょっと説明がややこしいのだけれど、想像してみてほしい。そのソファーをいったん壁から離し、右側のパーツを時計回りに90°回転させる。同様に、左側を反時計回りに90°回転させる。そしてふたたび、壁に寄せる。すると、ソファの手前側は、ひじかけで「柵」ができたような状態になる。幼いころ、よく親にそのようにソファーを動かしてもらっては、ソファーを船、周囲の床を海であると設定し、空想上の船旅に出ていた。
ある夜、僕は両親に、「今日はここで寝てみたい」と訴えた。つまり、その船がベッドのかわりというわけだ。とはいえ、座面部分はやたらふかふかで平らではないし、布団が敷けるほどの大きさがあるわけでもない。寝たら疲れが取れるどころか、翌日体がバキバキになるのは目に見えている。当然両親は、「こんなところで寝るなんてダメだ」と言った。
ところがどうしてもその船ベッドで寝てみたい僕は、それからも毎日のように両親にお願いしつづけた。数日後、ついに根負けした母が、「もうわかったわかった。じゃあ試しに、1日だけ寝てみたら」と言った。
もちろん、そもそも寝づらい場所だし、加えてドーパミンも出まくっている。はっきりとは覚えてないけど、そんな状態で寝られるわけもないから、少しして満足したら「やっぱり寝られなかった」とかなんとか言って、おとなしく布団で寝たんだろうと思う。
ただ、その日の夜がはじまるときのわくわくした感覚は、今でも鮮明に心に刻まれている。
恐怖の“夕寝”
娘がまだ乳幼児のころ、午後には決まってうとうとしだし、欠かさず昼寝をするのが休日のお決まりだった。しかも昼寝の場合、1〜2時間すると、こちらが起こさなくても勝手にぱちりと目を開ける。夜は夜で、9時間でも10時間でもつづけてしっかりと眠るのに。そのシステムがおもしろく、「子供の体って不思議だなぁ」などと思っていた。
が、5歳になった最近は、昼寝をしないことのほうが多くなってきた。日々の生活の疲れで、日中はこっちのほうが眠く、「ねぇぼこちゃん、一緒にお昼寝しようよ」と誘っても「ねむくな〜い」なんて言って夢中で遊んでいる。それならそうで、夜は疲れてすんなり寝てくれることが多いからいいんだけど、困るのは、寝ない寝ないと言っていたのに、夕方くらいに急に眠気にあらがえず、うとうとしだすときだ(ちなみにその様子は、何度見てもかわいい)。
たいていそのままコテンと寝てしまい、起こすのもかわいそうだから、1時間くらいは寝かせておいてやる。きっとやってくるであろう「娘がなかなか寝ない夜」に怯えながら……。
先日も、日曜の夜にそんなことがあった。食事や入浴、寝る準備をすませ、夕方に寝てしまったから、いつもよりはのんびりしていたが、もう夜の10時も近い。さすがにそろそろ、と、妻が娘を寝かしつけてくれることになった。僕は「おやすみ」と、それを居間から見送った。もうしばらくだけ、晩酌のつづきのウイスキーを飲んでいたくて。
のどがゆがんでいる
ところが1時間くらいして、にっこにこでぬいぐるみを抱えた娘が居間に戻ってきた。「どうしても寝られないんだって……」そう言う妻の顔が、あきらかに疲れている。
妻はふだん、平日は5時すぎには起きるので、根気強く娘に「もう一度、ねんねの部屋に行ってみよう? 電気を消して目をつむってれば眠くなるよ」と説得している。が、その様子を見るに、過去最高というレベルで、眠くなさそうだ。娘が言う。
「なんかね、ぼこちゃん、のどが……」
「どうしたの? 喉が痛いの? それで寝られない?」
「ううん。のどが……ちょっとゆがんでる」
どういう状態かはよくわからないけど、そのにやにやとした表情を見るに、とにかくまだ寝たくないので、なにかしらその理由を考えているのだろう。
僕はそこで覚悟を決めた。よし、今夜は娘にとことんつき合おう。幸い僕はフリーランスだから、今できる仕事を進めておけば、明日娘を保育園に預けてから昼寝をすることもできる。しかもちょうど、頼まれた書評の仕事用に、早めに読んでしまわなければいけない本があるんだった。
居間には昼寝用の大きな丸座布団が敷いてある。娘に「じゃあ、こっちにかけぶとんだけ持ってきて、眠くなるまでごろごろしてる?」と聞くと、そうしたいと言うので、妻には「寝室で寝てて」と伝え、僕が見ていることにした。
娘に「パパはここでお仕事してるからね。眠くなったら寝るんだよ」と伝え、いちばん暗くした間接照明の下、ウイスキーをちびちびとやりつつ、本にふせんを貼りながら読んでいく。
視界のすみで、布団がごそごそと動いているのがわかる。たまにそちらをぱっと見ると、布団からスーッと手だけが伸びて、おもちゃ箱からおもちゃを取ろうとしていたりする。「ぼこちゃん」と言うと、その手がまたスッと布団に戻る。
そんなことをくり返しているうち、娘の行動はどんどん大胆になってゆく。ふと見ると、仰向けになって、両手にぬいぐるみを持って思いっきり遊んでいる。そこでまた「ぼこちゃん」と言うと、もはや開き直り、こちらを見て「ニコッ」と笑う。その顔が、悔しいがたまらなくかわいい。
こんなことが何度もあっては困るし、明日からまた保育園なんだから、早く寝てほしいのはもちろんだ。けれども僕はまた、「こんな日があっても、たまにはいいか……」とも思ってしまっていた。
いつもと違う夜。娘にとってもきっと、どこか特別なわくわく感があるんだろう。こちらも、その特別感を肴に飲むウイスキーが、なんだかうまい。
けっきょく、娘がスースーと寝息をたてはじめのは、深夜1時近くだった。ほっとして、その穏やかな顔を眺めながら、僕はなぜだかあの、「船ベッド」の夜を思い出していた。
筆者について
1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家/イラストレーター、DJ/トラックメイカー、他。酒好きが高じ、2000年代後半より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『つつまし酒 あのころ、父と食べた「銀将」のラーメン』、『ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある』、『晩酌わくわく!アイデアレシピ』、『天国酒場』、『つつまし酒 懐と心にやさしい46の飲み方』、『ほろ酔い!物産館ツアーズ』、『酒場っこ』、『晩酌百景 11人の個性派たちが語った酒とつまみと人生』、スズキナオ氏との共著に『のみタイム 1杯目 家飲みを楽しむ100のアイデア』、『“よむ”お酒』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『酒の穴』(シカク出版)。