妻と出会い、週末のたびにあちこちの酒場へ出かけてはふたりで酒を飲んだ。酒好き具合の度を超えている僕と、嫌な顔ひとつせず一緒になって楽しんでくれた。その妻が妊娠し、数年間、彼女に酒が飲めない日々が訪れた。
酒場めぐりの日々
僕が現在のように、酒や酒場のことを専門的に書くフリーライターとして働けるようになった下地には、人生のなかの3つの時代が大きく影響していると思う。
ひとつは、20代のころに入りびたり、古き良き大衆酒場の良さに気づいていった高円寺での日々。それから、新卒で入った怪しげな広告代理店で、日々の残業を終え、同僚とひたすら愚痴を肴に安酒場で飲んだ日々。最後は、妻と出会い、週末のたびにあちこちの酒場へ出かけて行っては、ふたりで酒を飲んだ日々。少しずつ時間をかけて、酒の良さ、酒場の良さを知っていった、どれも大切な時間だ。
特に妻には感謝している。そりゃあもともと酒が嫌いでなかったことはあるけれど、それにしたって僕の酒好き具合は度を超えている。ふたりで会うたび、僕の「次はあそこの酒場へ行ってみたいんだけど」というリクエストに対し、嫌な顔ひとつせず、むしろ一緒になって楽しんでくれたからこそ、見聞を広めることができた。
石神井公園という街でふたり暮らしを初めてからも、主に地元で飲むことが多くなったけど、いろいろな酒場へ行った。休みのたび「今日はどこに飲みに行こうか?」となるのが定番だった。ただ、そんな生活も、もちろん妻の妊娠以降はがらりと変わる。当然、妻は酒が飲めなくなり、それが娘の卒乳まで続くことになる。すっかりはるか彼方の記憶になってしまったけれども、そんな時代もあったなぁと、懐かしく思い出すことがある。
つわり期の食事情
そもそも妻は、酒が飲めないなら飲めないで大丈夫なタイプのようだった。もしも自分が数年間も酒を飲めないことになったら……なんて、とても考えられないけれど、妻はその期間、「早く酒が飲みたい〜!」と絶叫するようなことはなかった。むしろ、我が家に子供がやってきてくれたことに喜びを感じ、一日一日、その時間を大切に過ごしているようだった。酒好きな僕には、それが申し訳なくも、ありがたかった。
よく覚えていて、今思い出すと笑ってしまうことがある。妊婦は基本、刺身などの生ものも食べないほうが良いとされている。妻も刺身は好物のひとつであるけれど、もちろんそれを食べないようにしていた。一方、僕は刺身をつまみに晩酌するのが大好きだ。しかしながら、酒と刺身。ふたつ揃って妊娠中の妻には摂取できないものを、目の前で飲み食いするのはどうしたって気が引ける。それで僕は一時期、皿に刺身を盛りつけて、その上に大葉をこれでもかとのせ、なるべく魚が見えないようにして食べていた。そんなことが何度かあったある夜、妻が「最近よくそうやってお刺身食べてるけど、マイブーム?」と聞いてきた。僕はしどろもどろになり、「いや、あんまり見えると目に毒かなと思って……」と答える。大葉で隠したところで、僕が刺身を食べていることなどお見通しだったというわけだ。というか、そんなことで隠せてると思うほうがどうかしているし、よく考えたらよけいに気になるに決まっている。けれども妻は「そこまでしなくていいって!」と笑って言ってくれ、それ以来、刺身を大葉で隠すことはやめた。
つわりの期間にも、今ふり返ってみるとなんだったんだろう? と笑える思い出は多い。人間の体って本当に不思議で、つわり期って、「今はとにかくこれが食べたい! これしか食べられない!」というものが定期的に変わってゆくようだった。一時期は、とにかく野菜炒めを食べたがり、毎日のように僕が野菜炒めを作っていた。また、なぜか「うめしそ巻き」がどうしても食べたいという日が続き、しかも、おにぎりだと違うらしい。そこで毎朝、巻きすに海苔とごはんをのせ、そこにうめしそふりかけをかけて、神妙な顔で細巻きを作っていた。やたらとコンビニで売っているタルタル白身魚フライサンドを食べたがったこともあったし、とにかくレタスが食べたいと、日々の料理にレタスを加えまくった時期もあった。ある日仕事から帰ると、妻が青白い顔でフラフラになりながら、あきらかに数人前はある大量のフライドポテトを揚げていたこともあった。「な、なにしてんの⁉」と聞くと、「急にどうしても食べたくなって……ただ、起きてるのもやっとで、今日の晩ごはんこれしか用意できてなくて……ごめん」と言われたときは、あまりにもシュールすぎるシチュエーションに動きが固まった。もちろん美味しく食べたけど。そんな、特に子供の成長に必要な栄養が豊富そうなものだけとは限らないそのラインナップが、今思うとおかしく、それでも「もうすぐできるから待ってて!」「ありがとう……」なんて、大真面目に話していた当時の自分たちを思い出すと、なんだか笑える。
