盛り上がって終わった今年の娘の保育園の運動会を思い返していて、ふと気づく。そうか、よく考えたら今、娘と経験しているすべての行事は、どれも「保育園最後の〇〇」なんだ――。
かつて運動会で
来年とうとう小学生になる娘が、今の保育園に通いだしたのは、0歳児クラスからだった。
園では年に一度、秋に、近くの小学校の校庭を借りて運動会が行われるのが定例だ。そのいちばんはじめの運動会の時のことを、今でもはっきりと覚えている。当然、娘他数名のクラスメイトたちは、まともな競技などできない。15mほど先のゴールに向かってハイハイをする競争で、それぞれあっちへ行ったりこっちへ行ったり、ころんと転がって微動だにしない子もいた。それを親たちが必死で、なんとかゴールまで誘導したり、なんなら抱っこで運んでしまう。順位などあってないようなもので、「みんながんばりました〜!」って感じ。そんな内容でも小さな子供たちの様子がたまらなくがかわいらしくて、親はきゃーきゃーと盛り上がるのだった。
今は学年ごとに分けられたブロック制となっているけれど、当時はコロナ禍前だったので、全園児とその親たちが集まり、他の学年の競技も見てから解散するのが基本だった。最年長クラスのお兄さんお姉さんは、娘たちとは違って、もはやそれぞれがきちんと人格を持った大人に近い。全員で何か月かかけて練習をしてきたという、ソーラン節的な和風ダンスを披露するんだけど、それなどはかなりのクオリティで、横で見ていた妻がぼそりと「私、いつかぼこちゃんがこんなの踊ったら泣いちゃうかも……」と言っており、僕は大きくうなずいた。
伝説のリレー
そして、ついにやって来てしまったのだ。娘の保育園最後の運動会が。ソーラン節的ダンスは毎年の好例のようで、娘たちは揃いの法被を着て、鉢巻をしめている。先生たちがドドン! と太鼓を叩くと、全員が「やー!」などと言ってポーズを決める。そのピシッとした空気。さらに娘の一丁前なきりりとした表情。すでに涙腺崩壊寸前だ。
いよいよ音楽が流れはじめ、それに合わせた太鼓の響きとともに、足並みの揃ったダンスが繰り広げられる。一所懸命練習したんだろうなぁ。そしてその過程には、心が汚れまくってしまった大人である僕が、日々なにかにつけて愚痴っている「めんどくさいなぁ」という気持ちなど一切なく、ただただ純粋な努力があったんだろうなぁ。それにしても、ぼこちゃんやクラスメイトのみんな、本当にお兄さんお姉さんになったなぁ……。そんなことを思いつつ眺めていたら、周囲の人の手前、とにかくポロポロと涙がこぼれ落ちないようにこらえているだけで精一杯だった。
運動会では他にもいくつかの競技があり、特に4チームに分かれてのリレーは白熱した。娘は赤チームで、順番は中盤ほど。ものすごく真剣な顔で走り、暫定1位で次のアンカーにバトンを渡したときは、心のなかで思わず「うおーっ、やった!」と叫び声をあげてしまった。その後も飛び抜けて足の速い子の逆転劇などがあり、あの日のリレーは、それから数日間、送り迎えで顔を合わせるパパママたちと、「いや〜、熱かったですね!」「〇〇ちゃんが流れを変えましたよね!」と、語り草になったほどだ。
すべてが保育園最後
こうして、保育園最後の運動会は終わってしまった。なんて思い返していて、ふと気づく。そうか、よく考えたら今、娘と経験しているすべての行事は、どれも「保育園最後の〇〇」なんだと。年に一度石神井公園で行われるレクリエーションの会も、七夕行事や夏祭りも、いも掘りも、娘にとって、そして僕たち親にとって、ひとつひとつが保育園最後の貴重な経験なんだなと。
もっと言ってしまえば、最近夕方にお迎えに行くと、しばらく前と違ってすっかり空が暗い。それをなんとなく切なく感じていたんだけれど、考えてみればもう、スコーンと晴れた夏の日に、娘を保育園に迎えにいく機会は、二度とやって来ないのか。気づいてしまったら、よけいに切ない。4月に「もう最年長クラスって、早いな〜」なんて思っていたら、すでにそこから半年が経っている。つくづく、もっともっと一日一日を大切に過ごしていかないと。自分たちのためにも娘のためにも。
ここ1年ほどで、クラスメイトのパパ友たち、さらに家族ぐるみでの付き合いの輪が広がり、頻繁に飲み会やホームパーティーなどが開催されているという話は何度か書いた。僕は、そういう機会が最近までほとんどなかったのは、完全にコロナの影響だと思っていた。ところがすでに子育てを終えた飲み友達なんかと話していると、「うちはそういうの、まったくなかったな〜」とか「え、信じられない! そんな会に参加するの、気が重くてしょうがないですよ」なんて答えが返ってくることも多く、逆に驚いてしまうことも多い。そう考えると、今、あんなにも純粋に楽しく過ごせる人々が集まっている状況って奇跡のようなことで、自分たちが偶然、良い人たちとの縁に恵まれただけなのかもしれない。
ここ半年だけでも、友達家族と連れだって花見もしたし、プールにも行ったし、夏祭りにも数えきれないほど行ったし、ありがたいことに、家に呼んでもらっての飲み会の機会も多かった。パパ友会は月一くらいのペースで続いていて、人数も増え続けている。
ただ、考えてみれば、来年には子供たちの進路は当然バラバラになる。もちろん、そんなことは関係なく集まって酒を飲みにいくだろうなってくらいに仲良くなってしまった人たちもいるけれど、なかには自然に会わなくなってしまう人もいることだろう。人生というのはそういうものだからしかたがない。だからこそ、よりいっそう、日々のイベント一つひとつを貴重な機会と思って過ごしていきたいものだ。
さて、この原稿を書いている翌日は、近所の石神井公園で、毎年恒例のフリーのジャズイベント「森のJAZZ祭」がある。僕ははりきって、朝から場所取りに行くつもりでいて、かなり長丁場な会になりそうだ。クラスメイト家族もけっこうな人数が集まることになっている。酒好きで、会えばつい飲み過ぎてしまう何人かのパパ友たちと、調子にのって酔っぱらいすぎないようにだけは気をつけつつ、保育園最後のJAZZ祭を楽しんでこよう。天気がいいといいなあ。
* * *
パリッコ『缶チューハイとベビーカー』次回第44回は、2023年11月17日(金)17時配信予定です
筆者について
1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家/イラストレーター、DJ/トラックメイカー、他。酒好きが高じ、2000年代後半より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『つつまし酒 あのころ、父と食べた「銀将」のラーメン』、『ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある』、『晩酌わくわく!アイデアレシピ』、『天国酒場』、『つつまし酒 懐と心にやさしい46の飲み方』、『ほろ酔い!物産館ツアーズ』、『酒場っこ』、『晩酌百景 11人の個性派たちが語った酒とつまみと人生』、スズキナオ氏との共著に『のみタイム 1杯目 家飲みを楽しむ100のアイデア』、『“よむ”お酒』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『酒の穴』(シカク出版)。