ワンルームから宇宙を覗く
第5回

巨人の腰にぶら下がる

学び
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宇宙機の制御工学を専門としながら、JAXAのはやぶさ2・OKEANOS・トランスフォーマーなどのさまざまな宇宙開発プロジェクトに携わる、宇宙工学研究者・久保勇貴による新感覚な宇宙連載! 久保さんはコロナ禍以降、なんと在宅研究をしながら一人暮らし用のワンルームから宇宙開発プロジェクトに参加しているそうで……!? 地べたと宇宙をダイナミックかつロマンティックに飛び回る、新時代の宇宙エッセイをお楽しみください。


「お前のその研究、なんか、哲学感じられへんわ」

あれはたしか新宿の、たしかしみったれた居酒屋だったと思う。その日は高校時代からの友人と、たしか高尾山でも登ろうぜとか言ってたのに、前日になって忙しいだとかなんとか言い始めて、結局二人で飲みにだけ行くことになったんだった。二人とも、大学院に入ってちょうど1年が過ぎた頃だった。研究の話をしていた。

「うちの教授の受け売りなんやけどさあ、」
しみったれてる割には、たしか完全個室を売りにしたような居酒屋だったと思う。
「Ph.D.ってDoctor of Philosophyやからさあ、」
「直訳すると『哲学博士』なんよね」
周りの学生は着々と就活で内定をもらっている中で、僕らは二人とも大学に残って博士課程に進学しようとしていた。
「やから、研究にも自分の哲学が無いとあかんねん」
その完全個室は、完全個室とは名ばかりの、申し訳程度に仕切られた空間だった気がする。
「お前のその研究、なんか、哲学感じられへんわ」

たしか周りの客も賑わってなかったから、完全個室とは名ばかりの空間だったけれど、その友人の声はやけにはっきりと聞こえたような気がする。大学院に入ってちょうど1年が過ぎた頃、僕はその友人の言葉に何も言い返すことが出来なくて、そう、確かになあ、と静かに遠くを見たのだった。その時の僕は、自分の研究が誰かの何かの役に立つということはなんとなく言えても、自分が研究をやりたい動機なんて考えたことがなかった。研究って一体何なんだろう、僕にとって研究って何なんだろう、僕がやる意味って何だろう、僕は何をやりたいんだろう、ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる、そうしてしみったれた居酒屋を出て、小田急線がやってきて、僕はぐるぐると家に帰ったのだった。

研究とは一体何なのか、科学者は一体何をやっているのか、たぶん多くの人にはあまり想像がつかないんじゃないかと思う。かくいう僕だって自分が研究をやるまでは、福山雅治が狂ったように道路に式を書きなぐってる映像ぐらいしか想像できてなかった気がする。だから不思議だった。福山雅治はあんなにあっという間に問題を解決してしまうのに、どうやら現実の研究室というところでは研究者が朝から晩までやることに追われているようで、どうしてたった一つの問題を解決するのにそんなに時間がかかるんだろうか、何をそんなにやることがあるんだろうか、とか思っていた。

ただ、実際にやってみたら分かるけれど研究というのはやっぱりとっても時間がかかる。例えば僕のように宇宙機の制御を研究する分野では、制御工学や力学の基礎をしっかり勉強した上で、アイディアを考えて、シミュレーション用のプログラムを作って、うまく制御できているか確認して、うまくいかなかったらまた別のアイディアを考えて、と試行錯誤しているうちになんかうまく制御できるやり方が見つかったりするわけだけど、それで何パターンかうまく制御できただけではまだまだ研究としては未完成だ。というか、ようやくそこからが研究のスタートだと言ってもいい。なんでそのパターンではうまく制御ができたんだろうか、逆にうまく制御できない場合はあるんだろうか、うまくいく場合といかない場合の境界はどこにあるんだろうか、どう条件を変えたらもっとうまく制御できるんだろうか、他のやり方では制御できないんだろうか、他のやり方でもできるんならこのやり方は何が優れてるんだろうか、逆に何が劣ってるんだろうか、というかそもそもこの制御ができたからと言って何の価値があるんだろうか……と、こういった問題に一つずつ答えていってようやく研究は形になる。