解禁酒
妊娠期間も安定期に入ったころ、そんな機会はしばらくなくなるだろうと、ふたりで横浜旅行に行った。といっても、もちろんあちこち観光して歩き回るというわけにはいかない。伊勢佐木町のホテルに泊まり、周辺をほんのりと散歩して横浜の空気感を味わったり、予約しておいたイタリアンの店で夕飯を食べるくらいの予定だった。
宿からは有名な飲み屋密集エリアである野毛も近く、妻が「行きたいんじゃないの?」と言う。身重の妻を説得してまでとは思っていなかったものの、そう提案されたらやぶさかではない。そこで、ふたりで昼間の野毛をふらりと歩いた。すると、有名店で一度は行ってみたいと思っていた「福田フライ」の店内が、運良く空いている。が、ここは立ち飲み屋だし、しかも、うまいし安いが、店員さんの接客がけっこうぶっきらぼうなことで有名という噂も聞いたことがある。さすがに今日入るのは違うなと思いつつ、「ここも行ってみたかった店なんだよね〜」と言うと、妻が意外にも「じゃあ行ってみようよ!」と言う。そう提案されたら、これまたやぶさかではない。ほんの短時間だけと、入ってみることにした。僕はチューハイを頼み、確かソフトドリンクのメニューはなかった気がするが、妻が「ウーロン茶でもいいですか?」と聞くと、店員さんは嫌な顔ひとつせずに対応してくれた。なんだ、そりゃあ店員さんの愛想がめちゃくちゃいいわけじゃないけど、すごく温かいお店じゃないか。なにより、にんにくが容赦なく効いた「辛いソース」で食べる串揚げがめちゃくちゃ美味しく、ふたりで大満足して店を出た。あの日の福田フライで過ごした時間は、僕の酒場人生のなかでもとりわけ印象深いものだ。けれどもよく考えると、あの店にあんなでっかいお腹で入った客、もしかしたら史上初だったんじゃないだろうか?
やがて月日は流れ、娘も無事生まれてくれて、そろそろ卒乳も間近というころのこと。近所に用事があり、上石神井にある酒屋「関町セラー」にふたりで寄る機会があった。ここは大正時代から続く老舗酒屋でありながら、近年改装をし、2階のテラスで生ビールなども飲める天国だ。そのときは、近年人気のクラフトビールブルワリーである「宇宙ブルーイング」の「宇宙SENSEI」の樽が開栓直後だった。クラフトビールの生というのは一期一会。これまた面目なくも、「ごめん、これ一杯だけ飲ませて!」と時間をもらう。そのビールがあまりにもうまく、妻もにおいをかいだだけで美味しそうと言っている。そこで、店内で販売されれていた宇宙SENSEIの瓶を2本買い、妻の解禁酒はこれにしようということになった。
しばしのち、ついに卒乳が完了し、いざふたりで瓶を開け、乾杯した。やっぱりうまい。が、数年ぶりに飲むビールとなれば、その美味しさはことさらだろう。一体どんな味がするのだろうか? 幸せそうにビールを飲む妻の顔を見ながら、僕には想像することしかできないのだった。
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パリッコ『缶チューハイとベビーカー』次回第24回は、2023年1月20日(金)17時配信予定です。
筆者について
1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家/イラストレーター、DJ/トラックメイカー、他。酒好きが高じ、2000年代後半より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『つつまし酒 あのころ、父と食べた「銀将」のラーメン』、『ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある』、『晩酌わくわく!アイデアレシピ』、『天国酒場』、『つつまし酒 懐と心にやさしい46の飲み方』、『ほろ酔い!物産館ツアーズ』、『酒場っこ』、『晩酌百景 11人の個性派たちが語った酒とつまみと人生』、スズキナオ氏との共著に『のみタイム 1杯目 家飲みを楽しむ100のアイデア』、『“よむ”お酒』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『酒の穴』(シカク出版)。