受験勉強ならただ解けたらもうそれでオッケーなんだけど、研究というのは解けてからがやっと本番みたいなもんなのだ。一歩足を伸ばしては周りを照らして、足場をしっかり固めて、何に向かってどう進んでいるのかを何度もキョロキョロ確認して、そうしてようやく体重をかけて一歩を踏み出す。数式を書きなぐる派手なイメージからは想像もつかないほど、研究は、科学は、慎重に地道に一歩一歩を積み重ねる。一つの研究の歩幅は大抵小さいけれど、世界中の研究者たちが長年積み重ねた一歩一歩で、科学は今やとんでもなく遠いところまで僕らを連れてきてしまっている。何十光年も彼方の惑星に生命がいるか調べたり、重力波によるものすごく小さな空間のゆがみを観測したり、上空400kmの軌道上にサッカー場サイズの巨大な実験施設を作ったり、火星でドローンを自在に飛ばしたりできるのは、そういう一歩一歩を地道に固めてきた先人たちの努力のおかげなのだ。

「巨人の肩の上に立つ」?

眺めの良い7階の研究室に入ると、いつものように大きな西向きの窓が朝を映していた。パソコン一台あれば家でも研究はできちゃうんだけど、最近は少し研究室が恋しいから毎日通っている。朝9時半、まだ誰も来ていない研究室。完全個室とはいかないけれど、デスクを境界線として区切られた僕の領地に腰を下ろす。相変わらず朝からやることはたくさんあるので、早速パソコンを開いて読みたい論文を探す。Google論文検索の入り口には「巨人の肩の上に立つ」と控えめな緑色で書いてあって、それはあのニュートンが大昔に言った言葉からの引用らしい。そうしてその検索窓の奥には、何万・何億という数の論文がずらりと並べられている。先人たちの一歩一歩の地道な積み重ねは、今やニュートンの時代とは比べ物にならないほどドデカい巨人を造り上げている。

お前の研究には哲学が感じられないと言われていたちょうどあの頃、僕はその巨人のことがおそろしかった。どれだけ目を凝らしてもてっぺんの見えないその巨人が、化け物のように見えていた。毎日のように世界のどこかで新しい研究成果が発表されていて、そのどれもが「私の手法はこんなにすごいんだぞ!」とか「私の研究はこんなに価値があるんだぞ!」とか言っていて、その論文に載っている数十個の参考文献もやっぱり全部「ほら、すごいだろ!」とか言っていて、専門書にはまだまだ知らないことが山のように書いてあって、その一つを読み切っても別の本にはまた知らないことが山のように書いてあって、そんな世界で「僕の研究はこんなにすごいんだぞ!」と自信を持って言い切れる気なんて全然していなかった。科学は偉大で、だけど、偉大なものは時としておそろしい。

巨人の肩の上のように眺めの良い7階の研究室の窓の外では、着実に朝が過ぎていく。先人たちがそうしてきたように、あの頃から僕も一歩一歩新しいことを学んで、そのうちに自分でも一歩一歩科学を前に進めることができるようになってきた。おそろしいと思っていた巨人は、一つ一つの部位を丁寧に見ていけば、案外そんなにおそろしいものではなかった。触れればちゃんと巨人の肌にも体温があって、無機質な鉄の塊ではなかった。あの日、研究にも哲学が必要だと友人が言っていたのは、きっとその体温のことを言っていたのだと思う。科学は、決して冷たい論理の集積ではなくて、科学者一人一人の個人的な熱意の結晶なのだろう。小さな一歩を積み重ねて、僕もようやく巨人の肌に直接触れられるようになってきた。肩の上に立つというよりは、まだ腰ぐらいのところに必死でぶら下がっている感じかもしれないけれど。

フラットアーサーと私たちの共通点

フラットアーサー、という人たちがいる。フラットなアース、つまり地球が球体ではなく平面だと主張する人たちのことだ。アメリカでは特に多いけれど、最近は日本でも一定の人数がいるようだ。彼らは、学校で教えられた知識をただ鵜呑みにする多くの人たちを批判する。YouTubeでは、彼らが地球を平面だと考える理由が数多く語られている。地球が球体だというのは政府のお偉いさんたちによる洗脳で、宇宙飛行士の映像は全てワイヤーアクションで、宇宙機の撮った画像は全てCGで、アポロの月面の映像はスタジオで撮影されたもので、NASAやJAXAで働く僕のような研究者は政府の陰謀の手先として動く工作員だと言う。そして、その動画を見た科学者たちが猛烈に反論する動画を上げていて、その科学者をまた嘲笑する動画が上げられて、そうして彼らの間の溝はどんどん深まっている。

球体説論者のほとんどは、自分で実証など何ひとつしておらず、テストで良い点を取ることが正義だと言うまわりの教えにより、教科書に記載されていることを妄信しています。そして、テレビやパソコンに映る宇宙映像にロマンを感じています。

また、長い学校教育で植え付けられた権威コンプレックス(教壇という一段高いところから、「先生」という絶対的権威者が一方的 に物ごとを伝える=冷静に考えるとまるでカルト宗教)により、科学者やNASAの偉い人や宇宙飛行士が、こんな壮大な噓をつくはずがない、と「信じている」だけではないでしょうか。

レックス・スミス. 【フラットアース】超入門 (Kindle版p.112). 株式会社ヒカルランド

科学は偉大で、だけど、偉大なものは時としておそろしい。巨人の姿は今や一人の人間が全貌を見渡すにはあまりに大きくなりすぎてしまっていて、だから、時にそれは真っ黒な影のようにしか見えなくなってしまうことがある。触れてみればきちんと体温は感じられるのだけれど、触れられるようになるまでには相当な訓練が必要で、多くの人にはそれが難しくなってしまっている。科学不信はこれからさらに広がってしまうのかもしれない。けれど、巨人の成長は止まらない。研究者は、研究をやめない。

支配層は、そう主張することで、わたしたち放牧奴隷の世界観を印象操作し、人間など宇宙の塵である、地球の上で生活する「塵の中の塵」であるという無力感を巧みに刷り込んでいるのです。

レックス・スミス. 【フラットアース】超入門 (Kindle版pp.117-118). 株式会社ヒカルランド

だけど、きっと彼らが異常だというわけではないのだ。きっと彼らも何かをおそれていて、僕と同じで、それはきっと、ままならない毎日で、どうしようもない生活で、そう、あれは、異常だった。高校生の頃の塾の、数学のクラスの、授業、上から二番目のクラスで、それは、とてもおそろしかった。洗脳のような授業だった。先生から許可が下りるまで教科書に触ってはいけなくて、授業中にノートを取ってはいけなくて、先生の言うことには全員で声を揃えて「はい」と言わなければいけなくて、わかりましたか、はい、いいですね、はい、お前ら一番上のクラスに上がる学力無いんですよね、はい、俺が来る前の先生じゃ成績伸びなかったんですよね、はい、あいつは一番上のクラス上がれましたよね、はい、あいつは俺のこと信じてましたよね、はい、じゃあ誰を信じればいいか分かりますよね、はい、はい、はいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはい。そういう授業だった。その先生のクラスは成績が良くなると評判で、僕たちは高校生で、親のお金で塾に通わせてもらっていて、だから勝手に辞めることはできなくて、その塾の授業料はとっても高くて、高いお金を払ってもらっているから成績を上げなければいけなくて、けれど学力が足りないから上のクラスに上がれなくて、だから、その先生に従うしかないのだった。ままならなくて、どうしようもなくて、尊厳が無くて、無力だった。

とにかく支配層がこういう噓の主張をするのは、本当は尊い存在である人間が「地球にとっては、ただの害悪かゴミでしかない」という悪意たっぷりの刷り込みをすることが一番の目的である、ということにぜひ気がついてほしいのです。

わたしがフラットアースをあちこちで啓蒙し続けている大きな理由のひとつは、(わたしを含む)奴隷層の皆さまに、「人間は本来、尊い存在であり、地球(フラットアース)は、人間のために作られた巨大な循環エコシステムである」ということに気づいてもらいたいからです。

レックス・スミス. 【フラットアース】超入門 (Kindle 版p.119). 株式会社ヒカルランド

そう、どうしようもなくままならない時、人は巨大な何かに身を委ねたくなるのかもしれない。彼らにとってはそれがフラットアースで、誰かにとってはそれがイエス・キリストで、僕にとってはそれが科学なのかもしれない。きっと彼らが異常だというわけではなくて、きっと彼らも何かをおそれていて、僕と同じで、無力で、ままならなくて、そう、それだけのことなのかもしれない。

研究室の、西向きの大きな窓に陽が落ちる。数式を派手に書きなぐるのでもなく、朝から晩までパソコンの前でもがき続けて一日が終わる。今日も巨人の体をよじよじ登ってみたけれど、まだまだその全貌は見えそうもない。巨人は何も喋らない。それでいてその肌にはちゃんと熱がこもっているのを感じるから、やっぱりなんだか憎めないヤツだと思う。

自分がワクワクするために研究をやっていたいと思う。人類を救うために、とか、人類の進歩のために、とか、そういうことは正直全然ピンとこないし。僕には、僕が生きているこの瞬間が一番大事で、そう、その時間をめいっぱいワクワクできれば幸せで、それでまあついでにその個人的な熱意が巨人の体を成長させるものでもあれたらいいな、と思う。それが、このどうしようもなくままならない世界の中での僕なりの抵抗なんだと思う。それが、僕なりの哲学なんだと思う。

筆者について

くぼ・ゆうき。宇宙工学研究者。宇宙機の制御工学を専門としながら、JAXAのはやぶさ2・OKEANOS・トランスフォーマーなどのさまざまな宇宙開発プロジェクトに携わっている。ガンダムが好きで、抹茶が嫌い。オンラインメディアUmeeTにて「宇宙を泳ぐひと」を連載中。

  1. 第1回 : ワンルームから宇宙を覗く
  2. 第2回 : 宇宙の旅行、十字の祈り 宇宙旅行元年、前澤友作さんと平野陽三さんの打ち上げを見つめて
  3. 第3回 : 宇宙開発の父・糸川英夫と、とある冬の日
  4. 第4回 : 後輩クンとはやぶさとバブル
  5. 第5回 : 巨人の腰にぶら下がる
  6. 第6回 : ボイジャー、散歩、孤独、愛
  7. 第7回 : 選んでも選ばれてもない
  8. 第8回 : 静かだった
  9. 第9回 : 末吉が嫌い
  10. 最終回 : 呪/祝いたい
連載「ワンルームから宇宙を覗く」
  1. 第1回 : ワンルームから宇宙を覗く
  2. 第2回 : 宇宙の旅行、十字の祈り 宇宙旅行元年、前澤友作さんと平野陽三さんの打ち上げを見つめて
  3. 第3回 : 宇宙開発の父・糸川英夫と、とある冬の日
  4. 第4回 : 後輩クンとはやぶさとバブル
  5. 第5回 : 巨人の腰にぶら下がる
  6. 第6回 : ボイジャー、散歩、孤独、愛
  7. 第7回 : 選んでも選ばれてもない
  8. 第8回 : 静かだった
  9. 第9回 : 末吉が嫌い
  10. 最終回 : 呪/祝いたい
  11. 連載「ワンルームから宇宙を覗く」記事一覧
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